#037 夏期講習2時間目:機術の仕組み
「そもそも『機術』って、どういう原理で発動しているのか……その歴史のルーツに、触れていきましょうか」
彼女は、ホワイトボードに、人間の頭部の断面図のような、簡略化されたイラストを描いた。そして、その中心部を、赤いペンで力強く丸で囲む。
「これは、君たちの脳の中にある、無意識の領域……。私たちが『
量子演算野。さっきちらりとその名前が出てから、ずっと気になっていた単語だ。
「量子……演算野……?」
怜士くんも、怪訝そうに眉をひそめる。
「うん。すごく雑な言い方をするとね、人間の脳って、量子コンピュータみたいな機能を持ってるの。そして、機術を発動させるっていうのは、この脳内コンピュータを使って、『もしも、こうなったら?』っていう物理シミュレーションを、超高速で実行してるってことなのよ」
「え、えーと……?」
先生の言葉は、まるでSF小説の話のようだった。僕たちがポカンとしていると、彼女は僕に、人差し指を向けた。
「例えば、ハルくんが火を出したいとするでしょ? その時、ハルくんの脳は、無意識のうちに、こう計算してる。『この1立方メートルの空間にある、酸素と窒素の分子運動を、摩擦熱で急激に加速させたら、結果として何が起こるか?』ってね」
「ぼ、僕の脳が、そんな難しい計算を……?」
「そうよ。そして、そのシミュレーションで導き出された『結果』――つまり、『発火する』っていう未来予測だけが、現実世界に満ちている『ノエオン粒子』っていう特殊な素粒子を介して、現実の世界に『投影』される。その結果、目の前の空間で、本当に火がつく。……これが、機術が発動する、基本的なメカニズム」
「……量子力学における、『観測者効果』の応用、ですか」
それまで黙っていた真角くんが、初めて、興味深そうな声で呟いた。
「正解♡ やるじゃない、真角くん。そう、物事の状態は、観測されるまで確定しない。君たちの脳は、その『観測者』として、世界の物理法則を、意図的に『確定』させてるってわけ。だから、その『観測』の設計図となる、正しい物理学の知識がなければ、そもそも脳は正確なシミュレーションを組めないし、現象も不安定になる。君たちが、必死で物理の勉強をさせられてる理由は、これよ」
なるほど……。僕たちが今まで感覚的にやっていたことに、そんな複雑な原理があったなんて。
「すげぇな真角は……お前ぐらいだよこんな小難しい話を理解できるのは」
「まぁこういうのを普通は5年間かけて勉強していくものだから。今は真角くんくらいの天才じゃなきゃ理解できないのは当然。とりあえず今は話半分にこういう仕組みなんだ~。ってざっくり理解してるくらいで大丈夫よ」
そうやってフォローを入れた美王先生に、今度は杏那さんが口を挟んだ。
「でも、先生。でしたら、私たちが持たされているあのデバイスは何なんですの?」
杏那さんが言う通り、僕や杏那さんが持たされているメタモフォシス・ギアの他にも、一般的な生徒はデバイス……『アクシス・リアクター』を持たされている。その詳しい仕組みについては、良くは知らなかった。僕が使っているのがそれではない、というのもあるが。
「それに、玖代会長はあのデバイスを持っている様子は無かったのに機術を使っておりました。デバイスなしでも機術を使っていたのは、どうしてですの?」
そういえば……!玖代会長はデバイスを持っているところを一度も見たことがない。
「いい質問ね、杏那。それはね、このプロセスを自転車の練習に例えると、すごく分かりやすいわ」
先生は、楽しそうに説明を続ける。
「生まれたての赤ちゃんが、いきなり自転車に乗れないのと一緒。君たちも、最初は『脳で計算する』っていう感覚そのものが分からない。おまけに、計算式も知らない。だから、転ばないように『補助輪』が必要になる。それが、学園が君たちに貸与しているデバイス、『アクシス・リアクター』の役割よ。ちなみにアクシスって言葉には2つ意味があるんだけど、杏那、分かる?」
「えぇ。一つは『Axis』で『軸』という意味。もう一つは『Acsis』で、『Academia Crystallization Support & Interface System……学園による結晶化を支援する接続システム』、という意味ですわ」
「正解、流石杏那ね~」
彼女はホワイトボードに、名前の意味、そしてデバイスと脳の絵を描き加えた。
「デバイスは、君たちの脳に、正しい計算式のテンプレートを提示してくれる、ナビゲーションシステムなの。そして、君たちが計算する時の、余計な思考のノイズを取り除いてくれる、補助演算装置でもある。だから、デバイスがあれば、初心者でも、ある程度は安全に機術が使えるようになる」
「じゃあ、訓練する意味っていうのは……」
「もちろん、『脳の筋トレ』よ」と、先生は即答した。「訓練を積めば、君たちの脳には、正しい計算のための『回路』が形成されていく。何度も同じ計算を繰り返すことで、脳がそのプロセスを覚えて、より速く、より正確に、シミュレーションを実行できるようになる。そして、最終的には、補助輪がなくても、自分の力だけで、自由自在に自転車を乗りこなせるようになる。……これが、君たちが目指すべき、デバイスからの『卒業』よ。ま、流石にその極地まで至れるのはごく一部。この学園でもせいぜい10%ってところかしらね~。そのほとんどが4、5年生だから、3年生の現段階で既にデバイスから卒業してる静葉ちゃんは相当なものよ。そりゃ生徒会長も任されるわけね。あの子の場合、勿論人柄もあるけど」
