第15話

それからというもの一週間ほどの時間が過ぎた。

 アリステイルは自身が持ってきた財の半分以上を彼女の療養費にと送り付けたのだが、それはすべて返されてしまった。手伝ってもらった者を傷つけてしまったこと、そしてこの地に来て唯一ともいっていい異国の地での友達を、あのような形にしてしまったことがアリステイルの心に重い程響いている。一番つらいのは倭の国という地なので誰も自信を折檻するものがいない。悪評を垂れるものがいない。その為、薄れた罪悪感や痛みによる逃避が出来ないのだ。さらに、澪車や或いは慶知の杜の者から一切の連絡や通達が来ていないことだ。きちんとこの地の医者にまで運んだこと、それにあの屋敷の規模を見れば有力な家系であるはずなのだが、その家系のものである澪車照が怪我をしてなお、何も通達が来ない。いや、いっそ通達が来て帰国、いやそんなものじゃぬるいな……いっそ檻にでも放り込んでくれ。


 今日もそのようなことを考えて彼、アリステイルは過ごしている。

 絶望であろうか、ひどく力が抜けてくるような暗いものが自身を襲う。しかしてこの感覚は不思議なものだ。なぜかわからないが自然と頭は働いてしまう。皓伝屋というものに座禅なる祈り方を教わったからであろうか。この地の気、という魔法体系はどこかたんぱくなものである。それは色がついていないというわけではない。どこか水などのように流れに順応していく、呼応する。絶望がもし呼応するのであったら、それは何かにのめり込むようなもの、つまり没頭のようなものなのかもしれない。あるいは彼が、アリステイルがいまだ空へ挑むという事を、魔法道具の完成を諦めきれていないことなのかもしれない。


 今日も、今日も彼は緑富野山へと向かう。それは、道具を試す時、いや試すことすら出来ないでただただ、天才とは違い、澪車照とは違い地面へと叩きつけられることで自身への罰を与えているのか。あるいはそれによって、痛みで自身のつらさから逃げているのだろうか。


 アリステイルは基本的に籠るということが出来ない性格であった。図書館で多くの書物を漁ろうと彼は必ず外に出る。あの故郷の、或いは学院にある木陰の元で、だれに馬鹿にされようと。

 するとどこかから、自分の名を呼ぶ声が聞こえる気 がする。誰も来るはずのないこの場所に声なんて聞こえるわけがない。そう思い、一口水を飲むことにする。やはりこの地の暑さは纏わりつくようだ。しかしそれが今のアリステイルにはちょうど良いのかもしれない。クラクラとする頭で現状何が出来るのかをまとめようとしたところ、首のあたりに冷たさが当たる。


 これは何かの慈悲だろうか、残酷さなのかもしれない。


 振り返ると皓伝屋の夜名子がいた。


 「奇遇だね、こんなところで合うなんて」

 こちらが分かりやすいような、或いはなにか思うところがあるのだろうか。いつもとは違うペースで彼女は話しかけてきた。そして水でぬらされたタオルであろうか?こちらでいうと手ぬぐいというらしい、彼女が教えてくれた。それを首に押し付けられ、また手招きされてそのまま皓伝屋についてゆく。アリステイルはこの時、自身を振り返るほど冷静でなかった。それは酷暑のせいか、あるいはこれからの熱だろうか。


 「まあ、いろいろ言いたいことはあるよ。私の大切な親友の照ちゃんを傷モノにしてくれたこととか、でもさ」


 どうしてだろうか、心の臓腑が痛むのは。

 

 「やっぱり、さ。諦めてなかったんだね。いいや、これ自体は私は何も言わないよ。なんなら応援したくらいだもん。私もさ、うまく言えないけど、病気になっても、目が悪くなっても頑張り続けたおじいちゃんがいたから」


 「わたし、あんまりいい所の家じゃないからわかんないんだけどさ、照ちゃんはけっこうがんばりやさんなんだよ。だからあんまり、笑わないわけじゃないんだけどさ、」

 

異国の言葉で、習いたて、しかしなぜだろうか、やはり魂というものはあるのではないか。半分ほどしかわからない彼女の言葉で、痛い程、この細ましい、頼るに値しないものが、胸が震える。もう、ここに居たくない。いや、目が怖い。つぶれてしまわないだろうか、僕のこの何の役にも立たないモノが。


 「照ちゃんさ、笑ってたんだよ。あんなの滅多に見ない。それもあんなに汗かくまで頑張ってた。お家のこととか、お父さんに褒められた時しかあんまり笑わないんだよ。」


 突如として、アリステイルの右頬に 強い衝撃が伝わる。


 「ねぇ!飛んでよ、これで!照ちゃんを、あたし見てるから!」

 気づいたらアリステイルの右手、いや握られている魔法道具に彼女の手がかかっている。グイッと目の前に差し出される。そして紙片がともに差し込まれていた。


 「待ってるから」

 

 ただただ胸が苦しかった。いや、熱かった。痛みはそこになかった。


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