[第7話]

「熱遮蔽システム、起動」

「了解。熱遮蔽システム、起動します」

 ホムラの号令を復唱したカケルがスイッチを入れると、車内を揺らすエンジンの振動が明らかに減った。

『――こちらアノーグ。外部への熱漏れ、およそ七十パーセント減。想定通りです』

 通信機から、カケルの感覚を裏付ける報告が聞こえてくる。

 だが、問題はここからだ。実際の走行レベルの駆動で熱漏れを抑えられなければ、意味がない。

『続いて、エンジンの駆動を七十まで上げてください』

「こちらカケル特務中尉、了解。エンジンの駆動を七十に上げる。カウント、六十五、六十六、六十七、六十八、六十九、七十。エンジン駆動、七十に到達」

『こちらアノーグ。外部への熱漏れ、およそ六十四パーセント減へ変化。遮蔽度合いに揺らぎはなし。想定どおり機能しています。問題ないですね。あとは、実際の走行時に発生する熱がどれだけ増えるかですが、凍魔の平均的な探知能力なら、四十八パーセントを下回らなければ、少なくとも大型に感知されることはない、はずです』

 わずかな言葉の詰まりに、カケルの眉がぴくりと反応した。

「何か問題が?」

『あ、いえ、問題はありません。ただ、本当にアレで熱遮蔽ができていることに驚いているだけで。正直、あの人の作るものは高度すぎて、ワケが分からなくて……ここまで高度かつ小型の熱遮蔽システムは常識外れですから。しかもそれをいきなり実戦投入……きちんと組み込んだ自負はありますが、心配は尽きなくて』

「確かに、データ的には大丈夫みたいだけど……実際に通じるかとか、気にはなるな」

 カケルは、思わずため息交じりに同意してしまう。

 新開発の装置を、重要な作戦にいきなり組み込むなど、本来ならあり得ないことだ。

「気持ちは分かるけど、言っても仕方がないでしょ。やるしかないんだから。それに、ぶっとんだ発想するけど、あの人、技術的な裏付けをもってきて開発するのは抜群だから、大丈夫よ。この機動砕氷車だってそうだしね」

『……そうですね。あまり出発前に不安にさせるようなことを言うものではありませんでした』

「気にしないで。それより、アノーグ整備士、気を付けて戻ってね。一応は安全圏とはいえ、本来、整備士に来させるような場所じゃないところまで来させて悪かったわね。その上、一人で戻らせるなんて、本当に申し訳ないんだけど」

『いえ、それこそ気にしないでください。これでも戦場を駆けずり回って高速氷雪車やら武器やらをかたっぱしから修理するなんて無茶させられたこともありますから、それに比べれば散歩道みたいなもんですよ。っと、では、荷物もまとめましたので、小官はこれで離脱します。ご武運を』

「ありがとう。徹夜の量の仕事を持って帰るから、道具をよく整備して待っててね」

 そう言って通信機を置いたホムラが小さく息を吐き、「じゃぁ、行きましょう。出発」と静かに命じた。

「了解。出発します」

 カケルはゆっくりとアクセルを踏み込み、機動砕氷車を前進させる。

 熱遮蔽の度合いを示すメーターとスピードメーターを見比べながら、速度を上げていく。

「進路、速度安定。熱遮蔽も想定より少し振れ幅がありますが、誤差の範囲です。このまま既定のルートで進行します」

「了解。それでは、作戦の最終確認をする。カケル特務中尉は、そのまま聞きなさい」

 ばさりとホムラが地図を広げ、アルシーとリーフが後部座席から身を乗り出してくる気配が伝わってくる。

「今回、私達が参加するのは、都市奪還作戦よ。恐らく人類初といってもいいでしょう。先行偵察の結果、都市は現在も凍魔に占拠されていることが判明しているけれど、具体的な規模や戦力は不明。とはいえ、目撃状況から、数個師団クラスと見られる。これを掃討することが最大の作戦目標よ」

「やっぱり数は相当多いですね……凍魔の中心的な拠点なんでしょうか?」

「そこは不明。ただ、組織だった見張りとかされてる雰囲気もないし、凍魔の種類も何種類かいるってことらしくて、上は拠点的な機能は持ってないと見ているようね」

「単なる巣ってことですか~?」

「基本的にはそういうことね。ただ、統率が甘くても数は脅威だし、真正面から戦って無駄に消耗もしなくはない。そのために、私達が、まず威力偵察を敢行することになったの」

 そう言って、ホムラは地図の一点に指を置いた。今の地図には何も書かれていない、丸く囲まれただけの空白地帯。そこの東側の縁だ。

「私達が向かっているのは、この東門。ここから三キロの地点まで熱遮蔽で接近し、時間を待って熱遮蔽を解除、東門へ全力で突撃する。そして迎撃に出てきた凍魔を誘引しながら、大回りで南門側へ走行。その最中に、氷走船≪ギガント・ラミング≫が敵の横っ腹に砲撃し、時間差で砕氷兵部隊が接敵する。一方、その騒ぎに乗じて都市の南側からは、氷走船≪トールハンマー≫が、こちらへ援護射撃をしながら南門へ進撃し、都市へ侵攻する算段よ。また、このタイミングで、北側からは氷走船≪ミグラトリアヴァストー≫が攻撃を仕掛けることになってるわ」

「西側からは逃がすわけですね」

 アルシーの確認に、ホムラは「そうよ」と肯定で応じた。

「掃討といっても、全滅は現実的じゃないからね。三方向から押し込んで西側に追い詰め、都市から凍魔を排除する。ここが終結点よ」

「……作戦概要を聞いた時も思ったんですけど、これ、どう考えてもアタシらが一番危ないですよね?」

「一番乗りは栄誉なことよ?」

「小隊長、絶対そんなタマじゃないですよね?」

「二階級特進とか興味のかけらもないわね」

 しれっと言い放つホムラに、アルシーが大きくため息をつく。

「まぁ、小隊長のことですから、逃げ道は用意してるんでしょうけど……あれですかね? ギガント・ラミングからの砲撃が始まった後は、遊撃とかそういう感じですか?」

「正解。さすがにうちの小隊は特定の部隊に組み込んでも大して機能しないし、かといって何かの役目を持たせるにも一台じゃアテにもできないしってことでね。一応、都市内部に入って、大通りでの遊撃を望まれてはいるけど、行動範囲の裁量はもらってるわよ。さすがに露骨に避けてると、あとで軍法会議だけど。撃墜スコアは稼ぎ放題ね」

