第4話 甘い罠は女子会のテーブルに

 放課後の教室。机の上には教科書とノートが広がり、ねむはペンを握っていた。

 ──もっとも、頭の中は半分以上夢の世界だったが。


 「ねむ、ちゃんと聞いてる?」

 凛子が横で眉をひそめる。

 「う、うん……聞いてるよ……」

 言いながら、まぶたは鉛のように重い。


 テスト前。さすがにいつもみたいに居眠りしてばかりではまずい。だからこうして、優等生の凛子に勉強を見てもらっていたのだが──。

 眠気と闘うのは、やはりつらい。


 そのとき。机の上でスマホが小さく震えた。

 ねむは反射的に画面を覗き込む。差出人は──楠木。


 (……またこの人か)


 表示されたメッセージには、こうあった。

 「頼みたいことがあるんだけど、今日はお時間あるかな?」


 ねむは一瞬だけ考え、そしてソッと画面を閉じた。

 既読がつかないように。見なかったことにして。


 (テスト前にやめてよ……)


再びスマホが震えた。

 画面にはまた「楠木」の名前。


 ──『本当に困ってるんだ、頼む』


 ねむは半眼になり、心の中で毒づく。

 (私も困ってるんですけど。テストで)


 通知を無視して画面を伏せる。


 「ねむ、大丈夫?やけにスマホ気にするけど」

 隣で凛子がのぞき込む。


 「……なんでもないよ」

 ねむはそっけなく答えた。だが凛子の目は、不思議そうにねむを見ている。


 一段落ついて二人は教室を出る。

 夕暮れの校門へ歩いていくと──。


 「やあ」

 そこには、待ち構える楠木の姿があった。


 「げっ……」

 ねむはとっさに凛子の背に隠れ、やり過ごそうとする。

 だが当然、すぐに見つかる。


 「ちょっと! なんなんですか一体。ストーカーですか?」

 凛子が眉をつり上げ、楠木を睨む。


 「ち…違う、事件を……解くのを手伝ってほしいんだ」

 楠木は真剣な顔で頭を下げた。


 凛子は驚いたようにねむを見やる。

 「……やっぱり。ねむ、あんた、最近私に内緒で何かやってるんでしょ」


 「へ?」


 「面白そう。私も見てみたいな。試しに、ついて行きます」


 ねむは大きくため息をついた。

 (ちょっと待って。私、行くなんて一言も言ってないんだけど……!)


 楠木の古いセダンに乗り込むと、夕暮れの街並みがゆっくりと流れていく。

 運転席の楠木は、妙に真面目な顔をしてハンドルを握っていた。


 「……事件は二日前の深夜に起きた」

 楠木は低い声で切り出す。


 「舞台は都内のホテル。同じ会社の女子五人で“お泊まり会”をしていたそうだ。部屋にお菓子やケーキを持ち寄って、デリバリーの食事も頼んで──まあ普通の女子会だな」


 ねむは窓の外を見ながら、半分あくび混じりに聞いていた。

 (女子会で事件とか……全然楽しくないじゃん)


 「だが、パーティーの最中に一人が倒れた。高松 京子たかまつ きょうこさん、二十五歳。毒死だ」


 助手席の凛子が息を呑む。

 「毒死……!」


 「原因はまだ特定できていない。持ち寄りの食べ物か、デリバリーで届いた料理に混入されたと考えられるが、どれに入っていたのかが分からないんだ」


 ねむは頬杖をつきながら、ちらりと楠木を見る。

 「……ふぅん。要するに、また私に“分かんないから考えて”って丸投げしてるんでしょ」


 楠木はバツが悪そうに咳払いする。

 「まあ……正直、その通りだ」


 凛子はそんな二人のやり取りに半眼を向けつつも、心の奥でワクワクを隠せなかった。


 楠木はハンドルを握りながら説明を続けた。


 「容疑者は四人だ」

 淡々と名前と特徴を挙げていく。


 - 高松 京子たかまつ きょうこ(25歳)

  被害者。今回の女子会の発案者。


 - 岸本 彩花きしもと あやか(24歳)

  明るく社交的。焼き菓子担当で、フィナンシェやクッキー、マドレーヌにカヌレまで揃えてきた。


 -工藤 美咲くどう みさき(26歳)

  理屈っぽく落ち着いた性格。ケーキ担当で、ショートケーキ・チーズケーキ・チョコケーキ・モンブランを用意。


 -村瀬 真琴むらせ まこと(25歳)

  推し活女子。キャラクターイラスト入りのオレンジ色のミックスフルーツゼリーを持参。


 - 佐伯 理沙さいき りさ(25歳)

  物静かでおっとり。シンプルなプリンを持参。


 「さらに、高松さんが自分で手配して、ピザとポテト、それにチキンナゲットを注文していた」


 ねむは顎に手をつき、窓の外を流れる街を眺めながら考え込んだ。

 (そもそも、いつ誰が毒を混入したのか……そこが分かれば一気に絞れるはず)


