本論7:『テケテケ』
「——ってなわけで、朋月先輩についてはあまり解明できなかったよ」
「ふぅん……へぇ……」
放課後の学食にて、僕は業田と『禁地ゼミ』についての情報交換会を開いていた。お互い巻き込まれたままろくな説明がなされていないので、どうにか絞り出した情報を共有して理解を深めようと思ったのだ。お互いの苦労を労う魂胆もあったがそっちは二の次だ。
僕からは昨日聞いた朋月先輩の話を聞かせてやった。あまり新しい情報ではないが、一歩前進したという実感が得られるくらいの情報ではあるだろう。
「結局分かったのは名前と、人魚の肉を食べたってことぐらいだな……あと、『
「ふん……」
喜んでほしいわけでもないが、それを聞いた彼の顔はものすごく怪訝そうで、僕のせっかくの報告に何一つとして納得がいっていない様子だった。
「何が不満だ? 確かに取るに足らない情報かもしれないけれども、それは謝るよ。どうか許してくれ」
「……ぱい」
「ん?」
「お前さ……揉んでんだぞ、女の人の、胸を。それを些事のようにあっさりと描写するとかさ……なんのために俺はお前を送り込んだと思ってるんだぁ!?」
「いつ僕がお前発の斥候になったんだよ」
胸ぐらをつかんでくる業田に圧倒され、強く反撃することができない。
こいつの発言がどれほどの本気度なのかは、見ようと思えば見ることができるのだが、気持ち悪くて見ることが躊躇われる。それほどに必死の形相なのだった。
「くっそぉ……俺が大変な目にあっている最中、スケベなイベントに耽りやがってぇ……なんだ!? エロフィギュア作りって!? そういう隠語かお前!?」
「お下劣通り越してシンプルに下劣だぞ! 下ネタが変にねちっこい! 気持ち悪い!」
そもそも触ったのは胸というか——表現するとすれば胸肉だ。今でもぞっとする。
「まぁ冗談は置いておいてだな」
「急に落ち着くな」
怖い。人の感情とはこうも簡単に乱高下させることができるのか? 正直下手な『怪異』よりも怖いぞ。
「そのエロフィギュア作り、拝見させてもらった方がよかったんじゃないか?」
「それは真面目に言っているのか?」
「そうだよ。マジよ、真面目に。
「……確かにそうかもしれないな」
今は何であっても知るべきフェイズである。気まずかろうとできる限り隅々まで調査すべきだったのかもしれない。
「それによ、安慈君。嘘を見抜く能力が備わってるんなら、はぐらかしぐらいどうにでもできたんじゃないのか?」
「いやそれは無理だよ」
「なんで?」
僕は思い出す。彼女が考え込んだ瞬間に起こった異変を。
感情とは脳の働きだ。僕は脳の働きをエネルギーの流れで見ている。だから感情以外の脳の動きも見えるには見えるのだ。
現実には彼女に脳はないのだが、人として動ける以上それと同様のエネルギーが動いている。僕はその動きを見ていた。
「朋月先輩は、隠し事はしていなかった。本当に思い出せなかったんだよ、その時のことを。ただ奇妙なのは——彼女はその記憶は確実に憶えているってことだ」
「え? 憶えてるのに、思い出せない? 矛盾してねぇかい?」
「いいや、確実に思い出すところまではいったんだ。ただ、僕に向かってアウトプットする直前に、ノイズみたいなものが入ったんだ」
「ノイズ? 頭にノイズなんて起こるのかよ」
「知らないよ。ただ、それで僕はその怪奇譚を聞き逃した。でもそこに先輩の悪意や意思はなかったんだ。先輩の中には思い出すことを阻害する機能が、意識とは別に存在してる……多分」
「何のために?」
「わからない。それを知るべきなんだろうね」
知るべき、なのかはわからない。僕のためにも、先輩のためにも知らずにいた方がいいことはある。
だから僕は心の中でそっと訂正しておく。
僕はそれを知りたいのだ、と。
「さて、僕の報告と見解は話した。次は業田の番だ」
「俺かぁ……色々あってなぁ……」
「とりあえず、あの後花菱さんと教授の所に行ったはずだろ? その件がどうなったか、から」
こいつは僕より先に『禁地ゼミ』にたどり着いている。僕の『のっぺらぼう』遭遇→電車の夢→『猿夢』遭遇→教授との修行、の間で何かしらが起こっているはずなのだ。
「あー、そっちからっていうか、むしろそっちがメインの一角というか……」