「まさか狙っていくんですか?」

「あなた達が欲しいっていうなら、考えなくもないけど……勲章とか興味ある?」

 わざとらしく驚くような口調で言うホムラ。車内から肯定の声は上がらず、ホムラが「あなた達ねぇ」とため息をつく。

「誰か一人くらい、ウソでも興味あるって言いなさいよ」

「だって、この部隊って、雑魚のスコアとっても、あんまり評価されないっぽいですよね。たぶん、作戦そのものに貢献するような動きが求められてるんじゃないですか?」

「さすがよ、アルシー特務中尉。雑魚であろうと撃墜は撃墜だから無意味じゃないけど、私達の戦果は、作戦や目的の達成度に連動するでしょうね。今回の遊撃だって、そこら辺を見定めようってところが大きいだろうし」

「厄介な役回りですね、ホントに……」

 アルシーのため息交じりの言葉に応じるように、カケルは機動砕氷車のアクセルを緩めていく。

「間もなく待機地点です」

 カケルの言葉と同時に、ホムラが地図を畳んでいく。その直後、通信機がザッと着信を告げた。

「……嫌な予感がするわね」

 ホムラがぼそりと呟きながら、通信機を手に取った。

「こちら第一特務車輛小隊、ホムラ哨戒大尉。こちら第一特務車輛小隊、ホムラ哨戒大尉」

『こちらは作戦中央本部、アオシ准将だ。聞こえるか?』

「はい、聞こえております。どうぞ」

『そろそろ待機地点に到着した頃かと思うが、間違いないか?』

「はい。ちょうど現着したところです」

『そうか。では、そのまま聞くように。君たちに、追加作戦を説明する』

「追加作戦、ですか?」

 ホムラが眉をひそめながら問い返す。ホムラの言葉どおり、車内に嫌な予感が漂う。

『そうだ。基本的な動きは変わらないが、君たちの遊撃任務にあたり、確保目標を追加する』

「確保目標……重要個体でも確認されたのですか?」

『いや、そうではない。現地に先行偵察に出ていた部隊が、まだ都市内部に取り残されている。先ほどごく短文だが一方通信を受信した。詳細は不明だが、生存している可能性がある』

「座標は分かっているのでしょうか?」

『おおよそだが、南東部と思われる。座標までは特定できていない。もちろん、この条件だ、絶対ではない。が、君らの安全の次程度には優先的に考えてもらいたい』

「分かりました」

 そこまで言われて、ホムラに否と答えようはなかっただろう。その表情には、面倒ごとを押し付けられた諦めが浮かんでいた。

『対象部隊は、中央管区第二二基地所属、第一二四哨戒小隊、計六名だ』

 だが、続けて告げられた内容に、ホムラの表情が固まった。

『詳細は別途送る。健闘を祈る』

「了解しました」

「小隊長、今のって……」

 通信機を置く無機質な音の後にカケルが声をかけると、ホムラはまるで切り替えるように髪をかき上げる。

「聞いてのとおりよ。遊撃任務にあたる際は、先行偵察に入った第一二四哨戒小隊の捜索を同時に行う。ただし、その捜索範囲は、南東部の附番通りに限るものとする」

「小隊長、それは……!」

 カケルは咄嗟に声を上げていた。

 附番通りは、作戦に先だって行われた外周偵察で確認された、都市の主要道のことだ。

 こちらの戦力の展開や進軍、あるいは凍魔の反撃に使用されうると考えられる、作戦の動脈として確認された道に附番されている。

 ただ、その偵察は遠距離から行われており、細かい道は網羅されていない。

「哨戒兵の部隊が、そんな大通りに身を隠しているとは……!」

「セオリーならそうね。大型の凍魔を避けるなら、狭いところに逃げ込む。ただ、今回は場所が場所よ。自力で安全圏に退避できなくなったのなら、やりすごすよりも、むしろ、味方が来やすい場所で救助を待つ方が、生存の確率は高いかもしれない」

 情報の少ない地図に目を落としながら、ホムラは静かに応じる。

「第一、附番通りにいなかったとして、機動砕氷車が狭い道に入るの? 凍魔の巣で?」

「それは……」

 ホムラの指摘に、カケルは言葉に詰まった。

 機動砕氷車の武器は、文字通り機動力だ。それを活かせない狭い道などに入れば、控えめに言って、凍魔のいい的でしかない。

「機動砕氷車で遊撃をしながら捜索するなら、附番通りに絞るのが最も可能性が高いのよ」

 ホムラの確信を持った声に、カケルはそれ以上の反論ができなかった。小隊長の判断という以上に、同じ哨戒兵の言葉は、他兵科のカケルが跳ねのけるには重い。

「……本当に、そうなんですか?」

 だが、ぽつりとアルシーが疑問を差しはさんできた。

「どういうこと?」

「哨戒兵の知人から、聞いたことがあるんです。隠れるために隠れた哨戒兵は、同じ哨戒兵でも見つけられない、って。凍魔の巣で隠れるんだから、中途半端なことはしませんよね? だから、そもそも見つからないって考えてるんじゃないですか?」

