第23話 「しもべ」でお願いします





ノルネがドレスを売って工面してくれたお金は、向こう数ヶ月は生活に困らないほどの大金だった。


それで俺たちは馬車を捕まえて、ひとまず次の少し大きな街まで進む。



馬車に揺られ続けるというのは、俺もノルネも慣れておらず、なかなかしんどいものがあった。


だから俺たちは、そこで宿に泊まることとする。



取ったのは、路地裏にある目立たない宿だ。



そして……


「えっと、俺もここでよかったのですか」

「仮にも親子なのでしょう? 同部屋が駄目な理由があれば教えて欲しいものね」


まさかの同部屋ときていた。


俺たちは、近くの露店で買ってきたいわゆる屋台ごはんをいただくこととして、机を挟んで向き合う。



これも、警備員と雇い主だったときでは、ありえないことだ。


単純に推しが近かった。


「ふふ、やっぱりお芋が美味しい」


広くはない室内だから、こんな小さな呟きが少し響くように聞こえるあたりが、二人きりであることを改めて意識させる。


俺はそれを誤魔化すため、無理に豚串を食べてみるが、ほとんど味がしなかった。


一方のノルネはといえば、特に気にしていなさそうだった。


「そろそろ満足ね」


彼女は伸びをしながら立ち上がって、ベッドに腰掛けると、そのままころんと転がってしまう。


「ふふ、食べる場所とベッドがこの距離っていうのもいいわね。はじめてかも」


そして、こんな無邪気なことを言い始める。


まぁたしかに、宿あるあるではあるけども。


そんなことが気にならなくなるくらいには、あまりにも無防備だ。



たとえば俺が悪い奴なら、劣情に駆られても、何らおかしくない。

俺の方から見れば、ほっそりとして光を弾くような太ももが露わになっていて、その奥側さえ、少し姿勢が変われば見えてしまいそうだった。



推しをそういう目で見てはいけない。



俺はかつて、そんな鉄の掟を自分に課していた。



推しはいるだけでいいのだから、勝手な欲の捌け口にするのは間違っているという信念の元だ。



そしてそれは、今も変わらない。


俺は無理矢理、彼女から視線を引き剥がす。


そのうえで、まったく食欲はなかったが、無理に干し芋を口に放り込む。


「ねぇ」


そこへ、こんな声がかかった。


俺は思わず咳き込んでから、背筋をぴんと伸ばす。


「な、なにでしょう」


震える声で返事をする。

……が、しかし。


「ふふ、なんにもないわ。呼んだだけ」


繰り出されたのは、一発でノックアウトされるレベルの強烈な返事だった。


しばらくは立ち直れなくりなりそうな、次元の違う可愛さだ。


俺はついつい頭を抱えてしまう。

それが滑稽だったのか、ノルネはくすりと笑う。


それから、


「楽しい」


なんて呟く。


「不安は不安だけど、自由に旅をして、夜まで好きなものを食べてお喋りする。こんなこと、これまで一度もなかった。だから、楽しいわ」


俺は少しはっとする。

たしかに、エレヴァン公爵家では、まず許されないことばかりだろう。


とくにノルネは、不幸を巻き起こす体質のせいか、一般的な貴族よりいっそう、自由がない中で過ごしてきているはずだ。



その過去は変えようがない。

だが、彼女が望むのならば、これからはそれを変えてやりたい。


「ノルネ様が常にそう思えるようにいたしますよ」

「ふふ。あなたはいちいち大げさね。じゃあ早速一つ、お願いがあるわ」

「なんなりとおっしゃってください」

「その呼び方、変えてくれる? 仰々しいうえに、誰かに聞かれたら面倒でしょう?」

「たしかにそうですね。では、どのようにお呼びしましょうか。お嬢? 姫?」


これなら、プレイヤーとして彼女を推していた時も、呼んだことがあるし、しっくりくる。


そう思ったのだが、反応は悪い。


「あなたが養女だって言いだしたのでしょう。もう少し考えてほしいものね」


それどころか、なかなかに手厳しいものだ。

ただまぁそれはそれで、俺としては結構いけるのだが。


なんて思っていたら、軽く間を空けたのち、彼女が切り出す。


「そうね、たとえば……ノ、ノルっていうのはどうかしら」


少し控えめな声だった。

それになにやら、つっかえている。


それで俺は、はっと気がついた。

実は、とんでもなく恥ずかしいことを言わせているのかもしれない。


俺はそれをリカバリーするべく、すぐに「えっと、いいですね!」と答えて、さらに続ける。


「では、ノル様……と呼ばせていただきます」

「様はなし。やり直し」

「では、ノル嬢……?」

「嬢もなし。やり直し」


なにを言わせようとしているか、俺はここでやっと理解する。


そして、恐れ多いと思いつつも、


「……ノル」


と口にした。


そしてそれは正しかったらしい。

彼女は手をついて、身体を起き上がらせると、俺をまじまじと見つめてくる。


「ねぇ、もう一回」

「え」

「いいから。もう一回よ」


どういう意図かはよく分からなかった。

だが俺はとりあえず、「ノル」と口にすれば、


「ふふ、頑張ったわね」


こう褒めてくれる。

あまりにも尊く、あまりにもありがたい言葉だった。

俺がそれに感じ入っていたところへ、


「あなたはどう呼ばれたい? あなたも、国賊扱いだから、変えないといけないわよ」


ノルネ、いやノルがこう尋ねてくるが、答えは決まっていた。


「しもべ、でお願いします」

「却下」

「え……。じゃあ、信者1?」

「なんで数字が入るの」


当然のごとく、俺の提案のすべてが却下される。


結果として、俺の呼ばれ方はトーラスから連想されて、『タラス』となった。


俺には不釣り合いなほど格好いいが、推しにつけてもらった名前だ。

これからは、この名前を大事にしていこうと俺は心を決めるのであった。


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