第16話 暴露の瞬間
午後六時二十五分。三曲目が終わった。
会場は歓声に包まれていた。五千人のファンが、一斉に拍手を送っていた。ペンライトが揺れ、熱気が会場を満たしていた。
ステージ上のメンバーたちは、息を切らしながら客席を見つめていた。
ユウマがマイクを持った。彼の手は、わずかに震えていた。
「ありがとう」
その声は、いつもより少し掠れていた。
「次の曲の前に…少し、時間をもらいたい」
会場が少し静かになった。何か特別な発表があるのだろうか。ファンたちは期待を込めて、ステージを見つめた。
しかし、ユウマの表情は硬かった。カズキもソウタもリョウも、皆同じように緊張した面持ちだった。サラは俯いて、顔を上げることができないでいた。
ユウマが口を開こうとした、その時。
ステージの袖から、一人の男性が現れた。
四十代半ばの、痩せた男性。田村プロデューサーだった。
会場がざわついた。
「え、誰?」
「プロデューサーじゃない?」
「何で出てくるの?」
ファンたちは困惑していた。ライブの途中で、プロデューサーがステージに上がるなんて、異例のことだった。
バックステージでは、田村巡査が即座に連絡した。
「対象がステージに上がりました!」
警備本部の松本警部が指示を出した。
「全員、警戒態勢!何かあれば即座に介入する!」
会場内に配置された警察官たちが、一斉に身構えた。
田村プロデューサーは、ゆっくりとステージの中央に歩いていった。メンバーたちは、彼を見つめたまま動けなかった。
田村は、予備のマイクを手に取った。
会場は、静まり返っていた。何が起こるのか、誰も分からなかった。
田村プロデューサーは、客席を見回した。五千人のファンたち。皆、彼を見つめていた。
そして、彼は口を開いた。
「皆さん、初めまして。私はTransient Bubblesのプロデューサー、田村健一と申します」
会場から、小さな拍手が起こった。しかし、すぐに止んだ。何か、おかしい。空気が重い。
「今日は、特別なお話があって、こうして皆さんの前に立たせていただきました」
田村の声は、冷静だった。しかし、その奥に、深い悲しみと怒りが隠されていた。
「皆さんは、このバンドを応援してくださっている。彼らの音楽を愛してくださっている」
ファンたちは頷いた。
「しかし、皆さんは知らないことがある。彼らが、どんな人間なのか。どんな過去を持っているのか」
会場の空気が、一変した。
メンバーたちは、呆然と田村を見つめていた。
「十年前」田村プロデューサーは続けた。「私には、一人の息子がいました」
会場が静まり返った。
「名前は、田村隆司。十四歳でした」
田村の声が、わずかに震えた。
「隆司は、音楽が大好きな、優しい子でした。友達は少なかったけれど、純粋で、誠実な子でした」
ファンたちは、息を呑んで聞いていた。
「その隆司が、清水市立第三中学校に通っていた時のことです」
田村は、ステージ上のメンバーたちを指差した。
「この五人と、同じクラスでした」
会場がざわついた。
東京から来た大学生の美咲と理恵は、顔を見合わせた。
「え、同級生だったの?」
「知らなかった…」
地元の高校生、健太は、身を乗り出してステージを見つめた。
「隆司は、彼らから、いじめを受けていました」
その言葉が、会場に落ちた瞬間、空気が凍りついた。
「いじめ…?」
「嘘でしょ…」
ファンたちの動揺が、波のように広がっていった。
田村プロデューサーは、冷静に続けた。
「毎日のように、暴言を浴びせられました。物を隠されました。殴られました。蹴られました」
会場から、小さな悲鳴が上がった。
サラは、ステージ上で膝をついた。顔を両手で覆って、泣き始めた。
田村は、さらに続けた。
「隆司は、毎日泣いていました。学校に行きたくないと言いました。でも、私たち親は、気づいてやれなかった」
田村の声が、苦痛に歪んだ。
「そして、ある日。隆司は、自宅で首を吊って死にました。十四歳で、自ら命を絶ったんです」
会場が、完全に静まり返った。
誰も声を出せなかった。誰も動けなかった。
ただ、田村プロデューサーの言葉が、静寂の中に響いていた。
「息子の部屋から、日記が見つかりました。そこには、毎日のいじめの記録が書かれていました」
田村は、ポケットから一枚の紙を取り出した。
「これは、その日記のコピーです。読ませていただきます」
会場の誰もが、固唾を呑んで聞いていた。
