第11話

私の答えを、森の静寂が待っていました。

目の前では、この国で最も偉い人間の一人である宰相閣下が、深く頭を垂れています。

その後ろでは、実の父であるはずの侯爵が、小さくなっていました。

彼らの後ろに控える騎士たちも、皆一様に膝をついています。

その光景は、あまりにも現実味がありませんでした。

ほんの少し前まで、私は彼らにとって役立たずの存在だったはずです。

石ころのように、簡単に捨てられてしまうような。

それが今、国の命運を握る救世主として、懇願されているのですから。


「……」


私は、すぐに言葉を返すことができませんでした。

王都を救う。

その言葉の重みが、私の肩にずっしりと圧し掛かってきます。

私を捨てた人たちのために、どうして私が力を貸さなければならないのでしょう。

そんな思いが、胸の奥で渦巻いていました。

グルルル……。

私の足元で、ルーンが低い唸り声を上げました。

空の上では、グリフォンさんが翼を広げ、いつでも飛びかかれる体勢で使節団を睨んでいます。

森の木々の間からも、動物たちの警戒する視線が、無数に突き刺さっていました。

私の仲間たちは、皆、この者たちを敵だと認識しています。

彼らが、私の穏やかな生活を脅かす侵入者だと、そう言っているのです。

私も、同じ気持ちでした。


「……お話は、分かりました」


長い沈黙の後、私はかろうじて、そう声を絞り出しました。

その一言に、宰相閣下が、びくりと顔を上げます。

その目には、かすかな希望の光が宿っていました。


「ですが、今すぐにお返事はできません。少しだけ、考える時間をいただけますでしょうか」


私の言葉に、宰相閣下の顔に、失望の色が浮かびました。

しかし、彼はすぐにそれを押し殺し、再び深く頭を下げます。


「……もちろんでございます。エリアーナ様のお心を、急かすようなことは決して。我らは、エリアーナ様のお答えを、いつまでもお待ちいたします」


彼らに、他の選択肢はないのでしょう。

私はこくりと頷くと、彼らに背を向けました。


「この森の奥は、私たちの家です。許可なく、立ち入ることはお許しできません」

「皆さんは、この入り口の近くでお待ちください」


それは、拒絶でありながら、同時に、彼らの滞在を許す言葉でもありました。

凍える夜の森に、彼らを放置するほどの非情さを、私は持ち合わせていなかったのです。

宰相閣下は、私のそのささやかな温情に、深く感謝しているようでした。

「ありがたき、お言葉にございます」


私は、それ以上何も言わずに、仲間たちと共に森の奥へと戻りました。

私の後ろを歩く父が、何か言いたげに、私の背中を見つめていた気がします。

でも、私は一度も、振り返りませんでした。


家に帰ると、カイたち村の若者たちが、心配そうな顔で駆け寄ってきました。


「リゼット様! 大丈夫でしたか!?」

「あの人たち、一体何しに来たんですか?」


「ええ、大丈夫よ、カイ。心配してくれてありがとう」


私は彼らを安心させるように、にっこりと微笑みました。

そして、ことの経緯を、簡単に説明します。

私が、王都から追放された侯爵令嬢であること。

そして、彼らが、私に助けを求めに来たということを。

話を聞き終えたカイたちは、一様に、怒りを露わにしました。


「ひでえ話だ! 勝手に追い出しといて、困ったら助けてくれだなんて!」

「そうだそうだ! リゼット様が、あんな奴らのために、力を貸す必要なんてねえよ!」


彼らは、私以上に、私のことを思って、憤慨してくれています。

その気持ちが、とても温かくて、嬉しかったです。


「ありがとう、みんな。でも、これは、私自身が決めることだから」


私がそう言うと、カイは少しだけ不満そうな顔をしました。

しかし、すぐに何かを理解したように、力強く頷きます。


「……分かった。でも、俺たちは、いつだってリゼット様の味方だ。それだけは、忘れねえでください」


「ええ、分かっているわ」


その夜、使節団は、森の入り口で、頼りない焚き火を囲んでいました。

精霊さんたちは、私の言いつけを守り、彼らに直接的な攻撃はしていません。

しかし、間接的な嫌がらせは、存分に行っているようでした。


