ロード・トゥ・ディア 〜神と人と、約束の冠〜

天継 理恵

第1話 二人の王子

 遥か昔、原始の神イルデヴァールは、無から世界を生み出した。


 世界と共に生み落とされたのは、「六大神」と呼ばれる六人の神々。

 彼らはその地に降り立つと、創造主たるイルデヴァールの命により、数多の生命を創造した。


 ——やがて、世界に命は満ち。

 共に世界を創生すべく、神と人は手を取り合った。


 悠久の時は流れ、世界は繁栄の極みに至る。

 神々はその繁栄を築いた人の手に、世界の全てを委ねることを選んだ。


 神は神の世に。

 人は人の世に。


 結ばれた不可侵の盟約の元、人々は多大な恩恵をもたらした六大神に、深い敬意を捧げた。

 そして建国の折には、国の礎として神々を祀り、永遠の感謝と祈りをその名に刻んだ。


 神の名を冠したその国々を、人々はやがて、「六大国」と呼ぶようになる。



 理性と秩序の国、コルテオール


 知性と創造の国、サージェス


 神性と魔術の国、エインセラ


 本能と自由の国、ラジャハール


 豪性と武勇の国、ロンギレア

 

 そして、感性と芸術の国——マルディーヴァ。



 この物語は、六大国のひとつ、マルディーヴァに生まれた、ひとつの恋の物語。



 美しくも悲しい——人と神の、恋の物語。



***


 六大国、マルディーヴァ。

 感性と芸術の女神、マルディーヴァを柱神とした美しきその国には、若き王子が二人いた。


「アルティス様。レインハール様をお見かけしませんでしたか?」

「まもなくデルワトール王がお見えになるというのに、まだお召し物を着替えてらっしゃらないんです」


 第一王子・アルティス。精悍で文武に秀でたアルティスは、誰もが認める王の器を持つ男だった。

 アルティスは侍女に呼び止められると、はぁ、とため息をついた。


「レインハールの奴、またか。……どうせいつもの所に居るんだろう。私が呼びに行ってこよう」


 若草色のマントを翻し、アルティスはマルディーヴァ城の渡り廊下を歩く。

 目指したのは、城の奥に造られた神殿——シンクス。

 そこは、彼の弟であり、第二王子であるレインハールのお気に入りの場所であった。

 

 アルティスが重い両扉を開き、シンクスに足を踏み入れた。

 そこには予想した通り、レインハールが居た。

 十一歳のまだ幼い少年であるレインハールは、シンクスに祀られた巨大な聖石——スピリールに向かい、ひとり楽しげに話しかけている。


「……でね、その時レジーに言われたんだ。『レインハール様の考え方は突飛すぎます』って。あ、レジーっていうのはね、僕の勉学の先生でね——」

「レインハール」


 アルティスが、レインハールの名を呼ぶ。

 一心にスピリールへと語りかけていたレインハールは、その声にくるりと振り返った。


「アルティス兄様」


 兄の姿を認めると、レインハールは少しだけ、気まずそうに視線を逸らす。


「またひとりで話していたのか」

「ひとりじゃありません。マルディーヴァと話していたんです」

「神応のない私からしたら、ひとりで話しているようにしか見えないんだがな」


 『神応力』——神に愛されし生命だけが持つ、神の気配を感じる力。

 一族で唯一その力を持つレインハールは、赤子の頃から、女神・マルディーヴァの気配を感じていた。

 当時を知る城の者は皆、口を揃えて言った。

 レインハール様は、あらぬ場所を見ては微笑む、奇妙な赤子だったと。


「それよりも時間だ、レインハール。まもなくデルワトール王がお見えになる。すぐに会食になるから、早く着替えてこい」

「……はい」


 アルティスに急かされ、レインハールは渋々と返事をする。


「じゃあね、マルディーヴァ。また来るね」


 後ろ髪を引かれつつも、レインハールは手を振る。

 視線の先、神に通ずるスピリールは、白き朝の光に輝き——去り行くレインハールを、静かに見送っていた。


***


 アルティスとレインハールは肩を並べ、渡り廊下を歩いていた。

 ちらりと横目にしたレインハールは、満たされたような幸福の笑みを浮かべている。その表情に、アルティスは胸を灯す愛おしさと眩しさを覚える。


「なぁ、レインハール。お前には本当に、神の声が聞こえているのか?」


 問い掛ければ、レインハールが振り向き瞬いた。


「いや……やはり、にわかには信じられなくてな。私も父上も、生まれてこの方、マルディーヴァ様の声など聞こえたことがないからな」


 疑うような問いに、けれどレインハールはしかと頷く。


「……聞こえるよ。もっと小さい頃は気配しか感じなかったけど、今はね、スピリールからマルディーヴァの声が聞こえてくるんだ」


 正々と答え、そして、すぐに声と笑顔を弾ませる。


「マルディーヴァはね、すごく優しいんだ!いつも僕の話を聞いてくれて、褒めてくれたり、慰めてくれたりするんだよ。声もすごく綺麗で、澄んでて。まるで鈴が鳴るみたいに凛と響くんだ。ずっと聞いていたいって、そう思うんだ」

