第11話 6 人工島の昼下がり

 港を渡ってくる風が暖かい。春の匂いを感じさせた。すぐそばで港を渡っていく巨大なベイブリッジが白く輝いている。

 ここは横浜の市街地から海を隔てた大黒だいこく埠頭ふとうだった。人工島全体が埠頭になっている。

 人工島からは三方向に橋が伸びている。一つは本牧ほんもく埠頭に向かうベイブリッジ、一つは生麦なまむぎ方面に向かう大黒大橋、もう一つが全域コンビナートだった人工島の扇島おうぎしまに向かう鶴見つばさ橋だ。


『本部から各班。今日のオペレーターは中島です。感度チェックお願いします。どうぞ』

「こちらパパ・スリー。感明良好。リンコさん、よろしく。どうぞ」

『あら、野木さん。今日もいい声じゃない。よろしくね。おわり』

 声をほめられたのは初めてだ。喜んでいいのかどうかわからない。

 横では直香が冷めた目で僕を見ている。


 前回怒鳴りあってから二週間。今日はまた彼女と組んでの仕事だった。同じ下請けと一緒に仕事をする機会は少なくないが、青木警備が続いたのは初めてだった。

 あの目は根に持っているのか、あるいは接し方に戸惑っているのか。女の気持ちはわからない。


 今、僕たちが立っている南側の岸壁は、市営の上屋が並ぶ自動車運搬船専用バースになっていた。

 今日はバハマ船籍の大型クルーズ客船が係留している。

 本来クルーズ船は大桟橋おおさんばしか新港埠頭に寄港するが、船が大きすぎてベイブリッジをくぐれないときは、この殺風景な人工島に着岸した。

 まっ平らな船着き場の端に、暫定設置された旅客ターミナルもある。このでかい船の船尾スターン方向だ。


 船のファンネルからはエンジンの排気煙が立ち上り、上空の風に流されている。

 壁のような船腹には無数のバルコニーが並んでいた。

 海外客船の誘致に積極的な横浜市は、寄港するクルーズ船には必ず武装したセキュリティを用意した。

 こういったイレギュラーな警備だと社員だけでは間に合わず、例によって下請けを使うことになる。直香がここにいるのはそういうわけだ。


 今、上陸観光のバスは出たところで、船内にはツアーに行かなかった過半数の客と、それと同数のスタッフが残っているはずだった。

「甲板部セキュリティから、船内に異常はないと報告が来てる」

 ブリーフィングで藤田隊長が言っていた。陸側をきちんと守れば、クルーズは滞りなく続けられるということだ。


 船は慣習に従って左舷ポートサイドを岸壁につけている。

 僕と直香は船腹の真ん中あたりにある貨物口の担当だった。

 今回は一時寄港なので、旅客ターミナルは稼働していない。入国の手続きはすべて船内で行われたはずだった。


「よう、アキ。元気だったか?」

 ブリーフィングが終わった時そう声をかけてきたのは、今は船首ボウに陣取る山田真人だった。僕の先輩の姫野と一緒に班を組んでいる。

 山田は山下公園の近くにあるクアッド・ポールの社員だった。

 OSSよりは小さいものの、捜査部もある中堅会社で、元請け、下請けという関係ではない。今日は共同警備という形だった。


 長い船の船尾スターンにはクアッド・ポール社単独編成の班、船首ボウにはOSSとクアッド・ポール社の混成班、この公共バースへのゲートにはOSS単独の班がいた。

 もちろん、そこに挟まった青木警備保障の直香は下請けだ。今日も一人、電車でやってきていた。


「順調そうじゃねえか。OSSの方が居心地がいいか?」

「意地悪いこというのやめてください。変わらないですよ」

 僕はクアッド・ポール社で二年間働いていた。左前腕には同社の実行部隊章も彫ってある。

 山田は古参の警備員で、その時の大先輩だ。僕よりも九歳年上だったはずだ。

 山田がスリングで吊っているのは、社の制式であるアメリカ製M4カービン。これも、クアッド・ポール社がただの弱小警備会社でないことの証左だ。


 郊外の会社がAK系のライフルを好むのは、単純に購入時のイニシャルコストが低いからだ。アジア製のデッドコピー品ならさらに安い。ただ、AK系の五.四五ミリ弾は、在日米軍や自衛隊が使っているNATO弾と比べて国内流通が若干少なく値段も高い。つまりランニングコストは逆に高かった。

