第五話 フライパンから火の中へ
乗合馬車を何台か乗り継ぎ、ついにアレクは『南のソラリオン王国』と『南西のヴェルキリア王国』の境目に辿りついた。『ヴェルキリア王国』に入るためには、国境関門での厳重な検問を通過しなければならない。
旅人達は、身分証明書を提示し、名前、生年月日、職業、そして旅の目的を口頭で述べる必要があった。その後に荷物検査だ。
アレクの番が来た。
彼は言われるがまま身分証明書を差し出し、自分の情報を答えた。ここまでは問題なかった。
だが、荷物検査で事態は急変する。
役人がジロリとアレクを見据えた。
精巧な作りの銀のチェーン。地味な服装で身分も低い少年が持つには、あまりにも不釣り合いな持ち物だったのだ。役人は奥にいるこの検問所の主任を呼んだ。
国境関門の主任バルドは、金と女で今の地位になったという噂の胡散臭い男だった。
彼は、木製テーブルの上に置かれているアレクの銀のチェーンを見た瞬間に、目の色を変えた。
「何故お前はこのような物を持っている?それは盗品か?」
バルドは高圧的な口調でそう言った。アレクは、その威圧感に声が震えた。
バルドは「不相応な銀のチェーン」を持った少年は盗人かもしれないという理由で難癖をつけ、部下に命じ、アレクを検問所の牢獄に入れるように命じた。
ヴェルキリア王国の国境検問所の牢獄は、湿った石造りの壁に囲まれ、アレクの心は焦燥に焼かれていた。
一方、バルドはアレクから奪った銀のチェーンと剣を持って、いつもの馴染みの道具屋へと急いだが、店は閉まっていた。
仕方なくバルドは、その近くにあった『黄金の秤』と言う名の雑貨屋に入った。いつもの店と同じような人間だろう、とタカをくくったのだが、それは彼の誤算だった。
店を切り盛りするのは、顔に深い皺を刻んだゴードン。彼の目は、武具から日用品まで、あらゆる品物の価値を瞬時に見抜くことで知られていた。
「良い品のはずだ。二度と手に入らない程の一品だ」
役人らしからぬ派手な身なりのバルドは、剣を床に置き、銀のチェーンを自慢気に掲げた。
ゴードンは無言で品物を吟味した。
精巧な作りの銀チェーンを見た後に剣を見て、ゴードンはため息をついた。
「バルド殿、こいつは貴殿のような役人が公務で入手できる品ではない。その出所を話してくれまいか」
バルドの顔色が変わった。
「うるさい!とにかく、これを買え!剣も合わせてだ。いくらになる?」
ゴードンは内心でツバを吐いた。彼の店は商業ギルドの信用を背負っている。しかしここで突っぱねて、検問の役人を敵に回したら、店どころか命まで危ない。
「わかりました、バルド殿。しかしこれ程の逸品は、私の手元にある資金だけでは足りん。商談成立に少し時間をいただきたい。今すぐにギルドの金融部門に連絡し、代金を用意させます」
これは時間稼ぎだった。だがバルドは欲に目がくらみ、ゴードンの意図には気がつかず、満足気に頷いた。
「ふん、そうだろうな。急げ。三日後にまた来る。それまでに金を用意しておけ」
バルドが去るのを見届けたゴードンは、すぐさま信頼する店の若手を呼んだ。
「今からお前に託す。裏口からこれを持って商業ギルド長のオーランドのとこへ行きなさい」
渡されたのは地味に見える剣の方だった。バルドは銀のチェーンの価値にしか気づいていなかったが、ゴードンは剣の真価にすぐさま気付いた。
「旦那様…これは、一体?」
「地味に見えるが、私の思い違いでなければ名工ヴァンスが作った剣だ!このような物を持つ人間は数えられるものしかおるまい。オーランド殿なら何か知ってるかも知れん。頼んだぞ」
三時間後。ものすごい勢いでかけてきた馬車が、『黄金の秤』の店の前で急停止した。跳ねるように降り立ったのは、南西の商業ギルド長のオーランドだ。
オーランドは剣を持ち、店の扉を乱暴に開ける。
「ゴードン、これは、いったいどういう事だ。何故これがここにある?」
ゴードンから事情を聞くうちに、オーランドは顔に冷や汗を浮かべた。
「もしそれが本当なら…バルドは大変な事をしでかしたぞ!強奪か盗んだとしか考えられん…なんと、だいそれた事をしでかしたのだ!」
「無理やり強奪もしくは盗まれた剣の持ち主は、今どうしている?」
ゴードンが口にした途端、オーランドは更に冷や汗を流した。
「一刻の猶予もない!」
だが、二人が国境関門に乗り込んだとしても、バルドが口を割るとは思えない。
「警備隊長殿にお縋りするしかあるまい」
オーランドはそう言って、ゴードンと共に警備隊長の元へ向かった。
向かう馬車の中で、オーランドは小声で何かを呟いていた。
「なんたる事だ」
「こんな事が…に知れたら」
「いや、あのオヤジ殿が知ったら」
