第22話
グレンが王都へ旅立ってから、数日が過ぎました。
私はバーンズ子爵からの返事を、今か今かと待っています。
その間も私たちの薬作りの研究は、着々と進んでいました。
ホーウェルさんは、本当に物知りな賢者様です。
彼の知識はまるで底なしの泉のように、次から次へと湧き出てきました。
「薬の効果を長持ちさせるにはな、この樹の樹脂を少し混ぜるとよいのです。」
「香り付けにはあの崖に咲く花の蜜を使うのが、一番上品に仕上がりますぞ。」
彼の助言のおかげで、私たちの薬は日に日に品質が良くなっていきます。
ノームたちも調合の腕を、めきめきと上げていました。
最初は分量を間違えたり、火加減を失敗したりもしました。
でも今では私がいなくても、完璧な薬を作れるようになっています。
特に薬草が得意な若いノームは、もはや職人の域に達していました。
「主殿、この配合はいかがでしょうか。」苦味を消すために、甘い香りの葉を加えてみました、と彼は言います。
「まあ、素晴らしいわ。あなたも、立派な薬剤師ですわね。」
そんなやり取りが、私たちの日常になっていました。
薬草園も、驚くほどの広さになっていました。
新しく仲間になったユニコーンの親子が、聖なる力で土地をさらに豊かにしてくれたのです。
彼らが優雅に歩いた場所には、必ずと言っていいほど珍しい薬草が芽吹きました。
私の楽園はもはや世界一の、薬草の宝庫と言っても良いでしょう。
「これなら、たくさんの薬を安定して作れそうだわ。」
私はどこまでも続く緑豊かな薬草園を見渡し、満足そうにつぶやきました。
動物たちも、収穫を手伝ってくれます。
みんなで力を合わせて、一つの目標に向かっていく。
その一体感が、とても心地よくて嬉しかったのです。
そんなある日の、夕暮れ時でした。
西の空から待ちわびていた、大きな翼の影が舞い戻ってきます。
それは夕焼けの光を浴びて、金色に輝いて見えました。
「グレン!お帰りなさい!」
私は思わず、家の外へ駆け出しました。
ルーンも私の後ろから、嬉しそうについてきます。
グレンは私の前に、静かに降り立ちました。
その表情は、とても晴れやかでした。
『主様、ただいま戻りました。』バーンズ子爵からの、お返事です、と彼は言いました。
彼はくちばしにくわえていた一通の手紙を、私にそっと差し出します。
私は高鳴る胸を抑えながら、その手紙の封を切りました。
手紙にはバーンズ子爵の、誠実な人柄がにじみ出るような美しい文字が並んでいます。
彼は私の計画に、全面的に協力してくれると固く約束してくれていました。
そして王都で最も信頼が厚いと言われる、『白鹿商会』の会頭を紹介してくれると書かれています。
「白鹿商会、ですって。」なんだか、縁起の良い名前ですわね、と私は言いました。
「ホーウェルさん、ご存知なのですか。」
「うむ。その商会なら、わしも聞いたことがあります。」非常に誠実な商売をすることで、有名なのですな、とホーウェルさんはうなずきました。
「先代の会頭は私財を投じて、貧しい人々のための施療院を建てたとか。」
「そこなら我々の薬の価値を正しく理解して、悪用することもあるまい。」安心して任せられるかもしれません、と彼は続けました。
ホーウェルさんのその言葉に、私は心の底からほっとしました。
バーンズ子爵は、本当に素晴らしい相手を見つけてくれたようです。
手紙には、こうも書かれていました。
「まずは白鹿商会の会頭に、薬のサンプルをいくつか見せたい。」
次の満月の夜に森の入り口で、受け渡しはできないだろうか、と。
もちろん断る理由など、どこにもありません。
初めての、本格的な商談です。
私は少しだけ緊張しながらも、その日に向けて最高の準備をしようと決めました。
「ホーウェルさん、商談に向けて色々と相談に乗ってくださいませんか。」
「もちろんですとも。」主殿の知恵袋として、存分にお使いくだされ、と彼は快く引き受けてくれました。
それから満月の夜までの数日間、私たちは商談の準備に追われます。
まずは、薬の価格を決めなければなりません。
材料の貴重さや作るのにかかる手間を考えると、本当はかなり高価なものになるはずです。
「わしらが汗水流して作った薬じゃ。」安売りは、したくないのう、とノームの一人が言いました。
彼の言うことも、もっともです。