 行政は警備会社の弾をNATO弾に統一したがっている。それに素直に従って西側の銃器を採用しているOSSやクアッド・ポールは、役所から見れば優良企業だった。

 従業員にしてみれば心底どうでもいい話ではあった。単純に撃った感触でいえば、僕は最初の会社で使っていたAK74Mの方が好きだった。


「ホープを引っこ抜かれたからなあ。ガチでOSSには貸しだな」

「ホープ? まじですか?」

「へへ、ホントだぜ? その辺話してやるから、終わったら飲みに行こう」

 長話をする気はないようで、山田は去り際にそう言った。

「おごりっすか?」

 僕の問いには手を振っただけだった。




「今日は何もないといいな」

 配置についてしばらく経って、僕は何気なく言った。

 数十センチしかない船と岸壁の間で海水がちゃぷちゃぷと踊っている。目の前の荷物搬入口はぽっかりと口を開けていたが、渡し板は外してあった。

「何かあっても、私は撃たないよ」

 僕の言葉に、直香が無愛想に答えた。答えるとは思わなかった。


「ここなら大丈夫だろ」

「ふん。もう報告書とか書きたくないし」

「そりゃそうだな」

 心から同意した。

 僕は巨大な船を見上げた。

「こんな船に乗れる人間が、たくさんいるんだな」

 直香はそれには答えなかったが、かわりに僕と同じように船を見上げた。


 自分たちの卑近の人間を見渡しても、この船に乗るとは到底思えない。でも、この国にも外国にも、この巨大船を埋めるような需要は確実にある。

 直香はまたぼそっと言った。

「私の周りの世界とはちがう。私は、こんな仕事しか選べなかった」

「俺もそうだ。十五でこの世界に入った時は、人生終わったと思った。いつの間にか慣れた」

 僕はそう言って直香に笑いかけようとしたが、真顔が返ってきただけだった。


「あんたも十五から?」

「そうだよ。十五歳の時からAKを使ってた。ガキに自動小銃の撃ち方を教えることを大人たちはおかしいと思ってないんだから、終わってるのはこの国かもな」

 僕は嫌悪感を込めて言った。直香は意外そうな顔をした。

「甘ったれたこと言うじゃん」

「なんとでも言えよ。こんな船を見てると、十五のガキが銃で守ってる世界にどれだけ価値があるのかとか、そういうクソみたいな考えが頭に浮かんで息苦しくなる」


「私も十五からこの仕事してるよ。うんざりしない日はない。でもさ、割り切ってんの。妹が上の学校にあがれば、あとは身一つだから。私はどうとでもできるし」

 相変わらず直香の口調にとげとげしさは残っている。

 でも、いやいや話しているようには思わなかった。

「俺も姉がいる。さっさと結婚でもしてくれれば、俺も身軽になるのかな」

「身軽にはなりたい。でも、そうかといって、妹がいなくなると自分の柱がなくなるような気もする。何もする気がなくなって、昼間からだらだらしている、キモい大人たちと同じになるかもしれない」

 直香は目を落として船と岸壁の隙間の水面を見ながら、小さく言った。


「ならないだろ」

「なんでだよ」

「そんなの人の顔を見ればわかる」

「占い師かよ」

 僕は小さく笑った。直香は真顔のまま続けた。

「どっちにしたって未来なんてない。だって、今日死ぬかもしれないんだよ? この前、そう思わなかった?」

「そうだな」


 僕はこの間会社でよく交わされていた会話を思い起こして口を開いた。

「去年から警備員への襲撃は増えてるけど、この前みたいな、都心の文化施設を狙うようなものはなかった。犯人の経歴や交友関係からはテロをうかがわせるようなものは出てきてないらしい。もちろん、あんな場所で強盗タタキはしない」

 僕は会社で言われたことを思い出しながらしゃべった。


「どういうこと?」

「標的型犯罪じゃないかって、県警は分析しているらしい。つまり、俺たちへの攻撃そのものが目的だってこと」

「ふうん。いい迷惑だな」

 直香は何やら思案するようにしてから、口を開いた。

「ネットじゃ、私たち委託警備員へのヘイトが渦巻いてる」

「そんなの今に始まったことじゃないだろ」


「妹が情報屋でバイトしてる。情報屋の組合でも、今までにないような兆候が見られるって言ってるらしいよ」

「今までにないような、か。本当かな」

「私も妹に聞いただけだし」

「なにかあるならば、うちの情報部が把握してないわけない。それとなく聞いてみるかな」

 もはや親会社の大槻社を大きく超える企業となったOSSだ。情報部門はかなりの規模だった。


 話がひと段落して、僕は咳ばらいを一つした。

 ずっと抱えてきたもやもやをどうにかしたかったのだ。

「この前はさ、悪かったよ」

「ああ?」

「感情的になりすぎた。あとで反省した」

「はっ、バカじゃないの? なに謝ってんのよ。あんたが正しかったんだよ」

「言い方がさ。きつかったよな」

 なんとも微妙な目つきで、直香が僕を見た。

  

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