第2話_降車
どれくらい、時間が経っただろうか。
燈は瞼をゆっくりと開いた。
ぼんやりとした視界の中で、手に握っていたスマホが滑り落ちかけているのに気づき、慌てて胸のあたりで押さえ込む。
(結構寝ちゃった……)
まだ頭は重く、首筋にわずかな汗が張り付いている。
彼女はぐっとまばたきを繰り返し、スマホを起動して時間を確認した。
瞬間、血の気が引いた。
「えっ……もうこんなに!?」
既に一時間以上が経過していた。
いつもなら三十分足らずで最寄りに着くはずなのに。
胸の奥がひやりと冷える。
(……遅延?事故?でもアナウンスなんて……)
自分を落ち着かせるように理由を探す。
だが、すぐにその仮説が崩れる。
――周囲に誰もいない。
つい先ほどまでの喧騒が嘘のように消え去り、耳に届くのは列車がレールを刻む一定の響きだけ。
視線を巡らせても、車両はがらんどう。
取り残された現実に、背筋がすうっと冷えていく。
さらに、外の景色がおかしかった。
目に飛び込んでくるのは、眩い光を放つビル群。
彼女は思わずシートに膝を立て、窓に額がつきそうなほど身を乗り出した。
「なに……あの建物……?こんな高いビル、この辺に……あったっけ……」
言葉が震える。
夜景を飾る光は、彼女がこれまで一度も見たことのない鮮やかさで、きらめきはまるで宝石を散りばめたようだった。
東京へ行ったことはない。だが想像する摩天楼は、きっとこうなのだろう――そう考えざるを得なかった。
(わたし……どこに連れていかれてるの……?)
鼓動が早まり、掌にじっとりと汗がにじむ。
その瞬間、不意に車体が減速を始めた。
「ふにゃっ!?」
体がふわりと浮き、バランスを崩した彼女はシートに横倒しになる。
慌てて肘で支えるが、心臓の鼓動がさらに強く耳の奥で反響していた。
やがて列車は完全に止まり、ドアがプシューと音を立てて開いた。
機械的で冷たいその音が、やけに大きく響く。
「……駅員さんに相談すれば……だ、大丈夫……だよね……」
自分に言い聞かせるように呟き、喉をからからにしながら足を踏み出す。
「わぁ……きれい……」
降り立った瞬間、思わずその言葉が漏れた。
ホームは何層にも奥へと連なり、青白い光を放つ照明が等間隔に整然と並んでいる。
無機質なその美しさは、彼女が空想してきたUFOの内部構造と重なり、現実感を奪っていく。
(こんな駅、見たことない……都会だとこれが普通なのかな?)
胸の奥がわずかに高鳴る。
知らない都会へ憧れていた気持ちが呼び起こされ、現実と幻想の境目が曖昧になっていく。
その背後で、乗ってきた電車がゆっくりと動き出した。
振り返ると、扉は閉まり、無人の車両が静かに闇へ溶けていく。
頼りを失った心細さが、背筋に冷たいものを這わせた。
「そうだ……駅員さん探さなきゃ」
呟きながら、ローファーの硬い音をタイルに響かせる。
だが、その響きに反して空間はあまりに静まり返っていた。
(そういえば、お客さんいない……?電車もどこにも停まってないし……)
違和感に足取りが鈍る。
これほど巨大な駅で、利用者が一人もいないなんて――考えれば考えるほど、不自然さが際立つ。
だが、奇妙なことに胸は高鳴っていた。
オカルトサイトで読み漁った「異世界駅」の記事が脳裏をよぎり、まるで自分が物語の主人公になったような錯覚に酔い始める。
鞄を握る手は小さく震え、期待と不安がないまぜになっていた。
やがて、視界の先にかすかな人影が浮かび上がる。
ぼんやりとした靄に包まれ、輪郭ははっきりしない。
数人が寄り合い、世間話をしているようにも見えた。
「……人、だよね……?」
希望を胸に、慎重に歩みを進める。
緊張で膝がぎこちなく動き、喉がひりつく。
声を絞り出すように、唇が震えながら言葉を紡ぐ。
「あ……あの、す、すみません……駅員さ――」
その瞬間、視界が鮮明になった。
彼女は、見てはいけないものを「認識」してしまった。
靄の中から現れたそれは、人の形をしているようでいて、人ではなかった。
黒々とした影が実体を持ったかのように濃く立ち上がり、二メートルを超える長身がすっと滑るように動く。
その「目」らしきものが、確かに自分へ向いた気がした。
背筋が凍り、肺が一瞬で縮む。
喉から声が漏れそうになるが、言葉は形にならない。
(……やだ……なに、あれ……!)
心臓が狂ったように打ち、彼女の身体は石のように硬直した。
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