第7話

アルフォンス殿下でんかたちが森から去っていく。

今まで張り詰めていた空気が、ふっと緩んだのが分かりました。

森を覆っていた不穏な気配は、すっかり消え去っています。

私は木の陰から姿を現し、ルーンの元へと駆け寄りました。

「ルーン、大丈夫だった? 怖くなかった?」

私がその小さな体を抱きしめると、ルーンは「わふん!」と元気よく鳴きます。

そして私の頬をぺろりと舐めました。

その仕草は、まるで「僕がついているから大丈夫だよ」と言ってくれているかのようです。

本当に、頼もしくて可愛い私の守護者しゅごしゃです。

周りを見渡せば、動物たちもそれぞれの隠れ場所からひょっこりと顔を出していました。

みんな、心配そうにこちらを見ています。

『もう大丈夫だよ』

風の精霊せいれいシルフたちが、優しい声で森全体に告げてくれました。

その声を聞いて、動物たちは安心したように私の足元へと集まってきます。

私はしゃがみこみ、一匹一匹の頭を優しく撫でてあげました。

「みんな、ありがとう。怖がらせてしまって、ごめんなさいね」

私の言葉に、動物たちは「そんなことないよ」と言うように私の手にすり寄ってきます。

そのぬくもりが、私の心も温めてくれました。

地面からは、ノームたちもひょっこりと顔を出しています。

あるじ殿どのに怪我がなくて、何よりじゃ」

「あの無礼者どもめ、わしらがもっと懲らしめてやればよかったわい」

ノームたちは口々にそう言って、私の身を案じてくれました。

「うふふ、ありがとうございます、ノームさん。でも、十分ですよ」

「きっと、もうここには近づかないでしょう」

彼らが森を傷つけようとした時は、本当に腹が立ちました。

でも、私の楽園らくえんを守ることができた今、怒りの気持ちはすっかり消えています。

それよりも、みんなが私のために力を貸してくれたことが、嬉しくてたまりません。

「本当に、ありがとう、みんな」

心からの感謝を伝えると、精霊せいれいも動物たちも、嬉しそうに声を上げました。

私とこの森の住人たちとの間に、また一つ、強いきずなが生まれたような気がします。


家に帰る途中、私は先ほどのアルフォンス殿下でんかたちの会話を思い出していました。

疫病えきびょうを解決する手がかり』。

彼らは確かにそう言っていました。

王都おうとでは、何か悪い病気が流行っているのでしょうか。

ミレイ様の聖なる力でも、どうにもできないほどの。

私を追放した人たちのことです。

正直、どうなってもいい、という気持ちがないわけではありません。

でも、王都おうとには、罪のない普通の人々もたくさん暮らしているのです。

貴族きぞくだった頃、街へお忍びで出かけた時のことを思い出します。

親切にしてくれたパン屋のおじさん。

可愛い刺繍ししゅうの入ったハンカチを売っていた、笑顔の素敵なおばあさん。

そんな人たちの顔が、次々と脳裏に浮かびました。

彼らが、病気で苦しんでいるかもしれない。

そう思うと、少しだけ胸が痛みます。

「私に、何かできることがあるのかしら」

私のスキル、【清浄せいじょう】。

この力は、のろいだけでなく、けがれそのものを祓うことができます。

もしかしたら、病気の原因となっているけがれも、浄化できるのかもしれません。

でも、どうやって?

