天の栫~宵待ちの螢~

熊掛鷹

序章

宵待ちのうた

 月は、夜の深奥にその身を沈め、満ちた光が奥山の梢を青く染めていた。

 山は黙して語らず、微かな風が、古木の間を縫うようにして、遠い記憶の残響を運んでいた。

 白衣びゃくえ童女どうにょが、枝に腰を掛け、鏡を腕に抱き、声も細く、歌を紡ぐ。


「いろはに ほへど ちりぬるを わがよ たれぞ つねならむ」

 その響きは、失われた祈りを呼び覚ますように、夜の底を渡っていった。

 星屑の光が枝葉を照らし、童らの魂は、ただそこに留まっていた。

 カラン、カラン――

 錫杖しゃくじょうの音が静寂を裂き、月光の中に、山伏の影が浮かび上がる。

 霞のような童の霊は、歌に揺れ、光に溶けるように漂う。

 月影は篠の白衣の裾を染め、鏡に映る星がひときわ強く閃いた。

「丑の刻、死霊に満ちた奥山に、白衣の童女がひとり……不可思議なことだ。そなたはヒトか、モノノケか?」

 山伏の声には、死霊の気配に震えつつも、師の教えを追う執念が滲んでいた。

 少女は微笑み、目を伏せたまま、静かに答える。

かんなぎでございます。梓巫女あずさみこしのと申すものです」

 人か、モノノケか――

 そう問う声に、篠はただ、昔から在ったように、枝の上で風に揺れていた。

 やがて瞳がゆるやかに開かれ、その奥に、幾千の祈りの影が宿る。


 山は語らず、ただ巫の声に耳を傾けた。

 

 月は、ただ光っていた。


 されど今、はじまる。

 語られぬ祈りの、最初の一節――

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