彼は僕が『のっぺらぼう』と遭遇している間の出来事を話し始めた。
詳細は『補足:逢魔が時に歩く(裏)』を参照していただきたい。
■■
「——でその『テケテケ』は?」
一般ゼミ生Cと朋月先輩の乱入、そこで現れたのは『テケテケ』——話はその段階で休止に入った。
何故ならば、そこで業田が腕を組んでうんうんと唸り始めてしまったからだ。
「で? その『テケテケ』は!?」
「うーん……」
「いやいや! ここまで来たんだから全部話してくれよ。ただでさえ、僕は直近で一回お預け食らってんだから!」
「……百聞は一見に如かず。行こうか」
「え? 『テケテケ』に会いにでも行くのか?」
「そう。なんかこうさ、この流れで説明するとお前から叱責が飛んできそうだから」
「?」
説明しない方が僕は怒鳴りを入れたくなるのだが、どうやら事情があるようで、彼の心は至って真剣だった。
そういうわけで僕らはしばらく学食で時間をつぶし、いかにも『怪異』の出そうな日暮れになるまで待ったのだ。
「あー、ちょうど憐華ちゃんが先に行ってるみたい」
九号館に向かっていると、業田が連絡を受けたようで、苦い顔でスマホを覗いていた。
「花菱さんが? あの人が一番会いたくないんじゃないかな?」
「ううん。それが俺が嫉妬するくらい『彼女』にゾッコンでさ……はぁ」
「? ?」
業田はナンパ目的で花菱さんの件に首を突っ込んでいて、彼女に会えるのなら当然喜ぶものだと思っていたのだが、ますます謎は深まるばかりである。
結局、答えを教えてもらえないし、それらしい予測も立てられないままで、九号館四階に着いた。
ブツゥン
「!?」
廊下を歩いていると、突然電気が消えた。
『テケテケ』の襲撃か?
僕は身構えるが、肌で感じるその場の空気は明らかに違う雰囲気を醸し出している。
(何だこの……悪意でもないのに無駄にクソデカな念は?)
危機を感じるにはあまりに腑抜けたエネルギーが、僕らに向けられている。
一体何が起きようとしているのか、また何を起こされるのか、まったくわからない。僕はそれはそれでものすごく恐ろしくなってしまった。
隣の業田すら見えない闇の中で困惑していると、これまた唐突に——
カッ!
明かりが点いた。といっても廊下の明かりではなく、指向性のあるスポットライトのような明かり。
それが照らすのは——美女。
サングラスをかけ、オフショルダーとホットパンツというかなり露出度の高い服装の黒髪美女。それが腰に手を当てたポーズをキメて、僕たちから少し離れた位置に立っていた。
これは——いうなればモデルとでもいうやつだろうか。
「はい?」
瞬間、大音量の音楽があたりに流れる。
謎のモデルはその音楽のリズムに乗せながら廊下の中央を歩き始めた。
「え? 何? ファッションショー?」
ファッションショー。しかし、それは服を見せるためのものではなかったし、ましてやそのモデルの美しさを喧伝するものでもなかった。
誰が明言したわけでもないが、確かにわかる。目は自然とそこに吸い付けられてしまうのだ。
ランウェイの主役は——彼女の太腿だった。
歩く度に程よくついた肉がムチムチと揺れ、光に照らされた肌はシルクの布のように純白。彼女が我々の前を通り過ぎる間も、芸術品のような太腿に目が吸い寄せられて離れなかった。
(変態的な思考だが……この太腿の前に跪きたいとさえ思える)
やがて彼女はこちらに振り向いた。そしてそこにあるはずのない空気椅子に座り、大げさに足を組んだ。
それがこのウォークのオチだったようで、音楽は止み、スポットライトは消えて代わりに消えていた廊下の明かりが点いた。
「……」
「……」
我々はしばらく黙っていた。その間も組まれた太腿に目が言って仕方がなかったが。
ようやくこの耐え難い沈黙を破ってくれたのは、他でもなくそのモデルだった。
「どうだった?」
「何がだよ」
ただでさえ理不尽な状態なのに、ふわっとした質問を投げかけるな。
業田が言い淀む理由がよーく分かった——これが『テケテケ』だとは到底認められない。
口頭で説明されたら、多分業田を締め上げていたであろう。
「命拾いしたな、業田」
「そりゃ、どうも」
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