物置小屋
「空はいつも灰色で、鳥たちも歌うのをやめてしまいました。
その時、空が裂けるような稲光と共に、大きな雷が村の樫の木に落ちました。雷の火は、雨にも消されず、ごうごうと燃え続けました。」
――あの日以来、少年の耳には、あの重い響きが残り続けていた。それは幻聴のように不意に蘇り、そのたびに少年は丘の上を想った。しかし、鐘は相変わらず黙して語らず、ただそこに在るだけだった。
(誰か、何かを知っているはずだ)
その思いに突き動かされ、少年は村人たちに尋ねて回ることにした。
最初に声をかけたのは、畑で鍬を振るっていた屈強な農夫だった。
「丘の上の鐘のことか? さあな」
男は汗を拭い、太陽に目を細めながら答えた。「わしらが生まれるずっと前から、あそこにどっしり座ってる。きっと、山の神様が気まぐれに置いたのさ。深く考えるこっちゃあない」
その言葉には何の裏もなく、ただ純粋な無関心だけがあった。
次に、機織り小屋で糸を紡ぐ老婆に尋ねた。老婆は少年の問いを聞くと、カタカタと動かしていた手をぴたりと止め、皺の深い目元に一瞬だけ険しい影を落とした。
「……よしなさい、坊や」
咎めるような、それでいてどこか哀れむような声だった。「触れてはいけないものに、わざわざ触れることはないんだよ。知らないままでいれば、幸せでいられることもある」
それは、農夫の無関心とは明らかに違う、意図的な拒絶だった。
最後に、少年は村で最も長く生きている長老の元を訪ねた。日向で穏やかに煙管をくゆらせていた長老は、少年の話を黙って聞いていた。少年が、風の日に鐘の音を聞いたことを正直に打ち明けると、長老の切れ長の目が、ほんのわずかに見開かれた。だが、それも一瞬のこと。すぐにいつもの凪いだ表情に戻り、静かに言った。
「風の悪戯だろう。あの鐘は、もうずっと鳴ってはいないのだから」
「でも、僕は確かに……」
「お前の心が見せた幻だろう」
長老はそれだけ言うと、ゆっくりと目を閉じた。これ以上話すことはない、という沈黙の壁が二人の間に築かれる。少年は引き下がるしかなかった。
だが、帰り際、少年は見た。長老の視線が、村の物置として使われている古い小屋の方へ、ほんの一瞬だけ向けられたことを。それは、何かを懐かしむような、あるいは何かを確かめるような、深い色を湛えた眼差しだった。
少年は確信した。この村は、何かを隠している。そしてその何かは、あの鐘と、あの古い小屋と繋がっている。
その夜、少年は月明かりだけを頼りに、家をそっと抜け出した。軋む戸を背に、息を殺して向かったのは、昼間長老が見つめていた物置小屋だった。かびと埃の匂いが充満する小屋の奥で、少年は手探りで何かを探し続けた。そして、積み上げられた古い農具の陰で、一つの木箱を見つけ出した。
蓋は重く、開けると乾いた蝶番が悲鳴のような音を立てた。中に入っていたのは、獣の皮で装丁された一冊の古い書物だった。ページをめくると、見たこともない角張った文字が、インクのかすれや滲みを伴ってびっしりと並んでいた。
少年は書物を懐に隠し、自分の寝床へ持ち帰った。震える指でページを一枚一枚めくり、意味を拾うように文字を追っていく。それは、村の歴史を綴ったもののようだった。だが、その内容は少年の知る穏やかな村の姿とは似ても似つかぬものだった。
『……血は大地を赤く染め、兄弟の亡骸が川を堰き止めた……』
『…互いを憎み、恵みを奪い合った…』
ページは虫に食われ、所々が破り取られている。肝心な部分は、まるで誰かが意図的に隠したかのように、ごっそりと抜け落ちていた。それでも、残された言葉の断片を繋ぎ合わせるうちに、恐ろしい情景が少年の目の前に浮かび上がってきた。
この村が、かつて内紛で二つに裂かれ、血で血を洗う争いを繰り広げていたという事実。
そして、少年は息を呑んだ。物語の終盤、破れたページの最後に、かろうじて読み取れる一文があった。
『…我らは全ての罪を溶かし、一つの誓いを天に掲げた。その音は、我らの戒め…』
全身の血が凍るようだった。
罪を溶かし、天に掲げた誓い。それは、あの鐘のことではないのか。
穏やかな村の風景の下に塗り込められていた、壮絶な過去。平和の象徴だと思っていた鐘が、実は血塗られた争いの記念碑であり、村人たちが忘れることを選んだ悲劇の象徴だったとしたら。
書物は、それ以上の答えをくれなかった。情報はあまりに断片的で、真実のすべてを語ってはいない。
少年は書物を閉じ、窓の外を見上げた。闇に沈む丘の頂で、鐘が巨大な墓標のように、静かに佇んでいるのを感じた。
鐘の沈黙と、村人たちの沈黙。その意味を、少年はほんの少しだけ理解した気がした。だが、同時に新たな、そしてより深い問いが彼の胸に生まれていた。
忘れることで守られてきたこの平和は、果たして本物なのだろうか、と。――
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