Chapter 3:Old Fashioned

【BGM:ゆったりとしたジャズピアノ(少し渋め)】

マスター(独白)

「──オールド・ファッションド。

バーボンの苦味と、角砂糖のわずかな甘さ。

それを潰し、オレンジの皮で香りづけする。


名前の通り、古いやり方でつくられる酒。

でも──古いやり方だからこそ、染み込むのが早い夜もある」


**


【SE:グラスに氷を落とす音】

ナレーション

「その夜、最初に店へ来たのは、沢渡誠だった」


【SE:椅子を引く音】

沢渡

「……今日は、強いのがいいです」


マスター

「了解」


【SE:バーボンを注ぎ、角砂糖を潰す音】

マスター

「オールド・ファッションドだ」


沢渡(小さく微笑み)

「……いい色ですね」


【SE:ドアが開く音】

神原悠一

「……なんか、重ための空気だな」


沢渡

「そう見えるか?」


神原

「お前がそういう顔してる時は、大体なんかある」


沢渡

「察しがいいな」


神原

「職業柄、勘は大事でね」


沢渡(ゆっくり)

「じゃあ、少しだけ。……たまには、自分の話をしてもいい頃かと思ってね」


**


回想シーン


【BGM:低めのストリングス(静かに緊張感)】

ナレーション

「結婚して6年。最初の2年は、それなりに穏やかだった。

けれど──子どもができなかった」


妻(声)

「私ばっかり、我慢してる」

「どうせ分かってくれない」


ナレーション

「言い返せなかった。悪いのは自分だと思っていたから」


【SE:食器を片付ける音、沈黙】

ナレーション

「夫婦の会話は減り、寝室は分かれ、触れ合うこともなくなった」


【SE:カフェのざわめき】

女性(取引先)

「……まだお昼、食べてなくて」


沢渡(回想)

「良かったら、軽く何か食べませんか?」


ナレーション

「その夜、彼女に誘われるまま、もう一軒飲みに行った」


【SE:雨音/タクシーのエンジン音】

女性

「誠さん、このまま帰りたくないな」


ナレーション

「──ほんの一度だけ。すべてが重なっていた。

けれど、それでも……はっきりと、一線を越えた」


【SE:雨音フェードアウト】


**


現在のバー


【BGM:ジャズに戻る】

沢渡(静かに)

「……それきりだよ。書類も郵送、あっけないもんだ」


神原

「相手の女性とは?」


沢渡

「それきり。最初から、何かを求めてたわけじゃなかった。

でも、あの夜だけは──自分が“誰でもない自分”でいられた気がしたんだ」


【間】


マスター

「……そんな夜も、あるよ」


【SE:グラスを揺らす音】

マスター

「もう一杯、いくかい?」


沢渡

「……今夜は、これで充分です」


神原(スマホを見ながら)

「じゃあ、来月の第3金曜は、また俺の番か」


沢渡(少し笑って)

「次は、少し気楽な話にしてくれ」


ナレーション

「東京タワーが、春の空にぼんやりとにじんでいた」


**


【BGM:フェードアウト】

マスター(独白)

「──オールド・ファッションド。

苦くて、古いやり方の酒。

けれど、それを潰す手の温度だけは、なぜか──まだ、記憶に残っている」

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