僕たちはようやく、この学園の教育方針の、本当の意味を理解した。デバイスは、あくまできっかけ。本当の力は、僕たち自身の内側に眠っているのだ。
「さて、その上で、次の話よ」
先生は、ホワイトボードに、大きな三角形を描いた。
「君たちが使ってる機術は、その『現象化のベクトル』によって、大きく三つの系統に分類できる。私はこれを『
彼女は、三角形の各頂点に、それぞれ『放出系』『賦活系』『干渉系』と書き込んでいく。
「まず、一番分かりやすいのが、『放出系』。火を出したり、氷を作ったり……。要するに、自分の外側の世界に、何かを『投影』するタイプの機術のこと。静葉ちゃんや書記の美羽ちゃんが得意なのが、この系統ね。これは、自分の周囲の環境にある素粒子に、直接『こうなれ』って命令するわけだから、視覚的にも派手だし、広範囲を攻撃するのに向いてる。真角くんの使う機術もメインはこれね」
なるほど、だから玖代会長は、あれだけ大規模な水の龍を出せるのか。大気中には、水分が豊富にあるからだ。
「次に、君たちみたいな特別な生徒に多いのが、『賦活系』」
先生は、僕、杏那さん、そして怜士くんを、順番に指差した。
「自分の肉体を強化したり、身につけている装備に、特殊な能力を『与える』タイプの機術。ベクトルが、自分の内側に向いているのが特徴よ。副会長の龍弥ちゃんの超人的な身体能力も、怜士くんの時間知覚加速も、これに分類されるわ」
「俺のも、ですか?」
「そうよ。あれは、『自分の脳の認識速度を、0.01秒間だけ100倍に加速させろ』っていう、極めて精密な自己暗示……自己へのシミュレーションなの。だから、自分の体の構造とか、限界を、誰よりも深く理解していないと、自滅する危険な技でもある。――そして、ハルくんの『メタモフォシス・ギア』や、杏那の重力操作も、この賦活系の一種。自分の身体や、身につけたドレスの原子構造に、直接干渉して、特殊な性質を与えているわけ」
言われてみれば、僕も杏那さんも、何かを外に出すというより、自分自身や、自分の周りの空間に、変化を起こしている。
「そして、最後が、最も特殊で、最も才能を要求される、『干渉系』」
先生の声のトーンが、少しだけ真剣になる。
「これは、目に見える物質やエネルギーじゃない。人の心や、電子情報、果ては『運』みたいな、非物理的な『概念』に直接アクセスする機術のこと。生徒会では、会計の慧理ちゃんがこのスペシャリストね。彼女のハッキング能力は、ただのプログラミング技術じゃない。サーバー内の電子データの『量子状態』に、彼女自身の脳が直接同期して、情報を書き換えてるのよ」
「そんなことまで……運を操作するなんて、そんなことができるんですか?もはや、魔法としか思えません」
「高度に発達した科学は魔法と見分けがつかない、とはよく言いますからね。量子力学の概念を用いれば、それを科学的に説明することは可能です。が……」
「あー、いやいいって今は。どうせ説明されたところで絶対分からん」
「怜士くんの言う通りねぇ。そのうち習うことだし、まだ力学、電磁気学といった古典物理学もまだまだ学んでる最中なのに量子力学とか言われてもさっぱりだろうから、今はそれは置いといて、あたしの講義に集中してちょうだい」
美王先生にそう言われると、真角くんは黙った。
「話を戻して……さっき説明した三つの系統の、どれが得意かは、君たちの脳が持つ『演算方式の癖』によって、生まれつき、ある程度は決まっているわ。でも、それはあくまで『得意・不得意』の話。訓練次第で、どの系統の力も、ある程度は引き出すことができる。……どうかしら。自分の力が、どの系統に属していて、これから何を学ぶべきか、少しは道筋が見えてきた?」
美王先生の講義は、僕たちが今まで、ただ漠然と力として認識していたものに、明確な名前と、理論的な裏付けを与えてくれた。
自分の現在地を知ること。
それが、まだ見ぬ高みへと至る、最初の、そして最も重要な一歩なのだと、僕たちは、この時、確かに学んだのだった。
僕の磁力は、『放出系』と『賦活系』の中間だろうか。
杏那さんの重力も。
怜士くんは、完全に『賦活系』。
そして、真角くんは……物理学の方面から、機術をマスターしようとしている彼は、この全ての系統を、自在に応用しているのかもしれない。
美王先生の講義は、僕たちの脳裏にこびりついていた機術というものの曖昧なイメージを、鮮やかな理論の光で照らし出してくれた。僕たちの力が、どこから来て、どこへ向かうのか。その道筋が、ようやく、はっきりと見えた気がした。
だが、一つの道筋が見えれば、当然、別の道との違いが気になってくる。
僕の心の中に、ずっと引っかかっていた、あの戦いの記憶が。
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