でも私は、たくさんの人に使ってほしいと思いました。
貴族やお金持ちだけのための薬には、したくなかったのです。
ホーウェルさんと何度も話し合った結果、私たちは薬の価格を三段階に分けることにしました。
富裕層向けには特別な薬草をふんだんに使った、最高級品を用意します。
一般の方向けには効果はそのままに、少しだけ値段を抑えたものを作りました。
そして貧しい人々のためには、ほとんど原価に近い価格で提供する薬を用意したのです。
これなら誰もが、私たちの薬の恩恵を受けられるはずでした。
私のその考えに、ノームたちも最後には納得してくれました。
次に考えたのは、薬を入れるための容器です。
せっかくの、素晴らしい薬です。
入れるものも、それにふさわしい特別なものにしたいと思いました。
「ノームさん、お願いがあるのですが。」
私はノームの代表に、相談を持ちかけました。
私のその願いを聞くとノームたちは、「お安い御用じゃ」と、にっこり笑ってくれます。
そして、数日後。
彼らが作り上げてきたものは、私の想像をはるかに超えるほど素晴らしいものでした。
風邪薬を入れる、ガラスの小瓶。
それはシルフの魔法で、淡い虹色に輝いています。
胃腸薬を入れる、陶器の壺。
表面には土の精霊の紋様が、美しく描かれていました。
そして塗り薬を入れる、木の小箱。
蓋には私の花壇に咲く、花の模様が見事に彫刻されています。
どれもが一つ一つ、職人の手による芸術品のような出来栄えでした。
「まあ、なんて素敵なんでしょう。」これなら薬の効果も、さらに上がりそうですわ、と私は声を上げました。
私はその美しい容器を、うっとりと眺めました。
これなら白鹿商会の会頭も、きっと驚くに違いありません。
いよいよ約束の、満月の夜がやってきました。
森の入り口にはバーンズ子爵と、もう一人人の良さそうな紳士が待っています。
彼が、白鹿商会の会頭であるゲオルグさんなのでしょう。
その目はとても誠実そうで、信頼できそうな人物に見えました。
私は前回と同じように、少し離れた丘の上からその様子を見守ります。
今回はホーウェルさんが、私の代理として彼らの前に姿を現しました。
賢者のフクロウが、流暢な人間の言葉を話します。
その光景にゲオルグ会頭は、腰を抜かすほど驚いていたようです。
「これは、これは。」森の賢者様、とお見受けいたします、と彼は言いました。お噂はかねがね、と続けます。
彼はそれでも、すぐに落ち着きを取り戻しました。
そしてホーウェルさんに向かって、深々と頭を下げます。
さすがは、大商会の会頭です。
普通ではありえない状況にも、冷静に対応できるのでしょう。
ホーウェルさんは私たちの作った薬のサンプルと、価格表を彼に手渡しました。
ゲオルグ会頭はまずその美しい容器に、感嘆の声を漏らします。
そして薬そのものの清らかな香りと、秘められた強大な力にさらに目を見開いていました。
「素晴らしい。これほど清浄な気を放つ薬は、生まれてこの方見たことがございません。」
「これは、まさに奇跡の霊薬ですな。」聖水に、勝るとも劣らない、と彼は興奮した声で言いました。
そしてホーウェルさんから私たちの薬の販売方針を聞くと、さらに深く感動したようです。
「なんと、貧しい人々のためにも薬を安く提供すると。」エリアーナ様は、まさに慈愛の女神様のようなお方ですな、と彼は言いました。
彼は森の奥に向かって、深々と頭を下げました。
その感謝の気持ちが、私にもひしひしと伝わってきます。
「この話、ぜひとも我が白鹿商会にお任せいただきたい。」
「エリアーナ様のその尊いお心を、必ずや王国全土へとお届けしてみせます。」
彼は力強く、そう宣言してくれました。
こうして私たちの初めての商談は、大成功のうちに終わったのです。
ゲオルグ会頭はサンプルの薬を、まるで宝物のように大切そうに抱えて王都へと帰っていきました。
彼の後ろ姿は新しいビジネスへの、希望と情熱に満ちあふれています。
私は丘の上から、その様子を静かに見送りました。
私の作った薬がこれから、たくさんの人の元へ届けられる。
そう思うと、私の胸は温かい喜びでいっぱいになりました。
私の楽園から始まった小さな親切が、今ゆっくりと世界へと広がろうとしていました。
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