「『今日も、学校で酷いことを言われた。死ねって。消えろって。僕は、何も悪いことしてないのに。なんで、こんなに辛い目に遭わなきゃいけないの』」
田村の声が震えた。しかし、彼は続けた。
「『もう、学校に行きたくない。でも、お父さんとお母さんに心配かけたくない。だから、我慢する。でも、いつまで我慢すればいいの。いつになったら、この苦しみは終わるの』」
会場のあちこちで、すすり泣く声が聞こえ始めた。
主婦のあゆみは、涙を流しながら、ステージを見つめていた。自分の子供たちのことを思った。もし、自分の子供がこんな目に遭ったら。
「『サラちゃんだけは、優しくしてくれる。でも、サラちゃんも、他のみんなが怖いんだと思う。僕を守ろうとすると、サラちゃんもいじめられるかもしれない。だから、僕は我慢する』」
サラが、声を上げて泣き始めた。その声が、会場中に響いた。
田村プロデューサーは、紙を握りしめた。
「そして、最後の日記。隆司が死ぬ前日に書いたものです」
彼は、深呼吸をした。
「『もう、限界だ。毎日が辛い。生きているのが辛い。お父さん、お母さん、ごめんなさい。僕は弱い人間です。もう、頑張れません』」
田村の目から、涙が溢れた。
「これが、息子の最後の言葉でした」
会場は、完全な静寂に包まれていた。すすり泣く声だけが、所々から聞こえてきた。
田村プロデューサーは、涙を拭いた。そして、ステージ上のメンバーたちを見た。
「この五人が、私の息子を死に追いやったんです」
その言葉が、会場に衝撃を与えた。
ファンたちは、信じられないという表情でメンバーたちを見た。
ユウマは、うなだれていた。カズキは、顔を覆っていた。ソウタは、立っていることができず、床に座り込んでいた。リョウは、ただ呆然と立っていた。
そして、サラは、泣き続けていた。
田村プロデューサーは、続けた。
「私は、三年をかけて、この真実を突き止めました。学校は隠蔽しようとしました。でも、私は諦めなかった」
彼の声には、怒りが込められていた。
「そして、復讐を決意しました」
会場がざわついた。
「最近、清水で三人の若い男性が死にました。田中慎也、森田浩二、佐々木拓也。皆さんも、報道で知っているでしょう」
ファンたちは、息を呑んだ。
「彼らも、隆司をいじめた加害者でした。この五人と一緒に、私の息子を苦しめた者たちです」
田村プロデューサーは、冷たく微笑んだ。
「私が、彼らを始末しました」
会場が、悲鳴に包まれた。
「嘘でしょ!」
「殺したの!?」
パニックが広がり始めた。
警備本部では、松本警部が即座に指示を出した。
「今だ!田村を確保しろ!」
しかし、田村プロデューサーは続けた。
「ただし、証拠はありません。全て、事故か自殺として処理されています」
彼は客席を見回した。
「私は、このバンドをプロデュースすることにしました。彼らを見つけ出し、成功させた。そして、今日、この場で、全ての真実を明らかにする」
田村プロデューサーは、ステージの巨大なスクリーンを指した。
「今から、皆さんに映像をお見せします。十年前、何が起こったのか。このメンバーたちが、何をしたのか」
スクリーンが明るくなった。
しかし、その時。
ユウマが立ち上がった。
「待ってください!」
ユウマは、田村プロデューサーの前に立った。
「田村さん、その映像を流す前に、俺たちに話させてください」
田村プロデューサーは、冷たい目でユウマを見た。
「何を話す?言い訳か?」
「いいえ」ユウマは首を振った。「謝罪です」
ユウマは、客席に向き直った。
「みんな、聞いてくれ」
ユウマの声は、震えていた。しかし、はっきりと会場に響いた。
「田村さんが言ったことは、全て本当です」
会場が、再び静まり返った。
「俺たちは、十年前、田村隆司くんをいじめていました」
ユウマの目から、涙が溢れた。
「毎日、酷いことを言いました。暴力も振るいました。彼の持ち物を隠したり、壊したりしました」
会場のあちこちで、ファンたちが泣き始めた。
「隆司くんは、何も悪くなかった。ただ、大人しくて、反撃しない子だった。だから、俺たちは…」
ユウマは言葉に詰まった。
「俺たちは、面白半分で、彼を苦しめたんです」
カズキも立ち上がった。
「俺も、同じです。俺も、隆司くんをいじめた。最低な人間です」
カズキの声も、涙に濡れていた。
ソウタも、立ち上がった。
「俺も…俺も同じです。ごめんなさい」
リョウも、前に出た。
「俺たちは、人を死に追いやった。それは、殺人と同じです」
四人は、客席に向かって、深く頭を下げた。