「……そうね。見つかる可能性は低いと考えてる」

 諦めたようにため息をついてから、ホムラはアルシーの言葉を肯定した。

「小隊長、じゃぁ、最初から……!」

「あのね、さすがにそれは人聞きが悪いわよ?」

 カケルが思わず声を荒らげると、ホムラが鋭く睨んできた。思わず怯みそうになるのを、カケルは懸命にこらえてその視線を受け止める。

「……あーもう。面倒だから土壇場で言うつもりだったのに」

 呆れたような怒ったような声で言いながら、ホムラが額を押さえる。

「まず、アルシー特務中尉の言ったことは、少しだけ大袈裟。どうせ酒の席の与太話で聞いたんでしょ? さすがに明確な実力差があれば見つけられるわ。次に、私は、機動砕氷車は附番通りを探すって言ったけど、小道を探さないとは言ってない」

「え? いや、でも、どうやって……」

 カケルはそう言いながら、まるで引き寄せられるように視線を横にズラしていく。アルシーの視線も、カケルと同じ方向に向いているのが見えた。

「?」

 その視線が結ばれた先で、リーフがこてんと首を傾げた。直後、ホムラから、そんなはずないでしょ、とばっさりと切り捨てられる。

「滑ってる砕氷兵なんて、機動砕氷車と本質的には変わらないわよ。それでなくても、隠れる側と探す側の実力差がありすぎて話にならない。私が探すに決まってるでしょ」

「あぁ、さすがにそうですよね……。でも、大丈夫なんですか? 凍魔の巣で、単身、生身で動き回るなんて……」

「普通にやったらダメでしょうね。だから、あなた達には囮になってもらうわ」

「囮?」

「ええ。と言っても、普通に動いてくれればいい。適当なタイミングで飛び降りるから」

「はぁ!? 戦闘機動中のコレから!?」

 アルシーが裏返った声を上げた。カケルも言葉を失う。

 機動砕氷車が戦闘機動に入れば、当然ながら相当なスピードになる。そんな車上から飛び降りれば、単に地面に叩きつけられるだけでは済まない。

 仮に多少の積雪があっても、その下は固い氷なのだ。それだけで死んでもおかしくはないだろう。

「あら? これは聞いてないの? 哨戒兵って、崖の上から身一つで叩き落される訓練もしてるのよ。普通にそうやって凍魔から逃げるしね」

「う、嘘でしょ……」

「それを確かめるいい機会ね。まぁ、こんなこと平然と言えるようなのばっかりだから、本気の哨戒兵を敵にするくらいなら、凍魔に突貫した方がマシだ、なんて言われるんだけど」

 ひょいと肩をすくめてから、ホムラは空気を入れ替えるように表情を引き締めた。

「とにかく、巣の中の凍魔の動きを見た可能性の高い第一二四哨戒小隊は、リスクをおかしてでも探す必要がある。ただ、時間も戦力も限られた中じゃ、別々に動くこの案くらいしか実行できない。全滅してたら世話ないしね。文句は聞かない。カケル特務中尉、私が離脱した後は、あなたに指揮を任せるわ。合流時間とポイントはこの後送る。全体の動きもそうだけど、この機動砕氷車の動きで私の生き死にが変わるんだから、頼んだわよ」

「……了解しました」

 全幅の信頼を寄せるその言葉と視線に、カケルは複雑な思いを抱きながらもそう答えた。


*          *          *


 冷たい浮遊感が、ホムラの全身を抱き込んだ。

 自由落下が両手足を引っ張り始めると同時に、舞い上がった雪塵の中に吸い込まれ、視界が白幕に覆われる。

「――ッ!」

 つま先をこするわずかな接地の感触。ホムラは半ば反射的に、まとった外套を抱き込んで体を丸める。

 衝撃。

 跳ねる体。回る視界。詰まる呼吸。

 全身から飛び込んでくる情報に、頭の中が翻弄される。

 それでもホムラの中に刻まれた哨戒兵としての感覚が、最適な動作を繰り返して徐々に自身の制御を取り戻していく。

「ッ!!」

 自身への信頼に任せて、ホムラは腕を跳ね上げる。

 勢いを保ったまま全身が起き上がり、両足が確かに地の感触を得た。

 刹那、ホムラは体をひねり、そのまま低く跳躍。まるで飛ぶような距離を跳ね、疾走へと滑らかにつなげた。

 姿勢は可能な限り低く。雪面と同化するように駆け、外套の裾を跳ね上げないように一定を保つ。

 そのまま目星をつけていた一点、都市を囲う城壁の名残の隙間に身を潜らせた。

 息つく間もなく建物の影に駆け寄り、外套を裏返して纏い直す。

 先ほどまでの新雪がごとき白から、ややくすんだ白へ。そうすることで薄暗さがにじむ都市の氷化粧へとその表面を適応させたホムラは、さらに奥へと、建物の影から影を渡る。

 そうしてしばらく走り続けたホムラは、やや大きめの建物の角で足を止めた。

「……問題発生、かしらね」

 いつの間にか、砲撃が止んでいた。いや、続いているが、直前までと明らかに気配が違う。足元から感じる振動も、建物を震わす音も、遠く数が少ないのだ。

(まぁ、これだけの大規模作戦なんだから、トラブルはあって当たり前か。問題は、これがどう影響してくるかだけど……)

 凍魔の動きをすべて予測することなどできるはずがない。予想外は予想外として想定しておくのが常だ。

 しかし、それも程度によりけりだ。許容範囲を超えれば、作戦は当然に破綻する。

(いくらなんでも、これでダメになるようなことはないはず。だったら、次の動きがあるだろうから、そこに紛れないと目立ちすぎるか)

