【第四章】結婚式 招かざる客
ガーリとラルツァの結婚式は穏やかな春の時期に行われた。隣町や村から大勢の客が訪れ、沢山の酒やご馳走が彼らに振る舞われた。戦争の被害が大きい西の村々からの訪問客は殆どいなかったが、それでも村は人々でごった返し、賑わった。
結婚式とは祝いの場であると同時に出会いの機会でもある。程度は違えど、どこの国でも、どんな共同体でもそれは同じだ。同じ血が流れる者同士の結婚は御法度だが、同じ村の男女で名字が違う者はそうはいない。村の若者は親と共に行事に出向き、他の村で結婚相手を探すのが通例で、結婚式はその代表だった。
若者は気に入った相手を見つけると、まずは名前を名乗り、相手の姓に問題がないと分かると、ダンスを申し込む。初対面の男女は照れ笑いを浮かべながらぎこちなく、以前から逢引を交わしていた男女は息が合いすぎないように踊り、自分達の親族にそれを示すのだ。従順だと思っていた恋人が他の男性の誘いに乗って打ちひしがれる男の姿を描いたジェフリー・グロック作の“愚か者”という絵画や、ならず者のエベックを唄った詩の一文──ジェミは未来の夫を見つけたり。それが間違いであるとも知らずに──。は全てこの“儀式”での出来事を描いている。
「いいや、俺とラルツァはそんな出会いじゃない。ラルツァの家族は帝国の移民で、こことは縁もゆかりも無いからな」
式前夜、鶏のローストを手で捌きながら、ガーリはウラルドの問いに答えた。
「俺とあいつは子供の頃良く遊ぶ仲だった。だけどいつしか話さなくなった。喧嘩をしたわけでもなかったんだが、きっと俺たちの何かが変わったんだろうな。それから酒が飲めるようになった年に、俺が金竜亭に一人で行ってさ、その時にラルツァと再び会ったんだ」
ガーリは肉を頬張りながら、懐かしむように目を細めた。
「最初は親父さんが器量の良い女性を雇ったんだと思った。俺が知ってるラルツァはいつも泥だらけで、髪も乱れてたからな。けど、その日は違った。成長した彼女は髪を長くしていて、その肌は良く透き通っていた。一目で惚れたさ」
ガーリは苦笑を浮かべ、手の中の骨を皿に置いた。
「緊張して注文をためらっていたら──」
「お前も緊張する事あるんだな」
「あるさ、俺は意外と繊細なんだ──それで、俺が固まっていたら彼女が近づいてきて、“いらっしゃい、ガーリ”って笑って言ったんだ……あの時の笑顔は、今でもはっきり覚えてる」
ガーリはそう言って、杯を持ち上げた。酒の表面がかすかに揺れる。焚き火の橙色の光が杯に映り、波のようにきらめいた。
「それからしばらく通ったさ。金がなくても行った。飲まなくてもいい、ただ彼女と話せるだけで満足だった。そしてある大雨の日、帰れなくなった俺を親父さんが店に泊めてくれたんだ……その時──」
「おっと、そこまでで大丈夫だ」ウラルドは苦笑しながら、手をひらひらと振った。「続きを言わなくても察しがつくよ」
「え? い、いや! 違う違う! そんな話じゃないさ」
ガーリは慌てて手を振った。
「想像するような事は何もなかったさ。ただ夜が更けるまで二人で話して笑ったな。昔みたいに」
風が吹き抜け、焚き火の火が揺らめいた。遠くから笑い声と笛の音がかすかに聞こえてくる。
「二人の間にぽっかり空いた空白が一晩で埋まったような気がした。それからは店でもより話すようになって、気がついたら婚約してた……そして」ガーリは息を呑んだ。「明日、俺は彼女と……──」
「結婚する」
ガーリは頷いた。ウラルドの控えめな笑い声が辺りに響く。
