介護•オブ•ザ•リビングデッド ~福祉とゾンビが社会を変える~
Yukl.ta
序章:第1話【終末期①】
『死者が蘇る』
その現象は、社会を混乱の渦に叩き落とした。
何故なら、死はその意義を失ったからである。
不死者の存在は、人が抱いてきた命の価値を崩壊させ、未曾有の混沌を世界に生み出したのだ。
人類はその世界で、未来に何を思い、どんな社会を創造するのだろうか。
…
…
その惨劇は、ある介護老人施設から始まった。
惨劇の兆候は確かにあった。だが、誰も気付かなかった。
…
…
「主任…。ちょっと待って下さい!」
老人施設に努める一人の若い男性介護士が、上司である主任に声をかけて呼び止める。
「なんだね。」主任が気怠そうにその介護士に返事を返す。
「スタッフの増員の件はどうなったんですか! 運営会議で議題にしてくれたんですよね?」
介護士は、施設に入所している老人の世話をする手を止める暇もないまま、慌ただしく上司に尋ねる。
「ん? ああ。その件か。」
「今日も早番が欠員しているんですよ…。連絡もないし…。」
「そう言えば、その早番だった男性から連絡があったよ。もう辞めるそうだ。彼は明日からもう来ない。」
「は? なんでそんな急に…。」介護士の声に落胆が混じる。
「理想と現実が違ったとかなんとか言ってたな。」
「そんな…、。明日からのシフト、どうするんですか!」介護士は、悲鳴のような声で主任を問い質す。
「勤務交代で対応してくれ。公休管理はこちらで行う。」
「もうそんな余裕はありませんよ! 同僚だってもう過労で病欠してるんですよ! だから早めの増員の希望を出したんじゃないですか…。」
「その件だが…、人員の増員は、人件費の都合で先送りになった。最近は収入減で経営が厳しいんだよ。」
「え? なんで…。」介護士の手が止まる。落胆どころではない。目の前に絶望がちらつく。
「現場の人間の熱意と創意工夫で対処してくれ。運営側からもそう言われている。」
「くそ! もう俺もやってられませんよ!」
憤る介護士に、上司は冷めた視線を送る.
「…君だって、やりたくてこの仕事を選んだのだろう? やる気があれば出来る筈だ。」
「ぐ…。」唇を噛み締める介護士。
「それに、目の前の困っている年寄りを放っておいて、君は平気なのかね?」
「うぅ…。」
「介護は愛情が大切。君が言った言葉だ。私も同感だよ。それに、 このフロアリーダーは君だろ。 なんとかするのが君の責任だ。」
そう述べる主任の声は、冷たかった。
…
…
始まりは、一人の老人の死だった。
だが、それが惨劇の引き金であった事を、今は誰も知らない。
当然だろう。身寄りも資産もない一人の老人の死など、誰も気にしないのだから。
…
その老人は、山奥の廃村で保護された。
裸同然のぼろ切れを纏っただけの痩せた老人は、その介護老人施設に保護された。
…悲劇はそこから始まった。
重度の認知症を患っていたのだろうか、その老人は浮世離れした言動を繰り返し、世間の常識が通じなかった。
又、動物や植物に話しかけたり、更には誰もいない空間に向かって呟き続けたりと、その行動は常人には奇異なものとして映った。
さらに、徘徊するかのようにふらりと施設外に無断で出て行ってしまう事もあった。
…
ある時、人手不足も加え、更にこの老人の世話に手を焼いた老人施設の若い男性介護士は、信頼する女性の先輩に相談した。
その先輩は言う。
「身寄りの無い老人一人、どうなろうと誰も気にしないわ。」
「あなたは悪くない。」
「全部、社会が悪いの。」
「あなたが責任を負う必要は、何もないわ。」
…責任感を感じる必要などない。悪いのは、社会なのだから。
その若い介護士は、先輩の言葉を、受け入れた。
…
介護士は、徘徊の予防を理由に老人を施設の個室に隔離し自由を奪った。
それだけでは飽き足らず、治る事の無い老人の奇異な行動に苛立ちを覚えた介護士は老人に過剰な虐待を行い続けた。
「早く食えよ! 時間がねぇんだ!」と言って口に食事を捩じ込み、
「人手がないんだ! 手間かけんじゃねえ!」と言って汚物にまみれたままの老人を放置し、
「うるせぇよ! 俺は忙しいんだ! 静かにしてろ!」と言って、老人を殴り付けた。
その介護士は、捨てたのだ。
誰かの為に努力できる己自身を。
その心は、ある意味、既に、死んでいたのかもしれない。
…
そして、
老人は、
死んだ。
鍵をかけられ隔離された個室で、その老人は一人孤独に、冷たく寂しい寝床の上で、死を迎えた。
だから、その孤独な老人が今際の際に唱えた言葉など、誰も聞いてもいなった。
「世界は変わった。ここから、始めよう。」
それは老人が語った始めての意味のある言葉だったのかもしれない。
だが、その言葉が示す意味は誰にも解らない。
しかし、惨劇は確かに、その瞬間から始まったのだ。
…
…
そして、数日後。
事態は動き出す。
最初の、『蘇り』が、発生した。
そう、死者が、蘇ったのだ。
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