第9話「偽声(にせごえ)の行商、影の合唱」
港での襲撃から三日後。
王都の空気は一見落ち着きを取り戻したように見えた。太鼓と決め歌が市のいたる所で響き、呼吸を合わせる人々の姿が日常になりつつある。だがその陰で、別の“声”が芽吹いていた。
最初の兆しは市場の一角。
「いち・に・とまる」の旋律に似た、けれど妙に軽く甘ったるい歌が耳に入った。
《いちにのさんで、みんなで買おう》
屋台の前に立つ行商人が、子どもたちに笑顔で歌いかける。籠の中の品は、妙に色鮮やかな果実や香草。
子どもが無邪気に合わせると、大人たちもつられて口ずさみ、手が自然に財布へ伸びていた。
「……今のは、決め歌じゃない」
ミュナの揺枝が細かく震える。琥珀の瞳が怯えを含んだ。
「偽声(にせごえ)だ。決め歌を真似て、人の“選択”を横取りしている」
俺は行商人に近づき、鈴を一度転がした。形だけの輪が歌に触れる。甘い旋律が歪み、籠の果実から淡い黒煙が上がった。
「ただの品じゃない。……“音を吸う種”だ」
レイナが剣の鞘で籠を払うと、果実が割れ、中から黒い核が転がり出る。核はひとつ脈動し、低い“うなり”を漏らした。
行商人の笑顔が崩れ、顔布の下で歯を食いしばる。
「ちっ……」
次の瞬間、背後から笛の音が響いた。市場のあちこちに紛れ込んでいた“影の合唱団”が一斉に声を合わせ、偽声を増幅させようとする。
「合わせるな!」
俺は叫び、鈴を打った。基準音――王鈴と同じ正しい響き。
市場に散った太鼓が応じ、子どもが決め歌を強く唱える。
「いち・に・とまる! さん・し・みわたす!」
声が声を呼び、偽声を押し返す。黒い核は音に耐えきれず、砂のように崩れた。
影の合唱団は蜘蛛の子を散らすように逃げていく。レイナが三人を追い払い、カイルが一人を捕えた。
布を剥ぐと、若い女の顔が現れた。瞳は濁っており、意志よりも“歌”に縛られた痕跡があった。
ミュナが震える声で祈り、揺枝を額に当てる。すると女の呼吸が少しずつ整い、濁りが薄れる。
「……彼女、操られていたんです。歌に、意志を奪われて」
捕らえた影の合唱団の証言から、事態はさらに深まった。
偽声を撒いていたのは「黒笛(くろぶえ)」と呼ばれる一団。港や市場に潜み、人々の決め歌に“和声偽装”を混ぜ込み、偽りの買い物や契約へ導いていた。
背後にいるのは――やはり、エルネ。
「歌の戦いは、もう街に根を張り始めている」
セレスティアの声は硬い。
「秤は測るが、偽声は速い。整律官、次の策を」
俺は短く息を吸い、吐いた。
「――“響き合い(レゾナンス)”を置く。決め歌を一人で唱えるのでなく、二人、三人で互いに重ねる。和声を“選ばせる歌”に組み込むんだ。そうすれば偽声は弾かれる」
レイナが頷く。
「剣の稽古も二人一組が基礎だわ。同じ理ね」
ミュナは揺枝を胸に抱きしめ、小さく笑った。
「みんなで歌えば、怖くない」
カイルも低く一言。
「俺も覚える。勇者隊を、合唱隊にする」
セレスティアの瞳に、ひときわ強い光が宿る。
「よし。――明日から全区で“響き合い”を広める。敵が合唱を仕掛けるなら、こちらは本物の合唱で応える」
だがその夜。
王城の高殿から街を見下ろすと、遠くで竪琴の音がかすかに響いた。
エルネの声が、風に紛れて届く。
「いいわね、合唱。……でも覚えておいて。合唱は“揃える喜び”と同じだけ、“外される痛み”も生むのよ」
胸の刻印が重く脈打ち、俺は拳を握った。
選ばせる歌と、奪う歌。
戦いは、これからだ。
――――
次回:第10話「響き合いの祠、市街戦の序曲」
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