次の日の朝。春の陽光が丘をやわらかく包み、村の広場は朝から人々で賑わっていた。木の枝に吊るされた花輪が風に揺れ、子どもたちが走り回ったり、石造りの段に腰を下ろして笑い合っている。
中央には長いテーブルが並び、皿に盛られた肉やパン、酒の樽が次々と運ばれていった。女たちは忙しそうに行き来し、男たちは酒樽を担いで声を張り上げている。
新郎の天幕の中。ガーリは祭服に身を包み、胸元の白布を何度も整えていた。
「おい、そんなに緊張するなよ」
背後からウラルドの声がした。彼はいつものように落ち着いた顔で、手にした花の冠を差し出した。
「ほら、新郎の証だ」
ガーリは照れくさそうに受け取ると、頭に乗せた。
「変じゃないか?」
「立派だ。どこから見ても立派な新郎だよ」
「……そうか」
ガーリは深く息を吐いた。
やがて笛の音が響き渡った。人々のざわめきが静まり、ガーリの心臓は更に高鳴った。
人々が静まり、視線が一斉に一点へと向けられる。
天幕から白い衣を着た女が姿を現した。
ラルツァだった。彼女は父親に付き添われ、司祭の下へと歩いていく。
彼女の髪は陽できらめき、風で優しく靡く。革のサンダルを履いた真っ白な足でゆっくりと地面を踏みしめ、父親の大きい腕をしっかりと掴む。子どもたちが道の両脇で花を投げ、女たちは美しいラルツァの姿を見て小さく囁き合った。
天幕からラルツァの姿を覗いていたガーリは喉がからからになり、息を呑んだ。
「う、ウラルド……俺が緊張で固まっちまったり、変な事を口走ったら殴ってくれ」
「分かったよ」
ウラルドは親友の肩を叩き、支えた。
笛の高らかな音に合わせ、村人たちの拍手が広場に響き渡る。ガーリは深く息を吸い込み、ぎこちなくも確かな足取りで、天幕の外へと歩みを進めた。心臓は喉の奥まで跳ね上がるように高鳴り、手のひらはほんのりと汗で湿っていた。
司祭の前に立ったガーリ。今日初めて顔を合わせた彼とラルツァはゆっくりとお互いの目を見た。時間がゆっくりと流れるかのように、周囲の音は遠のき、広場の景色は霞んでいった。ガーリは強張った笑みを浮かべ、ラルツァは優しく微笑んだ。
親友の後ろに立つウラルドは、家族達と共に司祭の隣に立つクラリアを見ていた。彼女は微かに笑い、それにウラルドも応えた。
司祭の声が響く。
「これより、二人の婚姻の儀を執り行う」
司祭の指示で式は進んだ。
魔道士かガーリとラルツァの間に同じ血が流れていないことを確認し、それを司祭に告げる。
それが済むと、サーヴェの巫女達がラルツァの周りをベールで囲い、ラルツァの前に水桶を置いた。巫女は桶で手を洗った。本来なら、ここで新婦の純潔を確かめるのだが、今ではその儀式は形式的な物となっており、巫女はラルツァの衣をめくるフリをしたあと「真、穢れなき!」と声を上げた。
ベールが取り払われ、司祭は式を続けた。二人の名前を交互に呼び、お互いを愛しているかと問う。ガーリは食い気味に「もちろん」ラルツァは恥じらいながら「はい」と応えた。
司祭は村の領主たるヴィグラムの方を向き、彼から領民の婚姻を認める書状を受け取った。
「結構!」
司祭は書状にサインし終えると、高らかに叫んだ。
「これにて、この者達は夫婦となった! 願わくば終末の日、サーヴェの舟が西海に現れし時まで、二人の愛が続きますように!」
拍手と歓声が広場に響き渡る。太鼓の音が重なり、笛の旋律は春の空気に溶けていく。ガーリはラルツァの手をしっかりと握り、指先の温もりに自分の心が落ち着くのを感じた。互いに視線を外すことなく、ただ静かに微笑み合うのであった。
広場にいた村人たちは歓声を上げ、子どもたちは花を撒きながら二人の周りを跳ね回る。春の光が二人を包み、花びらが風に舞い、まるで世界全体が祝福しているかのようだった。
その日の夜、村人たちの歓声が広場に満ちていた。笛や太鼓の音に合わせて男女が踊る中、ガーリとラルツァは大きな水差しを一緒に持ちながら、客人達のもとを周り、ワインを注いだ。
やがてウラルドのところにもガーリとラルツァがやってきた。二人は水差しを慎重に持ちながら、ウラルドに頭を下げ、それにウラルドも応えた。
ガーリとラルツァは水差しを傾け、杯をワインで満たす。作法に従い、新郎新婦は言葉を発しなかった。が、ウラルドの杯にワインを注ぎ終えた時、ガーリは「のんびり飲んでる場合か」とウラルドに囁き、顎で何かを示した。
彼が示す先にはクラリアがいた。男女が踊る広場の中で、彼女は立ちつくしていた。何かを待ってるようだった。
「いけよ!」後ろを振り向き、ガーリが小声でウラルドを急かす。「次にこの重い水差しを持つのはお前と彼女だ」
自分とクラリアはそんな関係じゃない。そう言おうとした時には、ガーリ達は側にいなかった。
ウラルドはもう一度クラリアを見る。
「わが名はアルファン・セルモード。麗しきお方よ、私と共に踊っていただけますか?」
「高貴なるお方。お手をどうぞ」
高貴なる生まれの彼女に近づくのは他の村の名士や騎士。彼女はダンスの誘いを受ける度に「ああ……いえ」とか「ごめんなさい……遠慮します」言葉を濁すばかりで、踊りの輪に加わることはなかった。
ウラルドは立ち上がり、彼女の元へと向かった。
「一緒にどうだ?」
「いえ、私は──」クラリアは目の前に立っている人物がウラルドだと気がつくと、言葉を詰まらせた。「ウラルド……」
「一人で酒を飲んでいるのにも飽きた。一緒に皆と踊らないか」
クラリアは頬をわずかに赤く染めた。「そんな事したら周りが勘違いする」内心では喜びに胸が躍っていたが、つい素直になれなかった。
「それじゃ、一緒に何か飲もう」
「それなら……」クラリアは小さな声で応えると、頷いた。
ウラルドは微笑み、そっと彼女の手を取った。
クラリアが素直になれない自分を恨めしく思った時だった。見慣れぬ騎士たちが現れ、彼らの馬が広場を蹄で踏み鳴らす。
笛や太鼓の音がやみ、ざわめきが起こった。
広場のざわめきは一瞬にして凍りついた。笛や太鼓の音が途切れ、村人たちは目を丸くして騎士たちを見つめた。騎士たちは鎧を身にまとい、長槍を掲げている。
「我らはバグラル卿の使いである!」
先頭に立つ騎士が大声で宣言した。彼の鎧には、金と赤の紋章──ザイセン王国貴族であるラモルンド家の紋章が刻まれていた。
「我が主人バグラル卿はこの地域を治める大領主としての当然の権利として初夜権を行使する! 本日この地にて婚姻の義を交わした新婦──ラルツァはは我らと共に城へ赴き、バグラル卿と初夜の儀を執る義務がある!」
絶望で広場全体が凍りついたかのようだった。
ヴィグラムやクラリアの父と兄達がバグラルの手下達に詰め寄るが、バグラルの手下は正当な権利だと引き下がらず、書状を彼らに見せた。
ザイセン王国に下った今、ベミル家は大将軍の配下であり、南部を統治するラモルンド家の家臣であった。村の統治は変わらず任されていたが、実質的には村と周辺の地域はラモルンド家の領地であった。
ヴィグラムは顔を紅潮させ、怒りに震えていた。
「我らは確かにザイセン王国に下ったが、これは行き過ぎている! はるか昔に廃れた風習を持ち出して「権利」だと? そんなもの、認められるはずがない!」
ヴィグラムは拳を握り締め、騎士の馬の鼻先にまで詰め寄った。
だが騎士は怯まず、冷たい声で答えた。
「確かに初夜権は廃れて久しい。だが、それを我が大将軍は復活なされたのだ。よってこれは正当な行為であり、当然の権利である。邪魔立てすれば容赦せぬぞ」
ヴィグラムやベミル家の男達は歯を食いしばる。
「分かってもらえて何よりだ」バグラルの手下は兜の下で微かに笑った。「さっさと新婦を差し出せ」
「……断る!」ガーリの唸るような声が響いた。
「お前らの主に伝えろ。ラルツァは俺の妻だ。どんな法を持ち出そうが、渡すつもりはない」
バグラル卿の手下は鼻で笑った。
「ほう……英雄気取りか? だが、貴様の命では償えぬ。バグラル卿が求めるのは女だ」
ガーリは踏み出そうとしたが、ラルツァが彼の腕を掴んだ。
「だめ、ガーリ……お願い、やめて」その声は震えていたが、確かな意志があった。「あなたが死んだら、私は……耐えられない」
短く夫に口づけし、唇を離す。
彼女は微笑んだ──それは、覚悟を決めた者の微笑だった。そして涙が頬を伝い落ち、淡い光を受けてきらめく。
しっかりとした足取りで騎士達に向かうラルツァ。白い衣が風に揺れ、涙を乾かす。
「よく決心したな」
騎士が言った。声には僅かな嘲りが混じっていた。そして彼はラルツァの姿をつま先から頭まで眺めた。「これならバグラル卿も喜ばれるだろう」
村人たちは沈黙していた。誰もが怒りを胸に抱きながら、声を出せなかった。
拳を握り締め、歯を食いしばるだけだった。
その日は誰もが無力であった。
◆
真夜中。静寂を裂くように、城の奥から女の悲鳴と泣き声が響いた。声は石壁に反響し、やがて男の笑い声と共鳴する。
夜気は冷たく、蝋燭の炎がかすかに揺れる。番兵たちは扉の先から聞こえてくる物音と声を聞きながら、静かに寝室を護った。
長い時間が過ぎた。やがて笑い声も泣き声も途絶え、城は再び静寂を取り戻した。
夜が明ける頃、東の空が淡く白み始めた。
寝室の重い扉が静かに開き、一人の騎士が姿を現す。ベッドに掛けられた毛布の二つの膨らみから、騎士は主人の存在を感じ取る。
騎士は静かに寝室へと足を踏み入れた。
床には散らかった衣服と転がる酒杯、それからシーツ。ぐしゃぐしゃに乱れたベッドのシーツは赤く染まっていた。
毛布の下から、わずかに人の息づかいが聞こえる。豪快なイビキと静かな寝息だ。
騎士はひとつ息を整え、大きい方の膨らみを揺すった
毛布の下で、低くうめくような声が返ってきた。
「……誰だ……ああ、ロレンか……どうした?」
「朝早く失礼いたします、バグラル様。王都から使者が到着しております。お目通りを願いたいと」
「わかった……」
バグラルは毛布をめくり、上半身を起こした。大柄な男の体と、その傍らに横たわる女の白き肌が露わになった。
女の乱れた髪が風に靡く。
「昨夜城に来た。美しいだろう」
騎士は顔を伏せ、答えずにただ待つ。
「使者は客間で待たせろ。すぐに行く。返す前に楽しみたいのでな」
「……はっ」
騎士は敬礼し、音もなく退室した。
扉が閉まると、バグラルは女をひっぱたき、驚いた女を襲った。
使用人が部屋の掃除をしに入ってきた時、ベッドには浅く呼吸する女が横たわっていた。
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