六章 想いの代弁者
一巡目の再現
《一日目》
さわさわとした木の葉の擦れる音と、その中に紛れる小鳥のさえずり。どこか癒やされるような土草の香りに、頬を撫でる湿り気を伴った風。
そして────
「こんにちは。森の外から来た人かな?」
「ああ。ちょっと道に迷ってたんだ」
いつものように俺たちは出会う。
何度も繰り返した記憶の中と変わらない、ユミルは優しい微笑みを浮かべていた。
俺はユミルの仕事を手伝うことになる。
森民たちの健康観察を行う中で、【一巡目】を再現する。
片足の不自由なラウルさんを気遣ってユミルが家の中に入って行ったあと、俺は近くの休憩場所に向かい、そのスペースに設置された転落防止用の木柵に歩み寄る。
その内の一繋ぎをよく見ると、表面が虫に喰われたように腐食している。
手を置いてみると、力も入れていないのにバキバキッと破砕音が鳴って崩れ、粉々になった欠片が眼下に落ちていく。
もし他のことに気を取られて身を任せでもすれば木柵ともども落下していただろう。
初めから壊れていれば誰も近寄らずに危険はない。
正午、湖のほとりで昼食休憩をする。
リアさんお手製のサンドイッチを食べながらユミルと雑談をしていた時、一匹のイタズラ妖精が俺の手からサンドイッチを奪い取って飛んでいく。
俺は急いで追いかけ、湖の手前ぎりぎりの上空を浮遊する妖精に視線を向け続けながら、わざと
当然、傾斜のあるドロドロの地面を歩けるわけもなく、足を滑らせて派手に転倒した。
ユミルはすぐに駆けつけて俺のことを心配し、地面の状態が悪いことを理解する。土が乾くまでの応急処置として、大工のゴードンさんに頼んで注意喚起の立て札を立ててもらう提案を出す。
のちの健康観察でゴードンさんが二つ返事で請け負ってくれることは把握済みだ。それにここは見晴らしがよく、他に人工物は見当たらないから小さな立て札でも目立つ。
もし何の対策もしていなければ俺のように足を取られて、深い湖に落ちていただろう。
初めから立て札を目にすれば不用意に近づかず危険はない。
夕方、子供たちとの遊びが終わった。
俺は三人と別れてからすぐに家屋の横に積まれた木箱に腰を下ろす。
そのまま背を預けると、軽い空箱が体重で押されてズレ、上から別の木箱が降ってきてドスンっと地面に落ちた。衝撃で蓋が開き、中の鉄屑を散らばる。
箱を引き摺って退けると、落下地点の木材は凹んでいて、その衝撃の強さを物語っていた。
もしこのまま不安定に積まれていれば、いずれ何かの拍子で落っこちていただろう。
初めから下にあれば危険はない。
幾度も繰り返した確定的な今日の行動を、頭の中で反芻する。
これで三日目の事故(カイの転落、ララの
運命づけられた子供たちの事故の全てを未然に防ぐには今日のタイミングで対処するしかなかった。二日目はユミルのそばにいないといけないため三箇所を回る時間はなく、三日目になれば手遅れだから。
子供たちの事故を未然に防ぐことがハッピーエンドの条件の一つ。
やがて大通りから来たユミルと合流して家に泊まらせてもらう話になり、物語は続いていく。
《二日目》
今日はユミルとずっと一緒にいる。
朝早くに起きてから、森の環境保全のためにラナフィナの家に向かい、
やがて夕方になり、アリウスさんと会う。
今日の出来事を嬉々と語る妹に、アリウスさんは優しい目を向けながら頬を綻ばせる。
今なら彼が抱いている安堵感や希望が分かる。……だからこそ胸を締めつける。
三日目に
そうだと分かったのは様々な事柄からだ。
まず動機については、彼の妹に対する溺愛ぶりを見ていれば容易に分かった。
ユミルを長生きさせるためだ。
だからこそ、今のようにユミルの行動を常に気にしていた。毎晩、
アリウスさんは気が気でなかっただろう。自分が目を離した隙に、いつユミルが核の
その心配がずっと心に付きまとっていた時、迷い人の俺が現れた。
