【音声ドラマ版】Bar 3rd Friday – Voice Drama

Spica|言葉を編む

Chapter 1:Negroni

【BGM:小さくジャズ。チック・コリア「Crystal Silence」】

【SE:氷がグラスに落ちる音】


マスター(独白)

──ネグローニ。

甘くて、苦くて、深い赤色のカクテル。

ジンの輪郭に、カンパリの沈黙、ベルモットの余韻。

──恋が終わった夜に、よく似ている。


【SE:ドアのベル】


ナレーション

あの夜も、第3金曜日だった。


【SE:グラスを置く音、斎藤と沢渡の笑い声】


斎藤直樹

「……いや、それはないだろ。お前、言いすぎだ」


沢渡誠

「いやいや、俺の方がまだマシだって」


【SE:ドアが開く音、衣擦れ】


ナレーション

午後8時過ぎ。神原悠一が現れた。

黒いジャケットにノータイ。どこか肩が沈んで見える。


神原悠一(低く)

「……終わったわ」


【短い沈黙】


斎藤

「……そうか」


沢渡

「おいおい、いきなり重いな」


【SE:氷をグラスに落とす音】


マスター

「苦めの方が合う夜だな」


【SE:酒を注ぐ音】


ナレーション

ジン、カンパリ、スイートベルモット。

ステアせず、氷の上で赤い苦味が広がっていく。


神原

「……マスター、今日はお任せでいいですか」


マスター

「もう出来てるさ」


【SE:グラスを差し出す音】


神原(少し笑って)

「……いつもながら、察しが良すぎますね」


神原(ぽつり)

「9ヶ月か……俺にしては、まあまあ続いた方ですよ」


斎藤

「それは……長い方やね」


沢渡

「お前が“付き合ってる”って言ったの、俺たちには初めてじゃない?」


神原(苦笑)

「そうだっけ?」


沢渡

「その子の名前、聞いてなかったけど」


神原

「うん、今も言うつもりはないよ」


**

【SE:カフェバーのざわめき、グラスの音】

【BGM:軽いラウンジミュージック】


ナレーション(神原)

──出会ったのは、去年の春。

渋谷の、意識高い系のカフェバー。


【SE:キーボードを叩く音】


ナレーション(神原)

ノマド、資金調達、プロダクト思考……

そんな言葉が飛び交う中、彼女は黙々と会計の作業をしていた。


【SE:足音、近づく】


紺野美沙みさ

「あなた……ベンチャーってより、外資のエグゼクティブって感じですね」


神原(少し驚いて)

「え……?」


【SE:名刺を差し出す音】


神原

「神原悠一です」


美沙

「有村紗季です。よろしくお願いします」


【SE:スマホ通知音】


ナレーション(神原)

名刺を交換し、LINEを交換し、次の週末には食事に行った。

──今回は続いた。それが、いつもとは違った。


【SE:レストランのざわめき、ワイングラスの音】


美沙(穏やかに)

「あなたって、“選ばれる”人じゃない気がするの」


神原

「……どういう意味?」


美沙

「器用で、頭がいいのに……“ここにいる”って感じがしない。

 いつも、どこかに逃げ場を作ってる」


【短い沈黙】


ナレーション(神原)

何も言えなかった。

この10年ずっと、そうだったから。


【BGM:フェードアウト】

【SE:メッセージ通知 → しばらく無音】


ナレーション(神原)

別れは、秋だった。

連絡が少しずつ減り……気づけば、LINEのアイコンが変わっていた。

その顔は、俺が知っていたどの瞬間よりも穏やかだった。


**

【SE:グラスに氷を落とす音(場面転換・バーへ戻る)】


ナレーション

ネグローニのグラスには、まだ三分の一ほど残っていた。


神原

「……ま、俺にしては上出来だったと思うよ……」


【短い沈黙】


斎藤

「そういう相手ほど、あとを引くよね」


沢渡

「ずっと忘れられない人って、いるよね」


神原(目を細めて)

「……そういうもんなのかね」


【SE:一息に飲み干す音、グラスを置く音】


マスター(静かに)

「……」


【SE:グラスを引き取る音】


斎藤

「来月も、第3金曜でいいよな」


神原

「変わらないさ」


沢渡(少し軽く)

「じゃあ、次は春の話でも聞かせてくださいよ」


【SE:椅子を引く音、ジャケットを羽織る衣擦れ】


ナレーション

その背に、東京タワーの赤い灯が淡く映った。


【BGM:フェードアウト】


マスター(独白)

苦味と、余韻。

──恋が終わる夜は、いつも“甘さのあとに来るもの”だけが、残る。

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