#006 戦う乙女のプレリュード

「「ひ、ひぃぃぃ……!」」

「うっぜぇんだよっ! どいつもこいつも俺が悪いって……! 俺は悪くねぇ! 俺は常に正しいんだ! 間違ってるのは、お前らの方だあああああ!」

 金属が引き裂かれる音が響く後方車両へ踏み込むと、そこには異様な光景が広がっていた。隅で震えおびえる数人の乗客と、その中央で禍々しいデザインの大鎌を振り回す、陰鬱な雰囲気の青年。その腕には不気味な痣のような紋様が浮かび上がっている。あれが、力の源か……!

「……なんだよ、その格好。コスプレか? 俺を止めようってんなら、あまりにふざけすぎだろ」

 青年は、僕たちを嘲るように鼻で笑った。まぁ、今の僕たちを見れば、だれがどう見てもそういう感想になるだろう。

 杏那さんは、黒を基調としたフリルとレースが幾重にも重なる、まるで舞台衣装のようなゴシックドレス姿へ。ドリルツインテールと相まって、さながら戦うお姫様だ。

 そして僕は——漆黒のワンピースに純白のエプロン、頭にはひらひらのカチューシャ。腰のレザーホルダーに収められた二振りのダガーがなければ、どこからどう見ても可憐なメイドだった。

「ふざけてなどおりませんわ。貴方こそ、一体何故このような蛮行を?」

 杏那さんが毅然とした態度で問いかける。

「こいつらのせいだよ! まずそこの女が俺を痴漢呼ばわりしやがった! そしたら周りの奴らも一斉に俺を犯人扱いしやがったんだ! だから……だから……!」

 男の目が、狂気的な光を宿す。どうやら、彼自身もこの状況を制御できていないらしい。

「だ、だって! 本当にお尻を……!」

「そうだ! あんたの手が伸びてくるのが見えたんだ!」

「うるさい! 黙れ黙れ黙れぇっ!」

「きゃあっ!」

 激昂した男が、無差別に大鎌を振り回す。鋼鉄の車壁が、バターのように切り裂かれた。

「晴人さん!」

「えぇい、大人しくなさいな!」

 杏那さんがすっと左手を差し出す。

「その足枷に跪きなさいな!『ヘヴィ・アンクレット』!」

 瞬間、男の足元の空間がぐにゃりと歪んだように見え、彼はバランスを崩して床に片膝をついた。

「なっ……なんだこれ……! 足が、鉛みたいに重……動かねぇ……!」

「今ですわ、晴人さん! 皆さんの避難を!」

「は、はい! 皆さん、今のうちに早く!」

 男が動けなくなった隙に、残っていた乗客たちが一斉に前方車両へと駆け込んでいく。

「な、舐めんじゃ……ねぇ……ぞおおおぉっ!」

「くっ……!」

 全員が避難し終えた、その時だった。男が獣のような咆哮と共に無理やり体を起こし、力任せに振るった鎌から、黒い三日月状の衝撃波が放たれる。それを咄嗟に回避したことで、杏那さんの拘束が解けてしまった。僕たちが避けた衝撃波は、電車の壁を紙のように切り裂き、外の景色を覗かせる。

 ……あんなものが、人に当たったら……! 背筋が凍る思いだった。

「おお……すげぇ……こんなこともできんのかよ、これ……! よくも邪魔してくれたな。まずはお前らからズタズタにしてやらぁ!」

 力を確信した男が、再び鎌から衝撃波を放つ。その狙いは、真っ直ぐに杏那さんへ——!

 そう認識した瞬間、僕の体は、思考より先に走り出していた。彼女の前に、立たなければ。守らなければ。

「晴人さんっ!」

 杏那さんの鋭い声。彼女が僕の体に触れると同時に、ふわりと体が軽くなる不思議な感覚に包まれる。杏那さんは僕を抱えるようにして、まるでワルツを踊るかのように優雅に後方へと跳躍。衝撃波は、僕たちのいた床を抉りながら通り過ぎていった。

「晴人さん……! 私のことは大丈夫ですから、それよりも彼を!」

「ご、ごめん……! 杏那さんが危ないって思ったら、つい……。でも、どうすれば……あの鎌相手に、このナイフじゃリーチが違いすぎる……」

「私の指示通りに。そのナイフを、彼に向かって投げるのです」

「投げる……?」

「えぇ。貴方はただ、投げるだけでよろしい。——後の軌道は、私が縫い合わせますわ」

 重力を操る、と言っていた彼女の言葉を思い出す。僕は頷いた。

「……わかった。杏那さんを、信じるよ!」

 腰のホルダーから二本のダガーを引き抜き、渾身の力で男へと投げつける。

「はっ! そんなの、簡単に叩き落としてやるよ!」

 男が鎌でナイフを薙ぎ払おうとする。だが——。

「——『マス・ステッチ』!」

 鎌に当たる寸前、二本のナイフは物理法則を無視した軌道で鋭くカーブし、加速し、まるで吸い寄せられるように男の両腕へと突き刺さった。

「な、なんだと!? ぐあああああっ! う、腕があああああ!」

 大鎌が床に落ち、甲高い金属音を立てる。好機と見て踏み込もうとした僕を、杏那さんが手で制した。

「晴人さん、後は私が。下がっていてくださいまし」

 その声には、有無を言わせぬ響きがあった。「わかった」とだけ呟き、僕は身を引く。

 杏那さんは男に向き直ると、優雅にスカートの裾をつまみ、一礼した。

「それでは、これで終わりにいたしましょう。痴漢をはたらくような殿方に、相応しいフィナーレをご用意いたしましたわ」

 言うが早いか、彼女はくるりと男に背を向け、深く腰をかがめる。その姿勢は、まるで陸上のクラウチングスタートのようだ。しかし、その先に待つのはゴールテープではない。

「我が歩みに風の雅を! 『エアリアル・ステップ』!」

 次の瞬間、杏那さんの体が壁を蹴って、砲弾のように射出された。

「あがぐふおっ!?」

 一直線に飛翔した彼女の豊満なヒップが、がら空きの男の胴体に、強烈な一撃となって叩き込まれた。

「ふふっ……。貴方が待ち望んだ、女性のお尻の威力は、いかがでしたこと?」

 壁に叩きつけられ、白目を剥いて崩れ落ちる男を見下ろし、杏那さんは悪戯っぽく微笑んだ。

 ……羨ましい奴め、と不謹慎にも思ってしまったのは、ここだけの秘密だ。

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