私から王都おうとへ出向くなんて、絶対に嫌です。

あの息苦しい場所には、もう二度と戻りたくありません。

それに、私が出ていけば、きっとまたアルフォンス殿下でんかたちが、この森の力を利用しようと企むに違いないのです。

この穏やかな生活を、乱されたくはありませんでした。

「今は、考えるのはやめましょう」

私には、守るべき大切な場所と、家族ができたのですから。

王都おうとの心配よりも、まずは自分たちの生活を豊かにすることの方が、ずっと重要です。

私は頭を切り替えて、今日の夕食の献立に意識を集中させることにしました。


家に帰ると、ノームたちが作ってくれた立派な暖炉だんろに火をおこします。

今日のメニューは、野菜たっぷりのポトフです。

畑で採れたばかりのニンジンとカブを鍋に入れます。

それから新しく実をつけたジャガイモもどきの芋も、大きめに切って加えました。

森で採れた香りの良いハーブと、岩塩で味を調えれば、あとはことこと煮込むだけです。

美味しい匂いが、家の中に満ちていきます。

その日の夜、私はとても不思議な夢を見ました。

誰かが、私を呼んでいます。

優しくて、温かい声です。

『こちらへ……こちらへ……』

声に導かれるまま、私は夢の中で森の奥深くへと歩いていきました。

たどり着いたのは、苔むした大きな岩がいくつも転がっている、小さな広場のような場所でした。

その中心で、ひときわ赤く輝く石が、ぽつんと置かれています。

『我を受け入れし時、なんじ楽園らくえんは、さらなる癒やしを得るだろう』

声は、その赤い石から聞こえてくるようでした。

そこで、私は目を覚ましました。

窓の外は、まだ薄暗いです。

隣では、ルーンがすやすやと寝息を立てています。

「今の夢は、なんだったのかしら」

あまりにも、現実味のある夢でした。

あの声、あの場所がはっきりと記憶に残っています。

気になって、私はベッドからそっと抜け出しました。

ルーンを起こさないように、静かに家を出ます。

そして、夢で見た光景を頼りに、森の奥へと足を進めました。

不思議なことに、道に迷うことはありません。

まるで、誰かに導かれているかのように、足が自然とそちらへ向かうのです。

しばらく歩くと、目の前に、夢で見たのと全く同じ場所が現れました。

苔むした岩々。

そして、その中央に佇む、赤く輝く石。

「本当に、あったんだわ」

私は、恐る恐るその石に近づきました。

石は、まるで心臓のように、とくん、とくん、と微かに脈動しています。

そして、触れると、じんわりと温かい熱が伝わってきました。

『よくぞ参られた、清浄せいじょうなる乙女よ』

夢で聞いたのと同じ声が、今度は頭の中に直接響いてきます。

「あなたは……一体、どなたですか?」

『我は、この地に宿る火の精霊せいれい。サラマンダーの長老なり』

火の精霊せいれい

水の精霊せいれい、土の精霊せいれい、風の精霊せいれいに続いて、四大精霊よんだいせいれいの最後の一つが、ついに姿を現したのです。

『おぬしの力によって、この森ののろいが浄化されたことで、我らも長き眠りから目覚めることができた。感謝する』

「いえ、そんな……私はただ、この森で暮らしたかっただけです」

『礼には及ばぬ。それよりも、我を受け入れる覚悟はできておるか?』

「受け入れる、ですか?」

『うむ。我ら火の精霊せいれいの力を、おぬしに授けよう。その代わり、我らの安住の地として、この森に住まうことを許可してもらいたい』

火の精霊せいれいの力。

それはいったい、どんな力なのでしょう。

でも、サラマンダーの長老の声は、とても穏やかで、信頼できるように感じました。

それに、この森の仲間が増えるのは、嬉しいことです。

「分かりました。私でよければ。ようこそ、私の森へ」

私がそう答えると、赤い石が、ひときわ強い光を放ちました。

『契約は、成立した』

光が収まると、赤い石は静かにひび割れます。

中から小さなトカゲのような生き物が姿を現しました。

全身が、燃えるような赤いうろこで覆われています。

それが、サラマンダーの長老の本当の姿なのでしょう。

サラマンダーは、私の足元までやってくると、恭しく頭を下げました。

そして、次の瞬間、驚くべきことが起こったのです。

サラマンダーがいた場所の地面から、こんこんと、温かいお湯が湧き出し始めました。

お湯は、みるみるうちに溜まっていきます。

岩と岩の間に、ちょうど良い大きさの湯だまりを作りました。

「こ、これは……温泉おんせん!?」

湯気からは、ほのかに硫黄いおうの香りがします。

まさか、森の中に、温泉おんせんが湧き出すなんて。

『これぞ、我らがおぬしに授ける力の一端。大地の癒やしの湯じゃ』

『この湯に浸かれば、いかなる疲れも、病も、たちどころに癒えるであろう』

サラマンダーの長老は、得意げにそう言いました。

私は、ただただ、目の前の光景に圧倒されます。

私の楽園らくえんに、また一つ、とんでもなく素敵なものが加わってしまいました。

これはもう、本当に神様が住んでいてもおかしくないくらいの、聖域せいいきになってきているのではないでしょうか。

私は、この新しい贈り物に、心からの感謝を捧げました。

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