「アプシト・オーメン(破滅の前兆)」
オーランドが青くなったり白くなったりするのを見て、ゴードンは剣の持ち主が余程の人物なのだと推測した。
警備隊長と数名の部下が検問所へと向かい、その後をゴードンとオーランドが乗った馬車が追う。
最初バルドは不適に笑って白を切った。
「証拠はどこにある?私が盗んだなどと、根拠もなく言いがかりをつけて、たとえ警備隊であろうが、そんな権限がどこにある!」
警備隊長は臆することなくバルドを睨み据えた。
「バルド殿!本当に潔白なら良いが…強奪か盗難…これは、大変な不祥事です。そしてそれを知っておりながら口を継ぐんだ者がいるとすると、彼らも処罰しなければならない」
そう言った瞬間、検問所の役人達は次々と顔色を変え、場の空気が一瞬で凍りついた。
やがて一人が口を割った。
「…主任が、あの少年から奪ったのです」
「私たちは命令に従っただけです!」
恐怖と保身から部下たちは次々と証言を始め、バルドの悪事が白日の下に晒される。バルドは縛り上げられ、警備隊に連行されていった。
湿った石造り牢獄の扉が開かれ、アレクは眩しい光に顔をしかめた。その顔を見た瞬間、扉の外で待っていたオーランドは安堵した。
「良かった…違った」
アレクには気の毒な話だが、もし牢獄に入っているのが、オーランドの思う人物だったら、彼の肝は冷えて、彼自身が氷柱になっていたかも知れない。
ゴードンの店で、アレクから剣の経緯を聞いたオーランドは深く頷きながら言った。
「そうか…あのお方がそう言って、お前に譲ったのなら、その剣はお前のものだ。大切に持っていなさい」
オーランドからトラブル続きの銀のチェーンを買い取ろうかと持ちかけられるが、アレクは断る。
「モリスさんが手渡してくれた紙に書いてあった商業都市ラナハイムのエレノアさんに、これは渡そうと思ってます。お心遣い、ありがとうございます」
『商業都市ラナハイム』は、隣の『西のアルカディ王国』にある都市だ。そこまで行くにも、また馬車代と宿代、次の検問所の通行料が必要になる。
アレクは気づいた。もう持ち合わせのお金が少なくなっていた。
このままでは、次の国境検問所での通行料さえ払えない。
「あの…実はもう持ち合わせのお金が少なくて…どこか、働く場所、もしくは紹介してもらえる場所はありませんか?」
ゴードンは笑いながら言った。
「なんだ、そんなことか!よかったら、しばらくうちで働けばいい。飯と寝床も用意できるぞ」
アレクはゴードンの厚意に心から感謝した。
それから数週間、アレクは『黄金の秤』で真面目に働いた。
次の場所へ行く資金も貯まり、アレクはゴードンの荷馬車に乗ってオーランドの所へ向かった。旅立つ前には、必ず自分の所へ寄るようにとオーランドから言われていたからだ。
オーランドの店は、その地位にふさわしい威容を誇っていた。アレクは直ぐに応接室に通される。
オーランドは、ニコニコしながら洋皮紙をアレクに手渡した。
それは、アレクが銀のチェーンの正式な持ち主であるという証明書を、商業ギルド長の名のもとに書いてくれたものだった。
「これを次の検問所で見せれば、問題なく通る事ができるはずだ」
見ず知らずの他人である自分にまで親切にしてくれるオーランドとゴードンの厚意に、アレクは思わず泣きそうになった。
そして別れの時、アレクは振り返り何度も頭を下げて去って行った。
ゴードンは隣に立って見送っていたオーランドに言った。剣の持ち主については、ある確信があった。
「オーランド殿。アレクが言ってたオレンジ髪に青い瞳の商人を名乗った少年とは…『東のルベライト商会』の御方ではありませんか?」
「はて…何のことでしょうな」
オーランドは静かに首を振った。
「商人に必要なものは守秘義務ですよ」
その言葉はゴードンの疑問を否定するのではなく、「深く追及するな」という警告に他ならない。
東のルベライト商会の少年…またとんでもない相手である。
オーランドが青くなったり白くなったりして「アプシト・オーメン」と口ばしるのも当然だとゴードンは理解した。
ゴードンは、純粋な心を持つアレクが、よりによってあの少年と関わってしまったことを案じた。この先、旅の空で、アレクがあの少年と再会する可能性はある。彼自身はあの少年がただの商人と思っているから、彼の正体も何も知らない。
ゴードンは、アレクがあの少年に関わって、オーランドのように慌てふためき、胃を痛めるような事態におちいらなければよいがと案じていた。
(次話『ラナハイムの洗礼』へ)
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