第3話



 首根っこをつかまれたまま、強引に引きずり込まれた末松家の居間は、意外と片付いている。


 迷惑条例にひっかかる類の家と言うと、大抵ゴミ屋敷同然の有様になるから、浅子は少々意外だった。


 むしろ家具の類が少な目で空きスペースが多く、生活感が薄い。目につくのは床の間へ乱雑に積まれ、接続用やら電源用やら、複雑怪奇にコードが絡み合う警備用機器の山だ。


 どれもこれも一昔前のかなり劣化した代物だから、粗大ゴミと大差ない。


 それに中庭に面した障子沿いの柱へ例の金属バットが立てかけられており、その表面の腐食具合が、部屋の殺風景な雰囲気を倍増させている。






「あのぉ、末松さん、こちらで一人暮らしなんですか?」


 手を伸ばせばバットが届く位置へ腰を据え、胡坐をかく老人へ、浅子は精一杯の愛想を込めて話しかけた。


「三年前、わしの家内が急な病で亡くなった事、あのテレビ番組でも触れとったろ」


「は?」


「町の嫌われ者が一層近所へ敵意をむき出したのは、妻を失ったのが引き金……確か、女子アナがそんな風に言うとった」


「もしかして、隣の奥様とボクが話したの、盗み聞きしてました? 例えば、門の上のビデオカメラに収音マイクの機能もあったりして?」


 ふんと鼻を鳴らし、そっぽをむいたのは否定か? それとも肯定か?


 どっちにせよ、浅子が末松家の事情を調査済みなのは見透かされている。


 変な刺激は禁物だった。くすぶる敵意へ火がつこうものなら、褪せた金属バットで暴れ出しかねない。


 会話の突破口を模索する内、「あんた、役所の人か?」と末松の方から切り出した。


「わし、最近は大人しいもんじゃ。条例なんぞに触れる真似もしよらん。役所が文句言う筋合いは無ぇ筈だが」


「三好さんも言っておられました。この所、末松さんのお家が静かすぎて」


「おっ死んだとでも思ったか?」


「あ、いえ」


「即、沈めンぞ。わし、甘くみとったら」


 一段と険しい目で睨みつけられ、浅子は俯いたまま、名刺を差し出す。


 無造作に受け取ったその表には「西日本高等教育支援機構・特務マイスター・浅子勉」と書かれていた。


「……ん~、役所の人じゃねぇの、あんた?」


「少し違います。所謂、第三セクターみたいなもので、民間の立場から公けのお手伝いをさせて頂いてます」


「特務マイスターって、何?」


「特別な技能を持つ者……ま、一芸採用の専門職と思って下さい」


「ふむ、近頃は本物の役人もあっさりクビになるご時世。一芸くらい無いと務まらんかもしれんのぉ」


 胡散臭そうに小首を傾げて見せ、末松は浅子の名刺を自分の手元へ置く。






 ご時世と言うのは、2020年代半ばに大国間の関税バトルが表面化して以来、日本経済全体が低迷、立ち直る糸口さえ見つからない現状を指しているのだろう。


 世界的なスタグフレーション、止まらない円安、地球温暖化により農業、漁業、畜産業の収穫が落ち込んだ事によるインフレの進行が、その主な原因とされている。


 しかし、関西圏には独自の理由も存在していた。


 何とか黒字を達成した大阪万博の終了後、未払いの施設建設費等、想定外の経費増が明らかになり、財政を強く圧迫したのだ。


 景気刺激策と称する公共工事の連発も焼け石に水。


 機を見るに敏な海外カジノ業者が手を引き始め、経済危機は一気に表面化、三カ月で日本全国へ飛び火した。


 後はお決まりの負の連鎖と言う奴だ。


 幾つもの地方公共団体が財政破綻。遂に国の懐具合まで怪しくなった結果、安定が売りの公務員さえ大量解雇される時代が到来してしまったのだ。

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