飲んだ唾は千の槍となって降り注ぐ

パンチでランチ

第1話『千の光線化』

夜の校舎裏は、雨が降った後の湿った匂いに包まれていた。

冬馬は口の中に溜まった唾を、ぐっと飲み込んだ。

ただの生理的な仕草なのに、その瞬間、喉の奥から全身に広がる熱に、彼は自分の怒りが形を持ち始めていることを理解した。


「どうして、俺ばかり……」


部活でも、家庭でも、彼は常に「影」だった。努力は誰にも気づかれず、成果は誰かに横取りされ、叫べば笑われる。

唇を噛みしめ、血の味が広がる。飲み込んだ唾は、憎しみを溶かした黒い毒のように、彼の身体を満たしていった。


その時だった。

頭上の夜空に、見たことのない光が走った。

音もなく降り注ぐそれは、鋭く煌めく無数の槍となって大地を穿った。

冬馬の心に渦巻いていた怨嗟が、現実に溢れ出たのだと悟るのに時間はかからなかった。


「……これが、俺の声か」


震える手を伸ばせば、空から落ちてきた一本の槍が彼の掌に収まった。

冷たくも熱いその感触に、背筋が震える。

唾を飲み込むたびに、槍がまた生まれる。

彼の胸に溜め込んだ怒りの分だけ、世界に降り注いでいく。


やがて校舎の窓が割れ、逃げ惑う人々の悲鳴が夜に響いた。

友と呼んだはずの顔も、教師の顔も、彼を蔑んだ目しか思い出せない。

槍は止まらず、空から雨のように突き刺さる。


しかし、そんな惨状の中でただ一人、彼の前に立つ人がいた。

幼馴染の凛花。

彼女の瞳は怯えることなく、ただ真っ直ぐに冬馬を見据えていた。


「冬馬。そんなに苦しかったんだね」


その一言に、槍が止まった。

飲み込もうとした唾が喉に引っかかり、息が詰まる。


「俺は……俺は、ただ認めてほしかっただけだ」


吐き出した声は、涙混じりで震えていた。

彼女の掌が頬に触れた瞬間、喉奥の熱はすっと冷え、夜空に漂っていた槍の群れが霧のように消えていった。


雨上がりの匂いが戻り、校舎の灯りがゆらゆらと揺れる。

凛花は泣きながら笑った。


「飲んだ唾が槍になるなら、その唾を今度は夢に変えて。

千の槍より、千の願いの方がきっと強いから」


冬馬は崩れるように膝をつき、泣きながら頷いた。

空は静かに澄み、もう槍は降ってこなかった。


——飲んだ唾は千の槍となって降り注ぐ。

それは彼に与えられた呪いであり、同時に願いを紡ぐための力だった。



 

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