第19話 11 ソーキそば(1)

 平沼ひらぬまのクオンタム・コーポに行ったあと、私たちは横浜駅まで歩いてから京浜東北線に乗った。今日は元々会おうと約束していた日だったのだ。

 アキとは月に二、三回会って食事をするようになった。OSSからの下請け仕事が急に少なくなって、現場でほとんど顔を合わせることがなくなったのと入れ違いみたいな形だ。


 私たちみたいな零細警備会社に土日の休みはないと思った方がいい。そういう日こそイベントが盛りだくさんだからだ。

 私やマロンだけでなく、社長と奥さんもAKを持って雑踏警備に出たりする。余裕も何もあったもんじゃない。

 平日は平日で、会社での私の立場が弱いから希望の曜日はほとんど考慮されない。


 よって、アキと非番の日を合わせるとしたら、彼の方が会社に申請することが多かった。それも毎週というわけにはいかない。

 なかなか悩ましい問題だ。

 今日は水曜日。珍しくシフトがかみ合ったので、二人で出かけることにした。

 あいつがどう思っているのかあえて聞いたことはないけど、私にとっては楽しみな行事だ。


 六月末の日差しはあまりにも暑かった。はっきりしない梅雨だ。

 京浜東北線の車内は空いていた。車内にはもちろん武装警備員がいる。抱えているのは、どういうわけかベルギー製の高級小銃だった。

SCARスカーじゃん。すげー。私物かな」

 ロングシートの隣に座っているアキに、ひそひそと聞いた。


「社章見てみ。近畿警備だ。この路線の警備は全国大手も受注してるんだよ。単価がいいからさ」

「うちも請け負えないかな」

「東京の仕事は厳しいらしいぞ。いろいろなしがらみがさ」

 いろいろとは何なのか。聞くのはやめておいた。

 まったく、同業の二人がいっしょになると仕事の話ばかりになる。

 これは好きじゃない。


 私たちは、これから市内屈指の修羅区である鶴見区に行くところだ。

 特に線路の内陸側の治安が悪化していて、マロンは「殺人、強盗、強姦、放火に麻薬密売。凶悪犯罪のデパート♡」と言っていた。

 いくら何でもそれは区民に失礼だと思う。市が対策に手を焼いているのは本当らしい。

 そんなところに何をしに行くのかと言えば、ソーキそばを食べに行くのだ。

「私、食べたことない」

「俺はある。一度、姉貴と弘明寺の店で食べた。うまかったね」

「楽しみい」


 JR鶴見駅で降りると、二人ともサングラスをかけて、例によって私はキャップも被った。ついでにタトゥーのある左腕だけアームカバーをする。

 最近は警備員に対するリンチも多いらしい。非番の警備員は所属タトゥーを隠すのがトレンドだった。

 でも、わざとらしくてかえって一目でわかってしまうという、もっともな意見もある。


 海の方に向かうと、すぐに川が見えた。密集した住宅地の中を、ゆるくうねりながら海に向かって行くのは鶴見川つるみがわだ。

 私は橋の欄干らんかん越しに川沿いの家並みをファインダーに収めた。

「なんか撮れた?」

「カモメ」

「へえ。動物も撮るんだ」

「何でもいいんだよ。硝煙しょうえんを忘れさせてくれる風景ならね」


 だが、日常はそういうわけにはいかない。

 鶴見川を橋で越えると、たもとに自動小銃を抱えた警備員が立っていた。私より年上の女性だ。

 私は通りすがりにタクティカルベストの胸を見たが、社章が付いてない。腕章には「委託」とは違う文字。

「自治? あれが仲通なかどおりコミュニティか」

「みたいだな。しっかりやってる」

 アキも振り返って女性を見ていた。




 鶴見駅の海側、鶴見川と臨海工業地帯に挟まれた場所に、戦前からの沖縄人街がある。工業地帯に職を求めて移り住んできた人々の子孫が、今も多く根付いていた。

 そんな場所には居心地の良さがあるのか、やはり職を求めてやってきた外国出身者も集まって、一帯は独特のコミュニティを形成していた。


「昔から治安は悪かったらしいよ。やっぱり工業地帯だからさ、がさつな男の世界だったんじゃない?」

「ふうん。今はコンビナートなんて言ったら一番安全だよね。常に超厳戒態勢でしょ」

「そ。だから、本当に海沿いまで行けば、かえって安全だろうな。扇島おうぎしまの鉄工所跡を富裕者向けの街にする工事も進んでいるくらいだから」

「詳しいね」


「ずっと興味があってね。鶴見区のなかで、臨海工業地帯から鶴見川までの間は例外的に犯罪発生率が低い。しかも、そこは治安維持を住民が自治組織でやってる。OSSで働いているとさ、それが奇跡みたいに思えるんだ」

 その自治組織が、仲通コミュニティだった。

 アキいわく、郊外部の治安悪化が止まらないなか、仲通コミュニティの存在が業界内外で注目されている。


 つまるところ、アキはソーキそばよりもそっちに興味があるのだ。きっちりした会社に勤めていると、自治という響きに自由と民主主義を連想するということらしい。

 まあ、私に言わせれば現実を無視したファンタジーだ。

「間違ってるから。町内会なんて、長老の意見だけでものが決まる、民主主義とはかけ離れた組織だからね」

「場所によるだろ。確かに、一部の年増ヤンキーに支配されているところも珍しくはないけどさ。なんなら、うちの団地はそれに近いな」


「私の場合は、おととし町内会の班長やらされたから。まだ十七歳だったのにだよ? マジでウザかった。あの役員のやり方は銃を使わない暴力だね」

 アキはうなずいた。OSSともなると、地域の自衛組織とのやりとりも多いから、私の話もよくわかるのだろう。

「はて、仲通はどうなのか。どんな雰囲気なのか、現地を見て見たいんだよね」

 私はソーキそばの事しか考えていなかったので、アキはアキで好きにすればいい。

「アキってさ、真面目だよね」

「そうか?」

「そうだよ」

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