第7話

運命の日、その朝は物音一つ聞こえなかった。

俺は夜明けと共に目を覚まし、最後の準備に取り掛かる。

家の周りに仕掛けた罠を、一つ一つ念入りに点検した。

正常に作動するかを、確かめていく作業だ。


「よし、まずは落とし穴からだな」


偽装に問題はないか確認し、強度も十分だと判断する。


「次は拘束用のツタだな」


俺は蔦を力一杯に引っ張り、その強度を確かめた。

毒矢の発射装置にも、異常は見当たらない。

全てが俺の立てた計画通りに、完璧に仕上がっていた。

俺は家の裏手に設置した、自作の投石器を見上げる。


「あとは、こいつの出番を待つだけだ」


昨夜のうちに、いつでも発射できる状態にしてある。

弾丸に使うつもりの「魔力溜まりの石」は、すでに装填済みだ。

あとは敵が射程圏内に、入ってくるのを待つだけだった。

俺はアイテムボックスからパンと干し肉を取り出し、簡単な朝食を済ませた。

不思議なことに、緊張はまったくなかった。

やるべきことは、全てやり尽くしたのだ。

後はただ、結果がついてくるだけである。

俺は家の屋根に素早く登り、東の森をじっと見据えた。

【隠密】スキルで気配を完全に消し、ひたすらその時を待つ。

太陽がゆっくりと昇り、村が朝の活動を始める気配がした。

近くの森からは、鳥のさえずりが聞こえてくる。

どこかの家からは、朝食の準備をする匂いが漂ってきた。

あまりにも平和な光景が、目の前に広がっている。

これが嵐の前の出来事だと知っているのは、世界で俺だけだった。

そして、ついにその時は訪れた。


東の森から、一斉に鳥が飛び立つのを俺は見た。

地平線の向こうから、黒い津波のようなものが押し寄せてくる。

あれは間違いなく、魔物の大群だ。


「……来たか」


俺は誰に言うでもなく、小さく呟いた。

魔物の群れは、一直線にこのエリル村を目指してくる。

そのおぞましい数は、百は下らないだろう。

先頭を走るのは、身軽なゴブリンたちだ。

その後ろから棍棒を担いだオークたちが、地響きを立てて続いている。

群れの中央には、ひときわ巨大な三体のオーガが見えた。

それを率いるホブゴブリンの姿も、はっきりと確認できる。

村の鐘が、けたたましく鳴り響いた。

誰かが見張り台から、魔物の接近に気づいたのだろう。

村中に人々の悲鳴と、怒りの声が響き渡った。


「魔物だー、魔物が攻めてきたぞー!」

「みんな、教会へ逃げるんだ!」


村人たちが我先にと、安全な場所へ逃げ惑う。

だが魔物の足は、それよりも遥かに速かった。

あっという間に村の東側から、魔物がなだれ込んでくる。

家々が容赦なく破壊され、畑が踏み荒らされていく。

まさに地獄絵図の、始まりだった。

しかし、俺は冷静に状況を見つめていた。

俺の家は、村の東の外れにある。

最初に魔物の猛攻に、晒される場所だ。

それも全て、俺の計算のうちだった。

案の定、十数匹のゴブリンが俺の家めがけて殺到してきた。

獲物を見つけたとでも言いたげな、卑しい笑みを浮かべている。

だが、そこは俺が作り上げた死の領域だった。

先頭の一匹が、家の前の地面を踏み抜いた瞬間だ。


「ギャン!?」


地面に隠されていた落とし穴に、見事に落下した。

穴の底に仕掛けられた鋭い杭が、その体を無慈悲に串刺しにする。

後に続こうとしたゴブリンたちも、次々と罠の餌食になっていった。

地面から毒矢が飛び出し、ゴブリンの体を貫く。

足を狙って仕掛けたツタの罠が、動きを封じた。

目くらましに用意した獣の糞が、視界を奪う。

俺の家の周りは、ゴブリンたちの断末魔の叫びで満たされた。


「よし、順調だ」


