敗北

 だいぶ日も傾いて夕闇に近づき、それと同時に薄暗くなっていく室内。


 けれど、その中でも神子上みこがみの透き通った碧眼はその美しい輝きを失わず、真っ直ぐにこちらに向けられているのが見て取れた。


 迷いのない言葉と視線に、俺は一瞬たじろぎながらも、なんとか平静を装う。


「つまり俺の自作自演だって言いたいのか?」

「はい、そうです」

「まったく突然何を言い出すかと思えば、ちゃんと根拠はあるんだろうな?」

「ふふっ」

「……何がおかしい?」

「あ、ごめんなさい。だって追い詰められた犯人そのものの反応なんですもん」

「…………茶化してないで質問に答えろ。それとも実は俺の自白を狙ったハッタリか?」

「いいえ、残念ながら根拠はあります」


 神子上みこがみは先程まで自身が座っていた椅子の元に戻り、


「では、茶番はこの辺で終わりにして。──改めまして、恋の謎『匿名のラブレター』の真相を解き明かしていきましょう」


 そう宣言すると椅子に深々と座り、手のひらを向けて俺にも座るよう促す。


 俺は逡巡したが、ここから逃れるすべを思い浮かべず、より怪しまれる前に腰を下ろした。


 神子上みこがみはしたり顔で頷く。


「まず、この謎が巧妙なのは〝ラブレター〟という点です。普通の人であればそこに着目して色恋が関係していると思うでしょう。そうして本来の目的から遠ざけるように仕向けている────でも残念でした! 私はそこいらの探偵と違って頭に〝名〟が付きますので引っかかるようなヘマはしません」

「そこいらに探偵なんていないし、〝迷〟の間違いだろ」

「さてさて、これから私の推理を聞いてもその虚勢が保てるといいですね」


 ふふーんっと鼻を鳴らし、強気を誇示するように腕を組む。


 俺はその煽情的な言葉と態度に心を乱されないよう、「早く話を進めろ」と先を促した。


 神子上みこがみは「いいでしょう」と冷静に言い、推理を披露し始める。


「私がこの匿名のラブレターを真昼まひるくんから聞いて最初に考えたのは、差出人の目的でした。ここまで手の込んだ謎を用意した人がそれによって辿り着く結末を予想していないはずがありませんからね」

「目的なんて決まってる。俺と恋仲になる、もしくは俺の恋愛事情を把握することだ」

「はい、私が真っ先に思いついたのもそれです。しかし、このラブレターは匿名であり、当の真昼まひるくんは人付き合いが悪い。普段から接している身近な人でなければその目的を達成するのは厳しいことと、もし真昼まひるくんに本命がいた時に告白の後押しをしてしまうリスクがあることを鑑みれば、真昼まひるくんの恋愛事情を知るために出した線はほぼない。

 だとしたら身近な人でしょうか? いやこれもないでしょう。身近な人であれば真昼まひるくんの交友関係が極狭なことを知っていますから、自分が候補に上がるのは目に見えて明らかで匿名にする意味が無くなっちゃいますからね」

「そうとも限らない。両想いであると確信が持てず、不安になって匿名にした可能性も十分にあり得るはずだ」

「苦しい言い訳ですね。そもそも不安に思うぐらいならラブレターなんて出しませんよ。それに自信がなく匿名にしたということは、相手が自分を好きでなかった場合に気まずくならないための保険と受け取れます。しかし、先程も言ったとおり真昼まひるくんに接する人は極少数。真昼まひるくんの中で『身近な人の誰かが自分のことを好いている』という疑念が芽生えることは容易に想像つくでしょう。怪しまれ続けては本末転倒もいいところです」

「じゃあ相手から告白されることを夢見て……」

「ラブレターを出している時点で先に告白しているようなものじゃないですか……。言い訳が雑になってきてますよ」

「小さな可能性を追ったまでだ」

「そんな根も葉もない感情的な推理をしてたらキリがないですよ。時間稼ぎのつもりか何かは知りませんが、マシな反論を思いつかないならお口にチャックしててください」

「…………」

「よろしい。まとめると、もし仮にこれが本当に真昼まひるくんと恋仲になりたいがためのラブレターだとすれば、身近な人つOKが貰える確信を持って出した物。ですが、その確信があるならそもそも匿名のラブレターなんて出さずに直接告白する。私はその目的と行動が一致しない点から恋仲になるという説がそぐわないと思ったんです。ラブレター自体は謎を作るための単なる口実でしかない、ってね」