「……そうか」


 アルティスはそんなレインハールを、どこか羨ましげに見つめていた。

 無邪気に神の存在を語るレインハールが、あまりに幸せそうで。神応力のないアルティスは、自分はなぜ神に選ばれなかったのかと、心の内に小さなトグロを巻いた。


「ねぇ兄様。今日の会食には、アルティス兄様と婚約する姫がいらっしゃるんだよね。デルワトールの第一王女の——フェルワ様だっけ」


 兄の心情を知らず、レインハールはこれから行われる公事について口にする。

 アルティスはその話題に前を向くと、「ああ」と、短く認めてみせる。


「婚約かぁ……兄様はまだ十四になって成人したばかりなのに、少し早すぎませんか?」

「父上の跡を継ぎ、この国の王になる身だからな。世継ぎのことは、早めに考えておかなければいけないんだよ」

「……でも結婚って、相手を愛し、愛されてこそ幸せになれるものじゃないんですか?アルティス兄様は……決められたこの結婚で、本当に幸せになれるのですか?」


 憂うレインハールに、アルティスが瞳を細める。


「俺のこと、心配してくれているんだな」


 弟の優しさに、アルティスの胸が、ふいにあたたかくなる。


「……確かに俺は、おそらく十八までの間に婚姻を結ぶことになるだろう。だが相手のフェルワとは、生まれた国は違えど、幼い頃から何度も交流してきた仲だ。幼馴染のようなものだから、気心も知れている」


 語りながら、アルティスは思い浮かべる。姫というにはおてんばで、親しみやすい女の子のことを。


「フェルワは少し気の強いところがあるが、根は優しいし、弱い部分だってある。俺はそんなフェルワを、好ましいと思っているよ。だから俺とフェルワは——きっと、幸せになるさ」

「……そうなんだ。それなら、いいんだけど」


 前向きなアルティスの答えに、レインハールは釈然としないものを抱えつつも、それでも安堵を覚えた。

 アルティスは、そんなレインハールに言葉を返す。


「俺の心配より、自分の心配をしておけ。第二王子とはいえ、お前にだって婚姻の話はいずれやってくるぞ?」

「僕にそういうのは……まだ、早いです」

「だがあと三年もしたら、俺のように成人するんだ。きっと、あっという間だぞ」


 来るべき未来を指摘され、レインハールは小さく唇を噛んだ。無垢なまま、王族としての自覚に欠けるレインハールに、アルティスは決意を促す。


「成人したら、俺の右腕として働いてもらうからな。いずれはお前にも結婚してもらって、一族の血を残してもらわなきゃいけない。国と民に安寧と安泰をもたらし、支えてゆくのは、王の一族としての使命なのだからな」

「……それは、わかってるよ。この国と民のことは、僕も大切だと思ってる」


 そう受け止めながらも、レインハールは心を揺らす。


「でも……大人になりたくないな。僕は、今の生活がいい」


 窮屈さを覚え、レインハールは青く晴れた空へと視線を逸らす。

 その瞳に、自由に飛ぶ、一羽の鳥が映る。


「俺も昔はそう思ってたさ。でもな、大きくなった今が、不幸だとは思わない。むしろ、大人になって見識が広がった今だからこそ——この国の素晴らしさや、民の心の美しさがよくわかるんだ」


 不服を浮かべるレインハールの頭を、アルティスの手がそっと撫でる。


「やることは増えるし、責任は決して軽くない。だがこの国を守りたいと思うこの気持ちは、幸せな持ち物だと、俺はそう思ってる」

「……兄様」


 レインハールは、自分よりも高い背の兄を見上げた。

 映る輪郭は、鷹揚としていて、逞しい。


「ゆっくり大人になれ、レインハール。お前の先には、いつだって俺がいる。たったふたりの兄弟なんだ。手を取り合って、この国を導いていこう」

「……うん。ありがとう、アルティス兄様。頼りにしてるね」


 撫でる兄の手に、優しさと頼もしさを感じて。

 レインハールは見えなかった未来に、ほんの少しだけ光が差した気がした。

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