会場は、混乱していた。泣く人、怒る人、呆然とする人。
そして、サラが立ち上がった。
彼女は、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。
「私は…」
サラの声は、掠れていた。
「私は、隆司くんの親友でした」
会場が、息を呑んだ。
「隆司くんは、優しくて、音楽が大好きで、いつも笑顔の子でした」
サラは、泣きながら続けた。
「でも、この四人が、隆司くんをいじめ始めた時、私は…止められなかった」
サラの声が、悲痛に歪んだ。
「私は、仲間でいたかった。この四人と一緒にいたかった。音楽を続けたかった。だから、見て見ぬふりをした」
彼女は、自分の胸を叩いた。
「私は、最低です。隆司くんを守れなかった。親友なのに、何もできなかった」
サラは、床に崩れ落ちた。
「ごめんなさい…隆司くん…ごめんなさい…」
彼女の泣き声が、会場中に響いた。
田村プロデューサーは、サラを見下ろした。
「君だけは、違った。君は、止めようとした」
田村の声は、少し優しくなった。
「隆司の日記にも書いてあった。『サラちゃんだけは、優しい』と」
サラは、顔を上げた。涙で歪んだ顔で、田村プロデューサーを見た。
「でも…私は…」
「君を責めるつもりはない」田村は言った。「君も、まだ子供だった」
しかし、サラは首を振った。
「いいえ…私も同罪です。見て見ぬふりをしたことは、加担したことと同じです」
会場では、様々な感情が渦巻いていた。
美咲と理恵は、抱き合って泣いていた。
「信じられない…」
「私たち、何を応援してたの…」
健太は、複雑な表情でステージを見つめていた。自分もいじめを受けた経験がある。だから、隆司の苦しみが分かる。でも、同時に、このメンバーたちの音楽に救われた自分もいる。
裕子は、涙を流しながら、自分の人生を振り返っていた。彼らの音楽が、自分を励ましてくれた。でも、その音楽を作った人々が、誰かを死に追いやっていた。
会場のあちこちで、ファンたちが席を立ち始めた。
「帰る!もう見たくない!」
「最低だ!」
怒りの声が飛び交った。
しかし、一方で、動けない人々もいた。
ただ、呆然とステージを見つめている人々。
警備本部では、松本警部が状況を把握しようとしていた。
「会場が混乱している。警備員を増やせ!」
警察官たちが、会場内に入っていった。
その時、会場の後方から、一人の男性が走ってきた。
山田巡査部長だった。
彼は、必死の形相で会場に入ってきた。そして、ステージを見た。
メンバーたちが、泣きながら頭を下げている。田村プロデューサーが、冷たい表情で立っている。
山田は、立ち尽くした。
自分が守ろうとした人々。自分を救ってくれた音楽を作った人々。
彼らは、加害者だった。
山田の心が、音を立てて崩れていった。
ステージでは、ユウマが再び口を開いた。
「みんな、俺たちは、音楽を続ける資格はありません」
ユウマの声は、はっきりとしていた。
「今日で、Transient Bubblesは解散します」
会場が、ざわついた。
「そして、俺たちは、二度と音楽をやりません。これが、俺たちにできる、せめてもの償いです」
カズキも言った。
「みんなを裏切って、ごめんなさい。俺たちの音楽を信じてくれて、ありがとうございました」
ソウタも、涙ながらに言った。
「本当に、ごめんなさい」
リョウは、ただ深く頭を下げた。
サラは、泣き続けていた。
田村プロデューサーは、客席を見回した。
「皆さん、これが真実です。あなたたちが愛した音楽は、罪の上に建てられたものだったんです」
その言葉が、最後の一撃となった。
会場は、完全な混乱に陥った。泣き叫ぶ人、怒鳴る人、ただ呆然とする人。
警察官たちが、田村プロデューサーに近づいた。
「田村健一、あなたを脅迫罪で逮捕します」
田村は、抵抗しなかった。ただ、静かに従った。
彼の顔には、満足そうな表情が浮かんでいた。
復讐は、完了した。
山田巡査部長は、会場の隅で立ち尽くしていた。
彼の目には、涙が溢れていた。
自分は、何を守ろうとしていたのか。
音楽?それとも、ただの幻想?
山田は、その答えを見つけることができなかった。
会場では、ファンたちが次々と退場していった。
Transient Bubblesのファイナルライブは、こうして幕を閉じた。
しかし、それは終わりではなく、崩壊の始まりだった。
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