 頭の中でそう考えを整理したホムラは、もう一つの用件に時間を割くため、次の建物の影に身を躍らせた。



 作戦の総司令部である氷走船≪ギガント・ラミング≫の艦橋司令部では、狭い通路を司令部員が行きかい、それを上回る書類と言葉が飛び交っている。

 滞留する隙すら許さぬ勢いが熱気となって広がっているブリッジの一角に、まるで真逆の空間があった。

 重い沈黙と肌がしびれるような緊張。空調がきいているはずのブリッジにおいて、氷点下のような冷たさが、司令官席の周囲に満ちていた。

「――どういうことでしょうか、クレオ提督」

 努めて冷静に、しかし苛立ちをそのまま視線に乗せて、アオシは画面の向こうに問いかける。

 神妙なフリだと露骨に分かる表情で佇む壮年の男性は、わずかに頭を下げることすらせず、「申し訳ない」と口先だけで告げてきた。

「船の駆動系にトラブルが発生して、到着が遅くなっている」

「それは先ほどもお聞きしました。ですが、作戦開始には、少なくとも一斉砲撃には間に合わせると、おっしゃっていたはずですが?」

 アオシの追及に、相手の提督は、まるで聞き分けのない若者を前にしたように、ほんの小さくため息をついた。

「こちらも最大限の努力はしているところだ。しかし、予想外のことは起こる。いくら約束を交わしたと言っても、その遵守を絶対とされるのは、無理難題に過ぎるというものだ」

「確かにお話は分かります。しかし、予想外が重なるのは、見通しの甘さと言われても仕方がないのではありませんか。今回の作戦は、三方の封鎖及び圧力が重要です。北部の封鎖がなければ、その効力は半減してしまう。貴船が正しく見通して状況をお伝えいただいていれば、作戦自体を調整することもできたのです」

「貴殿の立場から見ればそのとおりだろう。結果としてこちらが不義理を働いたことは重々承知している。しかし、今回の件は、いかんせん急な話だった。万全とは言い難い状態で出発せざるを得なかったこちらの事情も汲んでいただきたい」

 わずかも頭を下げるつもりがない態度は、その言葉とは裏腹に、自身らに非はないと言わんばかりだ。

(……時間の無駄か)

 アオシは内心で歯噛みしながらも、そう結論付けた。

 相手を責める決定的な材料がない以上、論戦で勝利したところで、得られるのは謝罪と幾ばくかの見舞い程度だ。そんなもののために貴重な時間を使うわけにはいかない。

「分かりました。貴船の役割は、決して小さくはありません。引き続き、可及的速やかな到着に尽力いただきたい」

「承知した」

 簡素な一言を最後に、モニターからしかめっ面が消えた。

 アオシが小さくため息をつくと、斜め後ろから「俗物めが」と副官が吐き捨てる。

「氷走船という重要戦力の運用に関わる者が、くだらない欲で無駄な消耗を強いるなんて……! 人間同士で争って、一体、何の意味がある……ッ!」

 怒りに震える声に、「まったくだね」とアオシも副官にだけ届く声で同意する。

(場所が割れた以上、この作戦が失敗してくれれば、自分たちが次の作戦を主導できる。うまくボクらが凍魔を削っていれば、単独で戦果を挙げることもできるかもしれない。そうなれば、次期総提督の座に先行できる。考えてるのはそんなところだろう)

 氷走船の提督達が組織し、すべての氷走船の舵を取る船団司令部<フラッグ・オーダー>。そのトップである総提督は、いわば人類の意思決定者そのものと言ってもいい。

 制度上、船団司令部<フラッグ・オーダー>は合議制だが、凍魔はびこるこの世界では、強力なトップの号令が大きな力を持つ。どの時代、どのような状況であっても、権力に目のくらむ人間は出てくるのだ。

「とはいえ、自白断圏の都合だけを考えれば、彼の言動にも一理が生じる。最小の消耗で最大の戦果になるわけだからね」

「ですが、人類全体で見れば損失の方が大きいではありませんか」

「そうなんだけどね。ただ、それを言ったところで、見ようとしない人間には、決して見えない。今回のことは、ボクの甘さと認識するしかないだろう。それでも彼がどう動くか、ある程度の予測はできるようになった」

「確かに……自らの評判を落とすような行動はしないでしょうし、戦果に貢献せず後塵を拝することを許容できるタイプには見えませんでした」

「うん。それを踏まえて、作戦を立て直そう。砲撃地点の見直しと、各部隊の投入タイミングを調整する」

 アオシが力強く告げると、副官は「了解しました」と応じ、司令部内に指示を出し始めた。

(北側の圧は低くなるけど、戦局全体はまだ調整が利く。問題は、第一特務車輛小隊の動きか……)

 あの部隊に指示した動きは、もともと危険性が高いものだった。想定より戦力の減少した今、そのまま動くに任せたのでは、全滅の恐れもある。

(兄さんのことを考えれば、早めに通常の遊撃に変更したいけど……こんな序盤で捜索を打ち切るのはさすがに早すぎる。直接指示できれば、まだやりようもあるんだけど……)

 さすがに全軍を預かる司令官が、直轄でもない小隊に直接指示を出すわけにはいかない。

 ましてや兄がいるとなれば、どれだけ合理性があっても、身びいきしたと見られてしまう。

(気づいてくれることを祈るしかない、か)

 状況の変化が何を示すのか――ホムラならば、それを読み解いてくれるはず、と己に言い聞かせ、アオシはその意図を込めるべく、さらなる変更を加えた作戦を発した。


*          *          *


 建物の影から影に渡っていたホムラが足を止めたのは、小さな家の跡の裏手だった。

 何の変哲もない、この都市のどこにでもありそうな凍り付いた家。

 その壁に、ホムラはそっと手を置く。

 すぐさま、わずかな違和感が伝わってきた。すぐさま冷たさの中にかき消えてしまう、弱々しくも規則正しい熱の気配だ。

「……やっぱり」

 それは、かすかに残った体温と呼吸の伝播だった。ともすれば見失ってしまいそうなほどに衰弱してはいるが、それでも生きた命の気配が確かに伝わってくる。

 それを確信して吐き出したため息とともに、肩から力が抜けたことに、ホムラは少し遅れて気づいた。

(気を張っていた、みたいね。さすがに離れて時間が経ってたし、見つかるかは分からなかったものね。ドグノ中尉のクセが変わってなくて良かった)

