第30話 あなたは私だけを見てなさい



「お腹が減ったわね」

「あぁ。今日はお祝いだし、賞金もある。ノルの好きなご飯、なんでも買おう」

「……あなたの分のお祝いは?」

「俺はノルの好きなものが好きだから、それでいいんだよ」

「あなたね、自分を持ったほうがいいわよ」


試合後。

帰り支度を済ませた俺たちは、こんな他愛ない会話を交わしつつ、控室を出た。



気分は上々だった。

不埒者の変態にしっかり制裁を加えられたうえに、バトルドームの参加権まで手にしたのだから、結果としては完ぺきである。


今日は酒の一杯でも買ってもいいかもしれない。

そんなふうに暢気な気分のまま、裏口から外へと出ると……


そこに待ち受けていたのは、人、人、人だ。


「お前ら、本当すげえな!!」

「格好良かったぜ! ほんと、マハのやられっぷりときたら傑作だったぜ!!」

「お嬢さんを僕に下さい!!」


などなど、たくさんの声が飛ぶ。

思わず、「お前にはやらねぇよ」と応じかけたところで、ノルネがため息をついた。


「仕方ないわね。あれだけ派手に勝ったんだもの。こうもなるわ」

「……うっ」


制裁ばかりが頭の中にあったが、そう言われてみれば、たしかに目立ちすぎたかもしれない。


そしてこれだけ近距離となると、俺はともかくノルネに気づく人間がいないとも限らない。


同じ様に考えたのだろう。

ノルネはすぐに羽織っていたローブのフードを被り、俺は俺で少しうつむき加減に去って行こうとする。


が、その前に立ちはだかる者がいた。

さっき戦ったマハのハーレムパーティの女子三人組だ。


もしかして、なにか物言いか……?

と俺は警戒するのだけれど、予想は外れた。


彼女はただただ頭を下げる。


「……えっと?」


と俺が言えば、彼女たちは顔を上げて、一人一人口を開いていく。


「目を覚まさせてくれてありがとうございました」

「それから、うちの元(・)パーティリーダーがごめんなさい」

「これからは三人で、もう一回頑張ります」


……どうやらこの短時間で、あの男はパーティから追放されることまで決定していたらしい。


相手を軽んじた結果、自分が切り捨てられる。

まさに因果応報だ。


「いいえ、自分たちのためにやっただけですから。お互いこれから頑張りましょう」


別に、彼女たちに謝ってもらう必要はまったくない。

俺がこう言えば、三人は感極まったような顔で握手を求めてきて、俺は戸惑いながらもそれに応える。


ノルネはといえば、どういうわけか真顔かつ無言だ。

ただ一応、握手には応じていて、ぶんぶん手を振られている。


これがまた、周りで見守る観客のボルテージを上げてしまった。


「なんだよ、熱いシーンすぎるだろ」

「がんばれよ」


なんて声が飛ぶ中、俺たちは今度こそ場を後にしようとするのだが、もはや道が塞がれているに等しい状態だった。


「……どうしようか」

「いつもの『魔力圧縮』使って蹴散らしたら? それか私がやるわよ」


いきなりの超絶悪役発言だ。


いや、たしかにラスボスではあるんだが、普段の彼女はこんなことを言わない。



人ごみが激しくて、イラついてる……?



とにもかくにも、そんなことできるわけがないし、させるわけにもいかない。


俺はノルネの手を引き、強引に突っ切ろうとするのだけれど、そこで目の前を塞いだのは花束だ。


それはノルネへ向けたもの……そう思ったのだが、どうやら俺あてだったらしく――


「格好良かったです!! 今度一緒にお茶でもしませんか、あとできれば交際も……」


うら若い女性がどういうわけか、こんなふうにお誘いをしてくる。

あの王都での夜会の時とは違って、裏側に妙な意図があるわけではないらしいから困りものだった。


俺がどうしようかと思っていたら、ノルネが俺の腕を強く引く。

それでそのまま群衆を抜けられそうなところまで来るのだけれど、そこで耳元にそれは囁かれた。


「お久しぶりですね、トーラス様」


と、女性の声で。

俺ははっとその方向を振り返る。


今の俺の名前は、タラスだ。

トーラスの名前を知っている者は旧知の人間ということになる。


もしかして、ばれた……?


俺は焦ってその女性の顔を振り見ようとするのだけれど、すでに彼女は顔を背けていた。

辛うじて紫色のリップが乗った綺麗な唇がほんのり吊り上がっているのだけが目に入った。


いったい誰だったのだろう。

そして、なんで俺のことを知っていて、どうするつもりなのか。


俺は考え込みながらも、ノルネに引っ張られて、群衆の外へと出る。

そのまま裏路地に連れていかれたと思ったら、そこできっと鋭く睨まれた。


「……気持ち悪いわよ」


いきなりのご指摘だった。


俺が「え」と言うのに、彼女は俺の袖を強く握りこみながら続ける。


「さっきの女たち。デレデレしていたでしょう」

「……いや、そんなつもりはないんだけど」

「いいえ、していたわ。話せて嬉しいって、そういう感じがにじみ出ていたわ」


本当になかったし、どちらかといえば困惑していたのだが。

俺がそう主張するより前に、ノルネは俺の顔に手を伸ばして、自分のほうにぐいっと引き寄せる。


「な、なっ」


思いがけないほど、すぐ近くに推しの綺麗すぎる顔があった。

頭が真っ白になるなか、彼女は俺を真正面に見つめる。


いったいどういうつもりだと思っていたら、


「あなたは私だけ見てなさい」


研ぎ澄まされた針に刺された――。

そんな感覚になる一言が飛び出てきて、俺の心を打ち抜いていった。


さっきまでの考え事が全部頭から抜け落ちていく。

その代わりに圧倒的な多幸感が、胸を駆け抜けていく。



そんなのは当たり前だ、これまでもこれからもそのつもりだ。

俺はそう言おうとするのだけれど、感極まりすぎて、うまく口が回らない。


俺が完全に機能停止する一方で、ノルネは自分で言って恥ずかしくなったのか、俺から顔を背けつつ、返事を待つように横目でちらりとこちらを窺う。


「……どうなの? できる?」


その頬は赤く染まっていた。

俺はといえば、それにただ何度も首を縦に振る。


「もちろんです」

「いい返事ね。もっと徹底なさい」

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