『あいつらの薪、全部湿気らせてやろーぜ!』


風の精霊シルフたちが、楽しそうに、湿った風を送り込んでいます。

おかげで、彼らの焚き火は、煙ばかりで、ほとんど燃え上がっていません。


『夜中に、不気味な獣の鳴き真似でもして、脅かしてやるかのう』


土の精霊ノームたちも、何やら悪戯を企んでいるようです。

彼らなりのやり方で、私を守ろうとしてくれているのでしょう。

私は、新しくできた家の窓から、そんな彼らの様子を、静かに眺めていました。


翌日、父であるクライネルト侯爵が、一人で、私の家を訪ねてきました。

森の仲間たちは、彼を警戒して、家に入れようとしません。

しかし、私はそれを制止し、リビングへと通しました。

二人きりになるのは、王城で婚約破棄を言い渡されたあの日以来です。

テーブルを挟んで向かい合っても、しばらく、気まずい沈黙が続きました。

先に口を開いたのは、父の方でした。


「……立派な、家だな」


その声は、ひどく弱々しく、私の知っている父の声ではありませんでした。


「精霊さんたちと、村のみんなが、手伝ってくれたんです」


「そうか……。お前は、ここでお前の居場所を、見つけたのだな」


父は、どこか寂しそうに、そう言いました。

そして、深く、深く、頭を下げます。


「エリアーナ……すまなかった。本当に、すまなかった」


それは、心の底からの、謝罪の言葉でした。


「私は、お前を守ってやることができなかった。王太子殿下の言葉に逆らうことを恐れ、クライネルト家の安泰を、お前の幸せよりも優先してしまった。父親失格だ」


涙ながらに語る父の姿に、私の心は、少しだけ揺らぎました。

彼もまた、貴族社会という、窮屈な檻の中で、苦しんでいたのかもしれません。

でも、だからといって、簡単には許せませんでした。


「……お父様。私は、あなたを許すことは、できません」


私は、静かに、しかしはっきりと、そう告げました。


「私は、あなたに、家族として、見てもらえていなかった。クライネルト家の、役立たずの駒としてしか、見られていなかった。その事実が、私には、何よりも辛かったのです」


父は、何も言い返せませんでした。

ただ、嗚咽を漏らすだけです。

私は、そんな父の姿から、目を逸らしました。


「王都の、疫病のことですが……。そんなに、ひどい状況なのですか?」


話題を変えるように、私は尋ねました。

父は、涙を拭うと、重々しく頷きます。


「ああ。もはや、地獄だ。毎日、何百という民が、命を落としている。高熱と、激しい咳にうなされ、やがて、黒い痣が全身に浮かび上がり、死に至る。医者も、神官も、なすすべがない」


その光景を思い浮かべて、私は、ぞっとしました。

罪のない人々が、そんな苦しみの中で、死んでいっている。


「聖女ミレイは、どうしているのですか?彼女の光の魔法でも、治せないのですか?」


「ミレイ嬢の力は、魔物には絶大だが、病には、ほとんど効果がないようだ。今では、民衆から、『偽物の聖女』と、罵られる始末。アルフォンス殿下も、その焦りからか、日に日に、言動が荒くなっておられる」


王都は、疫病だけでなく、政治的にも、混乱の極みにあるようです。

自業自得、と言ってしまえば、それまでかもしれません。

でも、苦しんでいるのは、彼らだけではないのです。


「エリアーナ。頼む。お前の力で、国を……いや、民を、救ってはくれまいか」


父は、再び、私に頭を下げました。

その必死な姿に、私は、何も答えられません。

私が助けなければ、たくさんの人が死んでしまう。

でも、助ければ、私はこの穏やかな生活を、手放さなければならなくなるかもしれない。


私は、どうすればいいのでしょうか。

答えは、まだ、見つかりそうにありませんでした。

父との気まずい会話を終えた私は、気分転換に、森の散策に出かけることにしました。

もちろん、ルーンも一緒です。

私の少し沈んだ気持ちを察してか、ルーンは、いつもよりぴったりと、私の足に寄り添って歩いてくれました。

その温かさが、私の心を、少しだけ、軽くしてくれます。

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