 凍魔の群れや巣に迷い込んだ哨戒兵が取りうる行動は、凍魔をやり過ごして脱出するか、味方の救援を待つかしかない。いかに凍魔から隠れるか、そのことに持てる全ての力を注ぎ込むのだ。だからこそ、本気で隠れた哨戒兵は、哨戒兵にすら見つけられないとまで言われる。

 この広い都市で数人の哨戒兵を見つける――それは、明確な実力差と、隠れていることの確信と、徹底的な思考のトレースがあってはじめて見いだせる、細い糸のような可能性だった。それとて、ホムラの少しばかり特殊な切り札を切ってなんとか手繰り寄せられただけだ。

「この都市の状況で、よく二人とも生き残れたわね……」

 リスト少尉とミシェラ少尉――ホムラが小隊長だった頃は、どちらもまだ配属されたばかりの新人だったが、ドグノ中尉のもと、他の隊員にも支えられながら、哨戒兵として立派に成長してきたのだろう。

 だからこそ、二人は生存の可能性を託されたのだ。そして、その期待どおりに生き残った。哨戒兵として、何にも代えがたい成果だ。

 それを十分に理解しながら、ホムラは、でも、と呟く。

「もう少し頑張ってちょうだい」

 努めて冷静にそう言葉にしたホムラは、そっと壁から手を離した。

 仲間に救出されることに一縷の望みを賭けた二人の同胞へ向けるべき救いを、ホムラは拳を作って握りつぶす。

(ここで止まってる時間は、ない)

 ホムラは足を前に出した。二人を見捨てることを承知で、背を向ける。

 建物の影を出る直前、小さな発信機を置き去りにしたのは、ほんの少しだけ期待をしたからだ。

(気づいてくれればいいんだけど……)

 今なお、都市の中を走り回っているカケル達が、もしこの信号を拾うことができれば、彼らは助かるかもしれない。

「そのためにも、アレは片付けないといけないわね」

 己の言葉が単なる言い繕いだと自覚しながら、ホムラは振り返らずに表通りの方へと足を向けた。

 進むたびに、足元にまとわりつく冷気が濃くなっていく。吐く息の残滓を引きながら、ホムラは路地から出た。

 途端、まるで冷気が重みを帯びたように体にのしかかってきた。防寒着の上からでもはっきり分かるほど、体を守っていた熱が奪われていく。

「――相変わらず、耳障りね」

 ギャリギャリとした異音が、耳の奥を引っ掻く。潰しながら擦りつけるような、体の内側をやすりで撫でまわす振動にも似た音だ。

 決して慣れない刺激に顔をしかめながら通りの中央に出たホムラは、長く伸びる氷の道の先を正面から見据える。

 徐々に近づく音とともに姿を現したのは――凍魔の隊列だった。

 横幅は通りの半分ほど。長さは舞う白煙に隠れて分からない。

 目立つのは狼や馬、虎といった獣型。先頭列からして体躯がホムラより遥かに大きく、後続を確認しようとすれば、建物の上に立つ以外にはないだろう。

 そして、それらを引き連れて最前列を進むのは、大型のゴーレムだ。多くのゴーレム型と異なり、額に角を持ち、氷でできた巨大な戦斧を担いでいる。

 立ちはだかるホムラをどう捉えたのか、角持ちのゴーレムが足を止めた。後続が乱れることなく続き、ぴたりと異音が止む。

(種類も何も違うんだから、少しくらいは乱れなさいよ、まったく)

