敗北
だいぶ日も傾いて夕闇に近づき、それと同時に薄暗くなっていく室内。
けれど、その中でも
迷いのない言葉と視線に、俺は一瞬たじろぎながらも、なんとか平静を装う。
「つまり俺の自作自演だって言いたいのか?」
「はい、そうです」
「まったく突然何を言い出すかと思えば、ちゃんと根拠はあるんだろうな?」
「ふふっ」
「……何がおかしい?」
「あ、ごめんなさい。だって追い詰められた犯人そのものの反応なんですもん」
「…………茶化してないで質問に答えろ。それとも実は俺の自白を狙ったハッタリか?」
「いいえ、残念ながら根拠はあります」
「では、茶番はこの辺で終わりにして。──改めまして、恋の謎『匿名のラブレター』の真相を解き明かしていきましょう」
そう宣言すると椅子に深々と座り、手のひらを向けて俺にも座るよう促す。
俺は逡巡したが、ここから逃れるすべを思い浮かべず、より怪しまれる前に腰を下ろした。
「まず、この謎が巧妙なのは〝ラブレター〟という点です。普通の人であればそこに着目して色恋が関係していると思うでしょう。そうして本来の目的から遠ざけるように仕向けている────でも残念でした! 私はそこいらの探偵と違って頭に〝名〟が付きますので引っかかるようなヘマはしません」
「そこいらに探偵なんていないし、〝迷〟の間違いだろ」
「さてさて、これから私の推理を聞いてもその虚勢が保てるといいですね」
ふふーんっと鼻を鳴らし、強気を誇示するように腕を組む。
俺はその煽情的な言葉と態度に心を乱されないよう、「早く話を進めろ」と先を促した。
「私がこの匿名のラブレターを
「目的なんて決まってる。俺と恋仲になる、もしくは俺の恋愛事情を把握することだ」
「はい、私が真っ先に思いついたのもそれです。しかし、このラブレターは匿名であり、当の
だとしたら身近な人でしょうか? いやこれもないでしょう。身近な人であれば
「そうとも限らない。両想いであると確信が持てず、不安になって匿名にした可能性も十分にあり得るはずだ」
「苦しい言い訳ですね。そもそも不安に思うぐらいならラブレターなんて出しませんよ。それに自信がなく匿名にしたということは、相手が自分を好きでなかった場合に気まずくならないための保険と受け取れます。しかし、先程も言ったとおり
「じゃあ相手から告白されることを夢見て……」
「ラブレターを出している時点で先に告白しているようなものじゃないですか……。言い訳が雑になってきてますよ」
「小さな可能性を追ったまでだ」
「そんな根も葉もない感情的な推理をしてたらキリがないですよ。時間稼ぎのつもりか何かは知りませんが、マシな反論を思いつかないならお口にチャックしててください」
「…………」
「よろしい。まとめると、もし仮にこれが本当に
俺はそのムカつく煽りに心を揺さぶられないよう、話を進める。
「一旦その推理が正しいとして。そこから俺が差出人になる理由は何だ?」
「利益です」
「……利益?」
「当然なことにこんな面倒な謎を考えたわけですから、差出人にはそれに見合った利益がないとおかしいでしょう。そして引っかかったのは、この謎に
しかし(恋仲説を否定した現状)いくら考えても
「ちょっと待て。真っ先に俺になる理由が分からない。どうして幼馴染の
「逆に聞きますが、
「……イタズラで俺が慌てふためく姿を見たかったとか…………」
「私たちはもう高校生なんですよ。そんな子供じみたことのためにわざわざラブレターを用意したとは考えられません。大体リアクションの薄い
「自分でも今の答えが真実だとは思ってない。だけど、そういう可能性はいくつでも考え得るだろ。なのに二人の可能性は追わず、俺であると決め付けた根拠はなんだ?」
「単純明快なことです。ラブレターが下駄箱に入れられた推定時刻三時間と三十分の間のアリバイが二人にあることを確認していますから。
「
「いいえ、この学校の下駄箱は男女左右で分かれているので、男子のほうの下駄箱を開けてたら目立っちゃいますよ。モロバレです」
「なら次の日の登校時間が重なったってことだが、
「その前日は徹夜しませんでしたからね。むしろ毎日寝坊しているほうが不自然でしょう」
「そこ以外にも、
「それはあり得ないと断言します。こよちゃんとはホームルームが始まる直後までずっと一緒にいて、
「それは後付けでなんとでも言え……」
「ストップです!」
俺が喋っている途中で、
「この先は水掛け論にしかならないので止めましょう」
「返せる言葉がないから逃げる気か?」
「いえ、この話を続けること自体が時間の無駄であり滑稽なので」
「どこがだ?」
「だって
「俺が証明したいのは
「ですからその守りの姿勢が滑稽だと言いたいんです」
「一体何を言いた……」
「────なぜ、真っ先に私を疑わないんですか?」
その疑念に、俺は思わず声を引っ込めてしまった。
そして悔しいことに、このあとに続く
「差出人には何かしらの利益があった。その解釈で推理を進めた場合、一番に怪しむべきはこの私です。私は前々から
「もちろんその可能性は追った。でも謎に対する真剣な態度で違うと思っ……」
「いいえ、違いますね。本当はその論を考えついていながらも言えなかったが正しい。なぜならそれを突っ込めば問い返されてしまうからです。『なら
口を閉ざした俺を見て、
「初めから
人差し指を立て、どこか興奮した様子で捲し立てる。
「最後に私がこの間違った推理を披露して、実際に『
背後から俺の両肩に手を置き、横から覗き込むように顔色を窺ってくる。
明らかな挑発に、しかし俺は何も返せないことはおろか、平静を保とうとすればするほど焦る気持ちが前に出て顔を顰めてしまう。
喉元まで出かかっている言葉はあるのに、それを吐き出せない。
俺の劣勢な様子が、さらに探偵の調子を勢いづかせる。
「フッフッフ!
「……っ」
「この一連の仕掛けが狡賢いのは証拠がないということなんです。今話した私の推理は机上の空論でしかなく、すべてシラを切れるんですよ。お店に寄ったのは
「だからこそ私は証拠を作ったんです!
俺の中の焦りはもう諦観に呑み込まれて消え、新しく苛立ちの感情が芽生えていた。調子づいた
「
「さらに変なのは今まさにこの状況です。
俺の前で仁王立ちし、見下ろす。
「さて。私の出せる証拠は以上です。まだ反論があればどうぞ」
闘志が垣間見える言葉とは裏腹に、顔には愉悦の笑みが浮かんでいる。俺に反論の余地がないと高を括っているのだろう。
まったくその通り。
俺は
腹のうちで膨れ上がっていく怒気や羞恥の暴発を抑え込むように、これまでの人生でも三本指に入るほど重たい溜息をついた。
それでも心中に渦巻く深い後悔は消えず、ひととき無言になってしまう。
やがて、自身に対する情けなさまで顔を出してきて感情がぐちゃぐちゃになりそうだったので、固く閉じる口をなんとかこじ開け、予想し得なかった、絶対に言いたくなかった言葉を吐き出す。
「俺の負けだ」
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