アリウスさんにしてみれば好機だっただろう。森の外に続く道を知るのは自分ただ一人で、ユミルの性格を考えれば困っている人を放っておくわけがない。あえて俺の世話を託すことでユミルの行動を制限し、自身はこれまで進められなかった
そして一日目の午前中に会って以降、今に至るまでどこにもアリウスさんの姿はなかった。ここまで疲れた様子をしておいてただ森の中を散歩していたというのはしっくりこないから、考えうるは森の外に行っていたという推測しかない。
昨日から今日にかけて、森民たちの避難先を確保するという準備をしていたのだ。
しかし、商いの仕事で森の外との交流があるアリウスさんと言えど、大勢の森民たちの避難先をたったの一日と少しの時間で用意できるわけがない。
おそらくそれを可能にしたのが、森の外で暮らしているというユミルたちの実の父親だろう。
父親は先々代の
移動不可エリアのせいで本人に聞く手段がないから全て俺の憶測でしかないが、アリウスさんが
詰まるところ、アリウスさんはこの三日間ユミルのことを思って行動していたのだ。
つい先程までアリウスさんはきっと迷っていたのだろう。長年暮らした自身の故郷を滅ぼそうとしているのだ。妹の命が懸かっているとは言え、感情を無にしてすぐ行動に移れるほど容易なことじゃない。
そこで選択肢を俺の存在に賭けた。
ユミルの森を救いたいという未練が、俺に対しての何らかの想いに変わってくれることを。
迷い人であった父親と当時
だから、ここでユミルが一言でも森への未練を口にすれば、アリウスさんは
アリウスさんに
「…………」
俺は明るく慈愛に染まったアリウスさんの顔を最後までまともに見れなかった。
それから時は進み、就寝時間になる。
家の外に出て玄関横にあるベンチに座っていると、ユミルが来る。
肩を並べて他愛のない雑談をする穏やかな時間が過ぎて。
やがてどこからか話は俺の後悔に変わり、彼女は優しく耳を傾けてくれる。
何度だって繰り返した情景は色褪せずに俺の悲しみを和らげ、今ではより心に響いた。
《三日目》
早朝、俺を起こしにユミルが借り部屋にやってくる。
彼女の張り切った様子に胸を痛めながらも、それを顔に出さないよう笑って応えた。
時計の針は進み、
続々とやってくる森民に応対する中、大きなトランクを引き摺ってラナフィナがやってきた。
儀式用の服の試着をしてほしいと言ってユミルとともに自室へ行く。
一人で森民の対応をしてから三十分ほどが経った頃、玄関のドアが開いてユミルが現れる。
やけに上機嫌な口調と態度を見せ、ラナフィナが裏口から帰って行ったことを伝えてくる。
森民が途切れたところで、俺が暇つぶしの雑談で昨日の二人きりで過ごした時間のことを振ると、ユミルは笑いながら相槌だけを繰り返した。
それもそのはずだ。
このユミルはラナフィナが魔術で姿を変えている偽物なのだから。
今頃本物のユミルは、自室にある隠し通路から
そのことが他の者に気取られないよう、ラナフィナが時間稼ぎに魔術で姿を成り代わっている。服の試着も俺の目を欺くための嘘でしかない。
つまりラナフィナはユミルに協力している。
しかし火事のルートでは、アリウスさんに協力して
そのことからして、ラナフィナもアリウスさん同様にこれまで心を迷わせていたのだ。
ラナフィナは長年の間、
あの悲惨な死を。
ラナフィナは数百年もの間ずっと迷っていたのだろう。森を守るために
そして、その考えに答えをもたらしたのはアリウスさんの決意だ。二日目にアリウスさんが
「…………」
俺はユミルに化けたラナフィナを見る。
今その心は一体どんな感情に彩られているのか、仮面に隠れて窺い知ることはできなかった。
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