 胸中でそう文句をつけながら、ホムラはすっと腰を落とす。

 それを感情のない――表情すらあるか怪しい顔で見た角持ちのゴーレムが、小さく顎を上げた。

 直後、先頭集団から、一体の凍魔が飛び出してきた。

 低い姿勢で、弾丸のように迫る虎。ホムラはわずかに目を細め、すっと半身を引いた。

 右手でナイフを逆手に抜き、かみ砕こうと迫った牙の隙間から、虎の口の端にナイフをひっかける。

 一瞬の抵抗。

 だが、ナイフはそれを気のせいとばかりに凍魔の体を引き裂いた。己の速度がむしろその破壊を加速させる。

 速度も質量もホムラを一歩動かすことすらかなわず、虎の凍魔は上下に切られて地面に落ちた。

 その落下と破砕の混じった音を背後に聞きながら、ホムラはゆっくりと体を起こす。

 直後、流れるようにナイフを眼前に振るった。火花が瞬き、固い感触と衝撃がホムラの足を浮かす。

 勢いに逆らわないまま、ホムラは宙を後退しながらナイフを順手に回し、

「ハッ!」

 大きく振り下ろした。

 ホムラが緑色の軌跡を残して地面に両足を着けた直後、巨大な猿の凍魔が、片腕を振り抜いた姿勢のまま二つに別れて倒れた。

「人間一人にも油断なく、二段構えでけん制。憎たらしいほどいい判断ね。さすがは将官級」

 その言葉に、角持ちゴーレムの色濃いガラスのような両目がわずかに揺らいだ。

 眼球のないゴーレムの目に視線を合わせたまま、ホムラは左手で逆手にナイフを抜き放つ。

 そして、右手のナイフと同じように、緑の炎を纏わせた。

 わずかに揺らめく、明確な害意にかたどられた――翠炎の刃。

「だからこそ、これ以上、進まれると都合が悪いのよね。ここは単なる凍魔の巣――そういうことになっててくれないと困るから」

 ホムラがそう言うと、角持ちゴーレムから向けられる気配が唐突に変わった。

 観察者然とした邪魔者を排除する薄い害意ではなく、刃物のように集約された明確な殺意がホムラの視線と交錯する。

 角持ちゴーレムの言葉はない。人を模した姿なら、その顔にあるべき口がないのだから、当然、声も出せないのだろう。

 だが、ホムラの体を伝う揺らぎのある感覚からは、角持ちゴーレムの意思と言葉が感じ取れた。

「ええ、そうよ。私にとって都合が悪いのは、ここの中央にいる存在も同じ。つまり、あなた達にとっても、私に進まれるのは都合が悪いってことね」

 ホムラがバネをためるように身を構えるのと、角持ちゴーレムが鋭く腕を振るうのは、同時だった。

 凍魔の集団――否、軍隊が、一斉にホムラめがけて進撃を始めた。

 数多の凍魔が駆ける地響きと大質量が、暴虐の権化となってホムラに迫る。

 だが、ホムラはそれを真っ向から見据えていた。その身から、ゆらりと翠炎が立ち上る。

翠炎纏衣ジェイドコート

 小さな呟きと同時に地面を蹴ったホムラの足が、砕いた氷の欠片を空高く舞い上げた。



 ちらつく雪の隙間を切り裂いて飛んだ銃弾が、ゴーレム型凍魔の額に突き刺さり、たたらを踏ませる。

 さらに同じ場所に追撃を放ち、バランスを崩させるが、まだ倒れない。

「――チッ」

 アルシーの口から、舌打ちが漏れた。

 あと一撃で転倒させられただろうが、銃身を駆ける弾が無い。弾倉を交換している間に、凍魔は体勢を立て直すだろう。だからこそ額を狙ったのだが、思ったよりも体重があったらしい。

 だが、凍魔の陣形がわずかに崩れたのをカケルは見逃さなかったようで、機動砕氷車が隙間にねじ込まれた。

 ゴーレムが首を曲げて機動砕氷車を捕えようとするが、その顔面を、リーフの滑走靴が踏みつけた。

 打撃としては大したことないが、最後の一押しになったその蹴り込みで、ゴーレムが転倒した。吹きあがった雪の粒が辺りを白く染める。

 寸前で見えたのは、リーフの手が機動砕氷車の出っ張りに引っ掻けた指だった。その感触を察知したのか、一気にスピードが上がる。

「あーもう、また倒せなかったし! 通常弾でキルスコア取り放題とか、小隊長、やっぱ言ってることおかしいって!」

 弾倉を手早く交換しながら、アルシーは思わずぼやいた。

『それはー、当然では~?』

「そうだけどね!? こんな無茶してキルスコアがゼロって、やりきれないでしょうが!」

『攻撃力はー、本当にないですよねぇ~』

 呑気なリーフの言葉に、アルシーは思わず「本当にね!」と叩きつけるように叫んでいた。

 通常弾で凍魔を倒すなど、精密な射撃ができる平地でも難易度が高い。走り回る機動砕氷車の上でそれをやるなら、一撃必殺が条件。翠炎弾ならともかく、通常弾でやれることではない。

(ったく、キルスコアは無くてもいいけど、こんな中途半端な状況で、小隊長が真っ先に脱落とか、マジで勘弁して欲しいんだけどね……!)

 じわじわと全身を苛む焦り。まるでそれを肯定するように、遠くから遠雷に似た音が響いてくる。

(どこ行ったのよ、小隊長は……!)

 ホムラが単独で都市に突入してしばらくすると、突如として一斉攻撃が始まった。

 本来であれば、火力面である氷走船と射撃手部隊の前に、都市から出てきた凍魔を引き付けて数を減らし、その後、砲撃支援とともに砕氷兵が戦線を押し込んでいくはずだった。

 それは、消耗を抑えながら、できるだけ都市を保存して奪還するための手順とされていたが、いざ始まった砲撃は、都市の中に火力を叩き込む大雑把なものだ。

(たぶん、タイムスケジュールとか配置が全体的に大きく変更されてるはずなんだけど……砲撃が徐々に西側に移っていくから、それまでにできる限り探索しろとか、雑にもほどがあるでしょ)

 秘匿回線で一方的にアオシから投げつけられた命令から、時間的な余裕がなくなったことだけは分かった。

 しかし、全体を見渡して物事を判断する才覚は、アルシーにはない。それを痛感させられた。

(カケル特務中尉は、少しくらい状況をつかめてるんでしょうね……!)

 交換した弾倉から銃弾をばらまきながら毒づくアルシーのインカムに、個別通信が入った。こんなことをしてくる相手の心当たりは一人しかなく、アルシーは思わず怒鳴りつける。

「ちょっと、立て込んでんだけど!?」

『分かってる。状況が悪い。ここが分岐点だ』

「はぁ!? なんのこと!?」

『残り時間不明、小隊長も動き回ってる、燃料や弾薬だって多くない。おまけに砲火の下を凍魔の間を縫って走らないとならない。この条件での探索は、完全に運任せだ』

「そりゃそうでしょうね……!」

 迫りくる凍魔をけん制しながら、アルシーは話半分に応じる。単純な情報整理に付き合っている暇は無い。

『……なぁ、本当に彼女を、信用していいと思うか?』

「はぁっ!?」

 あまりに場違いなカケルの問いかけに、アルシーの口から素っ頓狂な声が突いて出た。

「彼女って、小隊長のこと? あんた、マジで何言ってんの!?」

 だが、一笑に付すことはできなかった。あまりに深刻な声音が、それを許さなかった。

 分岐点――カケルの選んだその言葉に込められた、得も知れぬ重みを、今更ながらに感じる。

『彼女に従っていて、俺たちは大丈夫なのか……?』

「知らないわよ、んなこと!」

 アルシーは、一方で凍魔へ銃弾を、一方でカケルへ言葉を放った。

「この状況で考えてる余裕あると思う!? 結論出すの今じゃないでしょ、それ!」

 カケルなりに悩んでいることは察するが、それがアルシーの答えだった。

 今はそんなことを、頭の片隅に置いておく隙間すら惜しい。刻一刻と変わる戦場を捉えるので手一杯だ。

「大体、一人で背負うなって言ったでしょ!? そんなの、無事に生き残ってから一緒に考えればいいことでしょうが!」

『それでも、彼女が俺たちを騙しているなら……』

「だー、もう、うっさい! アタシはあんたほど頭の処理能力ないのよ! 余計なこと考えさせんな!! 騙してるって分かったら、そん時にぶん殴ればいいでしょ!? それまでお互いに利用しあってればトントンよ!」

 自分でも筋が通っているのか通っていないのか分からないが、アルシーは出てくる言葉を勢いのまま吐き出す。凍魔に精密射撃しながら、言葉を吟味するなんて器用な真似は、とてもではないができない。

 インカムの沈黙をこれ幸いと、アルシーは射撃に弾倉交換にとせわしなく自分のすべきことをこなす。

 ほんのわずかに息をついた時、ふとインカムから『そうだな』と呟くような声が聞こえてきた。

『アルシー特務中尉の言うとおりだ。今は助けるってことでいい……!』

 突如、機動砕氷車が鋭角に曲がった。予期せぬ動きにわずかに姿勢を崩すが、即座に立て直す。

『アルシー特務中尉、リーフ特務少尉! 南西側を探す! 賭けだが、附番通りの中でも小さめのものに絞るぞ!』

 一転した力強い言葉に、アルシーは、一瞬、呆けてしまった。

『了解です~』

 しかし、リーフの応答に我に返り、自身もまた了解と追随した。


*          *          *


 通りを滑るリーフの頬を、ほんのわずかな違和感がかすめた。

 ほんのわずかに肌を引っ張るような奇妙な感触だった。反射的に視線がつられた直後、リーフは考えるよりも先に、鋭く滑走靴のエッジを立てた。

「見つけました~」

 インカムにそう告げながら、ほとんど倒れ込むようなブレーキをかけ、膝の動きで跳ね起きて姿勢を整える。

 機動砕氷車がブレーキをかけたのを視界の端に、リーフは目的の建物へ足を踏み入れた。

 床も壁も天井すらも氷に覆われた室内には、朽ちる間すらなく凍ったのか、生活の色を残す家具類がそのまま残っている。テーブルの上には、食事の用意をしていた痕跡すら見て取れた。

 一瞬で凍り付かねば、こうはならないだろう。その割に、ここで暮らしていた人の痕跡は――氷像はない。

「それよりも~」

 リーフは部屋の中央に置かれたテーブルの下で、何かにかぶせられた防水布へ目をやった。

 すべてが凍り付いた世界で、唯一、霜をかぶるだけに留まっているもの。

「助けに来ましたよ~」

 声をかけるも、反応はない。

 ただ、凍り付いていないそれは、まだ置かれてからさほど時間が経っていないはずだ。探し物であることは間違いない。

 リーフはほとんど体を動かさずに床を滑り、テーブルの横に近づいた。腰をかがめる動作と同時にぴたりと滑りを止め、布の端をそっとつまむ。

 そうっとめくって中をのぞき込むと、そこには顔中を霜に覆われた二人の男性がいた。

 背嚢を椅子にし、部屋の中で最も冷気が伝わりにくい部屋の中央で、まるで物理的に一つになろうとでも言わんばかりに肩を寄せ合って丸まっていた。

「これは~……」

 小さく首をかしげるリーフの背中に、「状況は?」とアルシーの声がかかった。

「要救ですねー、なんとか生きてますよ~」

「要救!? ちょっと、それ早く言いなさいよ!」

 泡を食ったようにアルシーが駆け寄ってきた。膝をついて防水布の中をのぞき込み、表情を厳しくする。

「ギリギリなんとかなる、かな、これなら。もつかは賭けだけど」

 そう呟いたアルシーが、腰のポシェットからケースに入った小ぶりのナイフを取り出した。

 柄の下をひねってからケースから引き抜くと、赤く光る刃が現れた。

 アルシーはそれを机の支持脚の一つに当てる。じゅっと音を立ててナイフが凍り付いた支持脚にもぐりこみ、すり抜けた。隣の支持脚も同じように切断すると、体ごと起き上がって机を押し上げる。バキリと音を立てて反対側の支持脚が二本とも折れた。

 音を立てて転がる机に目もくれず、アルシーはまず一人が座っている背嚢にナイフを当てた。背嚢側を数センチ残すように切断し、もう一人の分も同じように切る。

 アルシーの見上げてくる視線を受けて、リーフは一人の足を引いてみるが、びくともしなかった。首を横に振ると、アルシーは予想していたようにナイフをかかとのあたりにあてた。ためらうようにわずかに手を止めてから、指先まで一気に靴底を削り取った。

 そのままもう片方の足も解放し、流れるようにもう一人の両足も同じく靴底を切り離す。

 その直後、ナイフが急速に赤い光を失い、鈍色に変わっていく。それを見てアルシーがふぅ、と小さく息を吐いた。

「ホントにトーチカナイフこれは続かないわね……」

「アルシー特務中尉~」

「分かってるから。さすがに一息くらいつかせてよ」

 そう言いながらも、アルシーは役目を終えたナイフを投げ捨て、要救助者の片方の腕の下に肩を入れる。リーフも反対側でもう片方の要救助者に対して同じ姿勢を取った。

「せーの」

 アルシーの声に合わせて、リーフも立ち上がる。

 わずかな抵抗を振り払い、二人は半ば凍ったままの要救助者二人をまとめてを担ぎあげた。

「急ぎましょう」

「はい~」

 お互いを見ながら、リーフとアルシーは足早に建物の外に向かう。

 靴の防寒性を放棄した彼らの足は、ただでさえ失った体温をさらに急速に失っていく。そしてそれは、すぐに全身に広がっていってしまう。内部に入り込んだ冷気に、機能の低下した服の防寒性では対抗できない。

