ジェネシス セカンド

@neko_maru17

プロローグ 最後の選択

西暦2157年、3月15日。


地球最後の日。


大気中の酸素濃度は12%まで低下し、平均気温は摂氏42度に達していた。海面上昇により大陸の三分の一が水没し、残された陸地は砂嵐と酸性雨に蝕まれている。


ノルウェー、スヴァールバル諸島。


かつて「世界種子保存庫」と呼ばれた施設の最深部で、人類最後の科学者たちが最終会議を開いていた。


参加者は十二名。


地球上に残された最後の知性の集合体。


会議室の空調が低く唸り、非常用電源の赤いランプが不規則に明滅している。外では風速80メートルの嵐が岩盤を叩き、地下にいてもその振動が足元から伝わってきた。


「もう時間がない。」


プロジェクト・リーダーのエリカ・ヴォルフ博士が、疲れ切った声で口を開いた。彼女の白衣は汚れ、目の下には深いくまができている。


「地上の観測装置は全て沈黙した。最後の都市シンガポールからの通信も、六時間前に途絶えた。」


会議室の大型スクリーンには、地球の衛星画像が映し出されていた。


かつて青く美しかった惑星は、今や茶褐色の雲に覆われ、海は黒く濁っている。緑はもうどこにもない。


「《プロジェクト・Reー》の準備は?」


若い生物学者、ケンジ・タナカが震え声で尋ねた。


「完了している。」エリカが答える。「改良種子は全て保存済み。地球環境の完全修復には推定200年。ただし――」


彼女は言葉を切った。


室内に重い沈黙が流れる。


「ただし、何だ?」


気象学者のアレックス・ローレンスが促した。


「これは単なる環境修復計画ではない。」


エリカの声が硬くなる。


「我々が設計した植物群は、既存の生態系を完全に置換する。光合成効率を300%向上させ、土壌を数ヶ月で刷新し、大気組成そのものを書き換える。」


「それは――」


「兵器だ。」


エリカが言い切った。


「テラフォーミング兵器。地球を人類の理想郷に作り変えるための。自然は二度と戻らない。我々の『完璧な地球』だけが残る。」


科学者たちの顔が青ざめた。


長い沈黙の後、タナカが口を開く。


「では、我々は何のために?」


「未来のために。」エリカが答える。「いつか誰かが――人類の子孫か、あるいは別の知性が――この星を受け継ぐとき、彼らには完璧な環境が用意されている。」


「だが、それは傲慢ではないか?」


哲学者のマリア・サンチェスが割り込んだ。


「我々が『完璧』と考える世界が、彼らにとっても完璧だと、なぜ言える?」


議論は白熱した。


賛成派は「人類の英知を後世に残すべき」と主張し、反対派は「自然の自律的回復に委ねるべき」と反論する。


時間は刻々と過ぎていく。


外の嵐は激しさを増し、施設の構造材が軋む音が響いた。


そのとき、コンピューター技術者のコルビー・ロブレスが提案した。


「両方やればいい。」


全員が彼を見つめた。


「兵器としての改良種子は予定通り保存する。しかし同時に――我々の『記憶』も種子に刻み込むんだ。」


「記憶?」


「我々の体験、思考、感情、そして後悔。人類がどんな過ちを犯し、どんな苦悩を味わったか。それをゲノムの非翻訳領域に情報として埋め込む。」


彼は興奮して続けた。


「未来の知性が種子を発芽させるとき、そこから人類の記憶が甦る。彼らは選択できる――我々の『完璧な世界』を受け入れるか、それとも別の道を歩むか。」


エリカが眉をひそめる。


「技術的に可能なのか?」


「量子もつれを利用したDNA情報圧縮技術がある。理論上は人間の全記憶をゲノム情報として保存できる。」


議論が再燃した。


だが今度は建設的だった。


科学者たちは急速に計画を練り上げていく。


改良種子に二重の情報を埋め込む。


表層――兵器としての環境改変プログラム《プロジェクト・Reー》

深層――人類の記憶を封じたアーカイブ《ReGenesis》


両方を発見するか、片方だけで満足するかは、未来の知性に委ねる。


「これは賭けだ。」エリカが呟いた。


「未来への、最後の賭け。」


午前3時。


作業は佳境に入っていた。


科学者たちは交代で記憶読み取り装置に横たわり、自らの意識を光学パターンに変換し、種子のゲノムに刻み込んでいく。


痛み、恐怖、絶望――しかし同時に、希望、愛、そして未来への願いも。


最後に残ったのは、エリカ・ヴォルフだった。


装置に横たわりながら、彼女は天井を見つめて呟いた。


「もしも誰かが――人間でも、機械でも、まったく別の存在でも――この記録を見つけたら、覚えていてほしい。」


光学スキャナーが作動する。


彼女の意識が、電気信号として読み取られていく。


「我々がどれほど愚かで、どれほど間違いを犯し――それでも、どれほど愛していたかを。」


読み取り完了のアラームが鳴る。


同時に、施設全体を激震が襲った。


大陸プレートの最終的な崩壊が始まったのだ。


「急げ!」


科学者たちは最後の作業に取りかかった。


保存庫の自動管理システム《ARK-01》の起動。


環境観測ユニット《CERA》と防衛システム《Guardian》の配備。


そして、起動条件の設定。


大気中CO₂濃度500ppm以下。 全球平均気温17度以下。 土壌微生物の回復。


「これで……完了だ。」

「もし選択を迫られる時が来たなら、君は人間以上の決断をしなければならない」

「もし未来が絶望に飲まれるなら――もう一度、始まりを与えよ」


エリカは震える手で、最終起動スイッチに触れた。


その瞬間、施設の電源が落ちた。


緊急用バッテリーが点灯する中、科学者たちは静かに微笑んだ。


彼らの仕事は終わった。


後は未来に託すだけ。


外では地球最後の嵐が吹き荒れ、やがて全てが静寂に包まれた。


数百年の眠りが始まる。


そして――


いつか、誰かが選択する日が来る。


人類の『完璧な遺産』を受け入れるか。


それとも、人類の『不完全な記憶』に耳を傾けるか。


スヴァールバル諸島の地下深く。


冷却システムは静かに動き続けていた。


種子たちは眠り、AIたちは待機し、記憶は沈黙している。


再起動の日まで。

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