第36話「数の刃――数字で殴る秩序」
朝の広場に、重たい板が並べられた。政庁の書記官が列を作らせ、声を張り上げる。
「——影賦の納付、数字で示せ!」
数字は一目でわかる。だが、一目で人を叩くこともできる。
「五を出せぬ者は、怠惰!」
「七に届かぬ家は、負担逃れ!」
数字は剣となり、背を折る。
人々は数字を前に口を閉ざした。
「三しか出せない」
「二で止まる」
声に影が差し、数字が恥の札へ変わっていく。
ユイが小声で言った。
「数字が硬すぎるんだよ」
ディールが頷く。「数字は均すための道具だったはずが、殴る刃にされている」
エリシアは唇を噛む。「秩序の名で人を折るのは、最も浅い力の使い方」
俺は痣に触れ、影獣の唸りを胸に受ける。
「——数を柔らかくする」
昼前、風読台で新しい試みが始まった。
題は**「柔らかい数」。
紙に数字を書き、声で読み、影で刻む。そこまではいつもどおり。
だが四重票の“注”欄に、ユイが炭筆で小さな絵を描いた。
「五」の隣に「パン二つと灯一晩」。
「三」の隣に「子どもの足音三つぶん」。
数字に例と手触り**を縫い付けた。
群衆は目を丸くする。
「三って、そういう形にもなるのか」
「七は、夜番二人と灯三つか」
数字は殴る刃から、柔らかい単位へと変わっていった。
だが、政庁の書記官は怒鳴った。
「数字を曖昧にするな! 秩序は正確さで保たれる!」
俺は答えた。
「正確さと柔らかさは両立する。
硬い数字は一度の誤差で折れる。柔らかい数は、揺れても折れない」
エリシアが声を重ねる。
「“三”を“二”と“四”の間で支えるのは、人の生活。硬い数だけを押し付ければ、折れるのは人の背」
広場の空気が揺れた。
子どもたちが次々に数字へ絵を添える。
「一は、朝の鐘」
「二は、両手」
「十は、夜空の星を数えきれないこと」
笑いが広がり、数字が温度を帯びる。
午後、灰の旗の別枝が再び現れた。
彼らは板に大きな数字を書き並べ、人々を囲む。
「三は弱者! 二は怠け者! 一は存在の価値なし!」
数字を刃として突き立てる叫び。
広場に一瞬、沈黙が走る。
ユイが震える声で言った。
「“一”は存在の価値なし? ……ちがう。“一”は、ひとりの息」
彼女は大きく息を吸い、風読台で吐いた。
その呼吸が**「一」**の注になり、沈黙帳に刻まれる。
群衆が真似をし、広場全体が一斉に息を合わせた。
——「一」は、呼吸の重み。
刃にされた数字が、人の温度で奪い返される。
怒った別枝が数字板を叩き割った瞬間、影の裂け目が走った。
数尽(すうじん)の裂け目。
数字だけが踊り、意味が剥がれる。
「三三三三」「七七七」「〇〇〇」
数の連なりが空気を圧し、耳を塞いでも響く。
人々が膝をつき、数字の重みで呼吸を奪われる。
俺は痣に触れ、影獣を呼ぶ。
「柔らかい数で縫え!」
ユイと子どもたちが札を掲げる。
「三=パン二つと灯一晩!」
「七=夜番二人と灯三つ!」
数字が例と手触りで柔らかく縫い直され、裂け目の数列が徐々にほぐれていく。
影獣が咆哮し、数尽の裂け目を飲み込んだ。
夕暮れ。
政庁の使者は疲れた顔で言った。
「柔らかい数を認めよう。だが、帳簿に混ぜる際の基準が必要だ」
ディールが新しい欄を描く。「数字の隣に必ず“注単位”を置く。数字は硬さを保ち、注は柔らかさを補う」
エリシアが微笑んだ。「秩序は数字の硬さで守り、人は注の柔らかさで守られる」
ユイが風読台で声を上げる。
「数字は刃じゃない! 数字は歌だよ!」
子どもたちが唱和し、広場に笑いが満ちた。
「一は息! 二は両手! 三は灯! 七は星!」
数字は殴る刃から、人を結ぶ歌へと変わっていった。
夜。
詰所で票の新型が仕上がる。
紙/声/影/注/忘却/夢/持ち替え/数の注単位。
八重。
影術師が静かに言った。「秤は厚くなった。次に狙われるのは、厚さそのものだ。帳簿を“怪物”と呼ぶ声が、もう外で芽を出している」
リクが窓の外に目をやる。「秩序を怪物と呼べば、人は逃げる。秤は空になる」
ユイが毛布から顔を出し、眠そうに言った。
「じゃあ次は、“怪物の秤”を飼いならすんだね」
俺は頷いた。
「怪物は怖い。でも、怪物にも重さがある。その重さを秤に載せればいい」
箱が静かに熱を帯び、遠い王たちの「数で折られた背」の痛みを震えとして伝える。
俺は囁いた。
「柔らかい数は歌になった。次は怪物を歌わせる番だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます