第14話 保護わんこと、初めてのお散歩

 家出わんこの保護を押し切られてしまった俺だが、一息つくにはまだ早い。どうしても確認しておかなければならないことがある。


 尻尾を全力でふりふりしながら抱きついてくる月島さんを、俺は強引に引き剥がしてソファに座り直させた。


 月島さんはわずかに寂しそうな表情を浮かべ、それからきょとんとして俺を見上げる。


「……どうしたんですわん?」


「えっとさ……月島さんを匿うのはまぁいいんだけど、家の方は大丈夫なの? 捜索願、出されたりしない?」


「わふんっ、ご主人様は心配性ですわんね」


 俺の気持ちを知ってか知らずか、月島さんはあっけらかんと笑った。そのお気楽さが、むしろ不安をあおる。


「そりゃ心配もするでしょ! 下手したら大騒ぎになるかもしれないんだし」


 俺としては、愛犬として迎えたわんこの写真が、『迷い犬』と書かれて電柱なんかに貼り出されるような事態は避けたい──


 という冗談はさて置き、後々面倒事に巻き込まれたらたまらない。未成年略取で訴えられたりしたらと思うと、おちおち夜も眠れなくなってしまう。


 実際のところは転がり込まれただけだが、その言い分がどこまで通用するのか定かではないのだから。


「……大丈夫、ですよ。あの人達はそんなことしないと思うので」


 ほんの一瞬、言葉が途切れた。


 笑ってはいるけれど、その笑みの奥に影のようなものが揺れた気がする。問い返そうとした矢先、月島さんはぱっと顔を上げ、また甘えるようなわんこボイスを張り上げた。


「なーんてっ! 一度戻った時に書き置きを残してきたので、たぶん平気ですわんっ!」


「……なんて書いてきたの?」


 その内容によっては、本当に大騒動になりかねない。


「それはですねぇ──」


 月島さんが真剣な表情で言い淀み、俺は胸をざわめかせながら答えを待った。


「『優しいご主人様に拾ってもらったので、末永く可愛がってもらいますわんっ!』──って」


「えぇっ?! 家でもわんわん継続してたのっ?!」


 まじかよ、月島さん。

 すげぇよ、月島さん。


 あんたもう、完全に立派なわんこだよ……。


 その書き置きを見たご両親がなにを思うのか、想像するだけで胃に穴が空きそうだ。


 しくしくと痛み始めた胃のあたりを押さえると、月島わんわんは俺の肩にポンと手を置き、いたずらっぽく笑った。


「冗談ですわんっ!」


「冗談かいっ!!」


「きゃいんっ♡」


 思わず大きな声を出した俺に、嬉しそうな悲鳴をあげるわんこ月島。


 もうやだ、この子……。

 なんで喜んでんの……。


 呆然とする俺をよそに、月島さんはうっとりと吐息をもらす。


「はぁ……これですわん。ご主人様のツッコミ、切れ味が良すぎてゾクゾクしますわんっ♡」


 だめだこりゃ。月島さんはたぶんもう手遅れだ。昨夜の出来事がここまで影響しているのは確実だが──俺の責任ではないと強く主張したい。


 ……なんて、アホなこと言ってるせいで全然話が進んでないじゃん。


 俺は深くため息をつき、気持ちを切り替えた。


「で……本当はなんて書いてきたの? 事と次第によっては、無理やりにでも家まで連れていくけど」


「私の家、知っているんですか?」


「……いや、知らんかったわ」


「んふふっ、ご主人様は交渉が下手ですわん。でも、あまり意地悪しても可哀想なので、正直に言いますね」


「最初からそうしてほしかったよ……」


 拾ってから今まで、月島さんに振り回されっぱなしだ。いい加減、疲れてきた。


 でも、なぜだか少しだけ、それを楽しく感じ始めている自分がいる。


 月島さんも、俺をからかうようにくすくすと笑い、その笑みがまた心臓を直撃した。しこまたま引っ付かれたせいもあって、ずっとドキドキが止まらない。


「さて──実際にはなんて書いてきたか、でしたね。『信頼のおける学友の元に身を寄せています。しばらく帰る気はないので、探さないでください』と、そう書いてきましたよ」


「……信頼のおける学友……って、まさか俺のこと?」


「わんっ! 他に誰がいるんです?」


「だって……」


 言葉に詰まる。学友というのは正しいが、月島さんが俺のどこを見て信頼できると思ったのかがわからない。


 クラスメイトであり、たった一夜だけ一つ屋根の下で過ごした家主と居候。それが今の俺達の関係だ。なぜかご主人様とわんこという関係も付属してしまっているが。


 そもそも、どうしてここまで懐かれたのかも疑問だった。


 ただ……悪い気はしない。


 そもそも、月島さんは遠くから眺めていただけの高嶺の花で、恋心を抱くのも恐れ多い存在だったはず。


 そんな子が、わんことして懐いてくれた。加えて、俺は割と犬が好きな方である。


 改めて月島さんに向き直ると、じっと見つめ返された。


「相葉くんは謙虚な方ですね。そこも信頼ポイントが高い部分ですよ。なので──」


 月島さんはまたふわりと微笑んだ。


「しばらくの間、可愛がってほしいですわんっ、ご主人様っ♡」


「っとに……しょうがないわんこだなぁ。まぁでも、迎えたからには務めは果たすよ。ひとまずは──晩ごはんの準備でもしようか」


「ごはんっ! ご主人様の作ってくれるごはん、大好きですわんっ!」


「そりゃどうも。それで、なにか食べたいものとかある? リクエストがあれば、ある程度は聞けるよ」


 今日は、正式に月島さんをわんことして我が家に迎えた記念すべき日。お祝いというわけではないが、これくらいはしてやるべきだろう。


 問いかけると、月島さんはくすりと笑い、そっと俺の肩に頬を寄せた。


「そういうところも……ご主人様ポイントが高いわん。ではお言葉に甘えさせてもらいますね。昨日はお肉でしたので、今日はお魚が食べたいですわんっ!」


「魚かぁ。なんか一気に猫っぽくなったような……でも、わかったよ。今日は魚料理にしようか。となると、買い出しに行かなきゃだね」


「あっ……そこまでしてもらわなくてもいいですよ? わがままを言うつもりじゃなかったので……」


 急に慌て出した月島さんがいじらしくて、つい笑ってしまう。謙虚なのはどっちなんだか。


「遠慮しなくてもいいって。これから食材も二人分必要になるんだから、どのみちすぐ足りなくなるし」


「そう、ですか……? では、私も荷物持ちとしてお供いたしますわん」


「あはは、愛犬に荷物持ちはさせられないな。でもそうだなぁ……じゃあ、こうしようか。夕方のお散歩の代わり、これでどう?」


「お散歩っ……!」


 ピクリと、月島さんの肩が跳ねた。


「散歩は、嫌い?」


「……嫌いじゃ、ないですわん」


 月島さんの頭に、ぴょっこりと犬耳が立った。尻尾も、期待するようにぶんぶんと振られている──もちろん、幻覚のだけど。


「なら、行こうか」


 俺はソファから立ち上がり、月島さんに手を差し伸べた。首輪もなければリードもない、ならばこうするしかない。ノーリードで迷子にでもなられたら、俺の管理責任が問われてしまう。


 月島さんは頬を赤く染め、ちょこんと、俺の手を取った。


「はぅ……初めてのお散歩、緊張しますわん……」


「大丈夫だって、俺がいるから。ね?」


「……わんっ♡」


 うんうん、やはりわんこはこうでなくては。散歩で喜ぶわんこは本当に可愛い。これだけ可愛ければ、すれ違う人にもよしよししてもらえるかもしれない。


 そうして──


 俺達はリードの代わりに手を繋ぎ、茜色に染まる空の下を並んで歩き出した。


 ……そういえば、スーパーってペットの入店だめじゃなかったっけ?

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