「カケル特務中尉! ドア開けて! それから暖房、ガンガンにかけて!」

『――了解』

 わずかな間は、カケルのためらいだろう。暖房は燃料を食う。だが、人命には代えられない。

 幸いにも凍魔に出くわすことなく、リーフとアルシーは要救助者を連れたまま機動砕氷車に戻ることができた。

 要救助者の二人を最後部の座席に下ろすと、アルシーがすぐに暖房の風向きを集中するように動かし、備え付けの毛布をかけた。

 そのままシートベルトで固定し、「オーケー!」と運転席に向けて叫ぶ。

 動き出した機動砕氷車の中で、ふと、リーフは息遣いの変化を感じた。暖房の風に紛れる小さな言葉。

 要救助者の一人に顔を近づけてみると、その唇がほんのわずかに動いていることに気づいた。

 目を凝らしてその動きと声になるかも怪しい音を拾う。

「ちゅうおう……しき……ですか~?」


*          *          *


 唐突にインカムから放たれた大音量に、ホムラは眉をしかめて耳を押さえた。

 すぐに音量を下げ、その内容に意識の一部を向ける。

(父さん……いくら小隊用のチャンネルだからって、こんな強い通信送ったら、丸聞こえもいいところじゃない)

 通信の内容は、カケルからホムラへ向けた進路の伝達だ。当然、合流地点とタイミングの再設定も兼ねることになる。

(まぁ、ここが単なる凍魔の巣だと思ってるんだから、仕方がないんだけどね)

 小さくため息をつくと同時に、ホムラは手に持ったナイフを振るう。

 金属質の音が響き、雪の上に氷片が突き刺さった。刃物のような鋭さと、視認を困難にする透明度のそれは、研ぎ澄まされた殺意のごとき武器だった。

「不可視の剣で一撃必殺とか、もっともったいぶってやるもんじゃないの?」

「戯言を。ならば、なぜ、お前は、防げた。ただの、尖った氷、だ。剣でも、不可視でも、ない」

 つっかえるような、ゆっくりとした発声。しかし、確かに意思を持って受け答えをしている。

「単なる比喩なんだけどね。無鉄砲であんたの前に立ったわけじゃないよ」

 軽い口調で言いながら、ホムラは視線を持ち上げた。建物の三階を越えた場所にある相手の顔を、ぴたりと見据える。

「それで、たった、一人で、何の用だ?」

「もちろん、あんたを倒すためよ。さっきの将官級にも言ったけど、ここ、単なる凍魔の巣ってことになっててくれないと困るからね」

「相も変わらず、人は、勝手で、愚かだな。己の都合が、何より正しいと、当然のように、考えて、いる」

「それはお互い様。だから、戦うしかないんでしょ?」

「微塵も、揺らぎが、ないな。本気で、ワタクシを、倒せると、確信している、のか?」

「ええ。さすがに一人でじゃないけど、討伐経験あるしね。今のあんただったら、まぁ、何とかなる程度ね。凍魔の王女様?」

「なん、だと……?」

 その揺らぎは、ホムラの言葉のどちらに対してのものか。

 凍魔の王女――それは、未だ人には存在を知られていないはずだった。

 当然、討伐などされるはずがない。

(そう、この時代なら、ね)

 ここにいるはずがない、凍魔の最上位クラスに位置する知性個体。

 それが知られるのは、もっと後の時代のはずだ。

 今の人類の力では、こんな個体を――いや、彼女を頂点とする軍団に、かなうわけがない。

(さて、これはどういう流れなのかしら)

 何かがねじれたのか。それとも役割が変わっただけか。

 いずれにしても、人の歴史にとっては、ここが凍魔の基地であってはならない。

 だからこそ、何としても倒すしかないのだ。

 肩をすくめてから、ホムラは「とは言っても」と言葉を続ける。

「あんまり時間もないし、手加減できるほどじゃないから、いきなり奥の手、切らせてもらうわね」

 そう言って、ホムラはポーチから小石大の氷を取り出した。それを口の中に放り込み、一気にかみ砕く。

 それを見た凍魔の王女の目が大きく見開かれた。

「なぜ、お前が、人間が、凝集白零アグセレントを、持っている……!」

「偶然の産物であっても、もとは人の技術。それなら偶然ですら解明するのよ、人は。どんなに追い詰められてもね」

 ホムラの内からあふれた力が、緑の炎となって全身を包む。

 まるで湯気のように揺らめく緑の炎の中で、ホムラは両手にナイフを構えた。

 そんなホムラへ、凍魔の王女が貫くような視線を向けてくる。

「ならば、知っている、はずだ。我ら、凍魔が、何を、しているか……!」

「ああ、疫病を非活性化してるってやつ? 当然、知ってるわよ」

 ホムラはあっさりとそう答えた。凍魔の王女が言葉を失う様子を鼻で笑う。

「あんた達がこの氷の世界を維持してるから、疫病が蔓延しないんでしょ。ついでに言えば、あんた達が人を凍らせてるのは、人類を保護しているってことも知ってるわ。すでに清浄地域なんてなくて、人類漏れなく感染者。だから人が一定以上の温度を獲得しないようにしてるんだよね。要するに世界丸々を使ったコールドスリープの執行者ってことよね、凍魔って」

「そこまで、分かっていて……!」

「そう。分かってて、それでも抗うって言ってんの」

「なぜだ……! なぜ、邪魔を、する……!」

 凍魔の王女の苛立った様子を冷めた目で見ながら、ホムラは答える。

「父さんが死ぬから。凍化じゃなくて、物理的に。いや、凍化ならいいってわけじゃない。あんた達も少しずつおかしくなってくのよ。結局、あんたらがやってることだって、時間稼ぎでしかないわ。緩やかな滅びへのね」

 順手に持ったナイフの刃先を凍魔の王女に向け、ホムラは明確な殺意を放つ。

「そもそも最初に世界がこうなった時点で――失敗した時点で、あんたらを受け入れるなんて選択肢、なかったのよ。人類は間違った。だったら私が合ってようが間違っていようが、何を言われる筋合いもないわ。私は父さんを生かす道を作る。そのために邪魔なあんたらを滅ぼす」

「ならば、ワタクシは、我らが女王のため、使命のため、お前を、排除する……!」

 咆哮とともに放たれる氷弾の雨。それを冷静に見据えながら、ホムラは地を蹴り駆けた。

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