 楠木が続ける。

 「食事もお菓子もひととおり食べ終わったあと、しばらく雑談をしていた。だが突然、京子さんが苦しみ始め、そのまま……」


 凛子が隣で小さく息を呑む。

 「……じゃあ、つまり全部の食べ物が候補ってこと?」


 「そうだ」

 楠木は真剣な声でうなずく。


 ねむは鼻を鳴らした。

 (全部候補って……全然絞り込めてないじゃん。ほんとにポンコツ)


 やがて車が目的地に着いた。

 楠木が駐車スペースに車を停め、振り返る。

 「着いた。ここが現場だ」


 ねむと凛子は顔を見合わせ、車を降りた。


 ホテルの一室に足を踏み入れると、まだ女子会の余韻が残っていた。

 ベッドの上には毛布がくしゃくしゃに丸められ、テーブルには食べかけのお菓子や飲み物の紙コップ、空いたデリバリーの箱が雑然と残されている。


 凛子が小声でつぶやいた。

 「……なんか、ほんとにただの女子会終わりって感じね」


 楠木がうなずく。

 「そうだな。特に揉み合った跡も荒らされた形跡もない。だからこそ、食事に仕込まれた毒だと考えられてる」


 ねむはぐるりと室内を歩き回った。

 ベランダの鍵、浴室、クローゼット、ベッドの下──一通り覗いてみたが、不審なものは見当たらない。家具の配置も崩れていないし、侵入の痕跡もない。

 (やっぱり……現場には手がかりナシ。怪しいのは“食事”そのものってことか)


 ねむはテーブルの上に残されたパッケージへ視線を戻した。

 ケーキの小さな箱。焼き菓子の袋。プリンのプラスチックカップ。男性キャラクターイラストのゼリー容器。そして、油の染みたピザの箱。


 (ふつーに見たらどれも怪しくないんだよなぁ……でも、何かの“入れ物”に紛れててもおかしくない)


 ねむはふいに振り返った。

 「被害者って……食べ終わったあと、しばらく話してたんだよね?」


 楠木が頷く。

 「そうだ。倒れる直前までは普通に会話していたらしい」


 「じゃあ──あえて即効性にしなかったんじゃない? 食べてすぐ発症したら、どの食べ物が怪しいか一目瞭然だから」

 ねむは顎に手を当てる。

 「発作までに時間を空けて、どれを食べたせいなのか分からなくする……つまり“時間差”で効くように仕込んだんだ。おそらくカプセルとか、消化されてから作用するタイプ」


 凛子が小さく息を呑んだ。

 「……つまり、食べてしばらくしてから効くように?」


 「そう。毒を入れた物をごまかすためにね」

 ねむは軽く指を鳴らした。

 「となると──違和感なく仕込める食べ物は限られてくるはず」


  楠木はこの時点で半分置いてけぼりだったが、ねむはお構いなしに話を進めていく。


 「次は──どうやって“狙った物”を食べさせたかだよね」

 ねむは腕を組み、じっとテーブルのパッケージ群を見つめる。


 「楠木さん、京子さんの特徴は?」


 楠木は少し考えてから答える。

 「……京子さんはリーダーシップを取るのが好きだった。今回の女子会も彼女の提案だ。あと──甘い物が好きで、特にチョコレートには目がなかったらしい。五人は元々趣味や好きな物の共通点が多かったらしいけど、その中でも彼女は一番“盛り上げ役”だったそうだ」


 凛子が小さく頷く。

 「じゃあ……チョコケーキとかが怪しいんじゃないの?」


 ねむは首を横に振る。

 「まだそれだけじゃ絞り込めない。チョコが好きって情報は確かに誘導に使えるけど……それだとただの推測でしかない」


 そう言ってから、ねむはさらりと尋ねた。

 「京子さんって、SNSアカウント持ってなかった?」


 「あるよ。俺も確認した」

 楠木がスマホを取り出し、アカウント名を教える。


 ねむはスマホを取り出し、画面をスクロールしながらざっと流し見する。

 やがて視線をテーブルのゼリー容器へ移し、ふと思いついたように口を開いた。

 「そういえば、このゼリーのパッケージに描かれてるキャラクターって、誰?」


 凛子が首をかしげる。

 「私も詳しくはないけど……最近人気のアニメで、男のキャラがいっぱい出るやつだよ。推し活してる人、多いらしい」


 ねむは目尻をふっと上げ、パチンと指を鳴らした。

 「──なるほどね」


 凛子が怪訝そうに覗き込む。

 「何か分かったの?」


 ねむは画面を閉じ、ポンと手を叩いた。

 「うん、謎は解けたよ。楠木さん。みんなを集めてください」


 背伸びをしながら、にやりと笑う。

 「事件の種明かし──ここからが本番だよ」

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