俺は屋根の上から、その光景を見下ろす。

第一陣のゴブリンは、これでほぼ壊滅させただろう。

だが、本番はこれからだ。

後方から、オークの部隊がやってくる。

彼らはゴブリンよりも知能が高く、用心深い生き物だ。

地面の罠を警戒しながら、ゆっくりと距離を詰めてきた。


「グルル……」


オークの一匹が地面の不自然な盛り上がりに気づき、棍棒でそれを叩いた。

途端に地面から、大量の煙が噴き出す。

俺が仕掛けた催涙効果のある、薬草を混ぜた煙幕だ。


「グオッ!? 目が、目がぁ!」


オークたちが目や喉の痛みに苦しみ、あっという間に陣形を乱す。

俺は、その隙を見逃さなかった。

屋根の上から練習を重ねた【魔力弾】を、素早く連射する。

狙うのは煙の中で混乱している、オークたちの頭だ。

一発の威力は低いスキルだが、急所に当てれば足止めにはなる。

数発の【魔力弾】が、オークの頭部に次々と命中した。

致命傷にはならないが、脳震盪を起こしてその場に倒れ込む。

統制を失ったオークたちは、もはやただの的だった。

俺は淡々と【魔力弾】を撃ち続け、一体ずつオークを無力化していく。

その間も俺の目は常に敵の本隊、中央にいるホブゴブリンから離さなかった。

奴らが投石器の射程圏内に入るのを、今か今かと待ち構える。

ホブゴブリンは、前線が混乱していることに気づいたようだ。

忌々しそうに舌打ちすると、手に持った黒い角笛を天に掲げた。


ブオオオオオオ……!


不気味で低い音が、戦場に響き渡る。

すると混乱していたオークたちが、正気を取り戻したように動きを止めた。

そして一斉に、俺の家の方を睨みつける。

角笛の力で、再び統制を取り戻したのだ。


「ちっ、厄介なものを……」


だが、それも想定内だった。

むしろ、俺にとっては好都合だ。

敵が俺に注意を向けてくれたおかげで、奴らは絶好の射撃ポイントへと自ら足を踏み入れてくれた。

ホブゴブリンは、三体のオーガに何かを命じる。

オーガたちは雄叫びを上げると、俺の家に向かって突進を開始した。

その巨体から繰り出される突撃は、さながら城攻めの兵器のようだ。

家の周りに仕掛けたチャチな罠など、いとも簡単に踏み潰していく。

俺は屋根から飛び降り、投石器の後ろに立った。

オーガたちが、もうすぐそこまで迫っている。

家が破壊されるのも、時間の問題だろう。

だが、俺の表情に焦りはなかった。

俺の狙いは、オーガではない。

その後ろで構えている、ホブゴブリンただ一人だ。

俺は、その一点だけを見据える。

オーガの巨体が、俺の視界を塞いだ。

だが俺は【鑑定】スキルで、障害物の向こうにあるホブゴブリンの正確な位置を把握していた。

風の強さ、湿度、そして距離。

全ての計算は、すでに頭の中で完了している。

俺は投石器の、発射レバーに手をかけた。

これが外れれば、全てが終わるだろう。

だが俺には、成功する確信があった。

俺はゆっくりと、息を吸い込む。

そして全ての力を込めて、レバーを強く引いた。

投石器のアームが轟音と共にしなり、「魔力溜まりの石」が空へと放たれる。

黒い弾丸は、綺麗な放物線を描きながら空を切り裂いていく。

それはまるで、黒い流星のようだった。

オーガたちが空を飛ぶそれに気づき、何事かと見上げる。

ホブゴブリンもまた自分の頭上へと迫る、小さな黒い点に気づいたようだった。

その顔に、初めて焦りの色が浮かぶ。

だが、もう遅いのだ。

俺の放った一撃は、寸分の狂いもなく目標へと吸い込まれていった。

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