 神子上みこがみは『図星でしょう?』とでも言いたげに嘲笑を浮かべる。


 俺はそのムカつく煽りに心を揺さぶられないよう、話を進める。


「一旦その推理が正しいとして。そこから俺が差出人になる理由は何だ?」

「利益です」

「……利益?」

「当然なことにこんな面倒な謎を考えたわけですから、差出人にはそれに見合った利益がないとおかしいでしょう。そして引っかかったのは、この謎に真昼まひるくんを巻き込んだこと。だからその利益には真昼まひるくんに関する何かしらが絡んでいると思ったんです。

 しかし(恋仲説を否定した現状)いくら考えても真昼まひるくんを巻き込むことで発生する利益を思いつけませんでした。それで私は見方を変え、単純に『この謎で利益を得る人物は誰か?』と考えた時に、それは真昼まひるくんであるとなったわけです」

「ちょっと待て。真っ先に俺になる理由が分からない。どうして幼馴染の逢乃あいのや唯一学校内で俺と関係がある早咲はやさきの可能性を除外できた?」

「逆に聞きますが、真昼まひるくんにラブレターを出して二人に何の利益があるんです?」

「……イタズラで俺が慌てふためく姿を見たかったとか…………」

「私たちはもう高校生なんですよ。そんな子供じみたことのためにわざわざラブレターを用意したとは考えられません。大体リアクションの薄い真昼まひるくんに仕掛けてもつまらないのは明白ですし」

「自分でも今の答えが真実だとは思ってない。だけど、そういう可能性はいくつでも考え得るだろ。なのに二人の可能性は追わず、俺であると決め付けた根拠はなんだ?」

「単純明快なことです。ラブレターが下駄箱に入れられた推定時刻三時間と三十分の間のアリバイが二人にあることを確認していますから。早咲はやさきさんについては、月曜日の部活が公民館であってすぐに行かないといけない事情とその次の日に遅刻したことを友達から教えてもらいましたし、こよちゃんについては、いつも部活が終わったら部員の人たちとぞろぞろ帰るそうでラブレターを入れる隙はなく、次の日は登校時間がちょうど私と重なりましたから白です」

早咲はやさきのほうは俺も知っている事実だから信用するが、逢乃あいののほうは確実性がない。ラブレターを入れるだけなら一瞬で済むから、部員が近くにいたところでアリバイにはならない」

「いいえ、この学校の下駄箱は男女左右で分かれているので、男子のほうの下駄箱を開けてたら目立っちゃいますよ。モロバレです」

「なら次の日の登校時間が重なったってことだが、神子上みこがみは朝に弱かったはずだろ。早朝登校の逢乃あいのと同じになるのは不自然だ」

「その前日は徹夜しませんでしたからね。むしろ毎日寝坊しているほうが不自然でしょう」

「そこ以外にも、神子上みこがみ逢乃あいのはクラスが違うから、教室前の廊下で別れたあと、逢乃あいのがまた下駄箱に戻ってラブレターを入れた可能性もある」

「それはあり得ないと断言します。こよちゃんとはホームルームが始まる直後までずっと一緒にいて、真昼まひるくん勧誘のアドバイスを貰っていましたから」

「それは後付けでなんとでも言え……」

「ストップです!」


 俺が喋っている途中で、神子上みこがみは両腕をクロスさせて大きなバツ印を作る。


「この先は水掛け論にしかならないので止めましょう」

「返せる言葉がないから逃げる気か?」

「いえ、この話を続けること自体が時間の無駄であり滑稽なので」

「どこがだ?」

「だって真昼まひるくんは早咲はやさきさんもこよちゃんも差出人じゃないと言っていたじゃないですか。ならアリバイがあろうがなかろうが同じことです。身を倒してまで反駁して何が得られるというんです?」

「俺が証明したいのは神子上みこがみの極端な思考が間違っているということだ。的はずれな理由で疑いをかけられて悠長に聞き入れるわけがないだろ」

「ですからその守りの姿勢が滑稽だと言いたいんです」

「一体何を言いた……」

「────なぜ、真っ先に私を疑わないんですか?」


 その疑念に、俺は思わず声を引っ込めてしまった。


 そして悔しいことに、このあとに続く神子上みこがみの推理が見え透いていながらも、その論をひっくり返す言い訳がすぐには思いつかない。


 神子上みこがみは俺に考える時間を与えないようとするかのように、スラスラと言葉を続ける。


「差出人には何かしらの利益があった。その解釈で推理を進めた場合、一番に怪しむべきはこの私です。私は前々から真昼まひるくんを部活に勧誘しており、真昼まひるくんには全てを跳ね除けられている。だから今回の謎を自作自演することで、謎を解けた暁には入部するようにと約束を取り付けた。私のような名探偵でなくとも真っ先に疑うべきことです。しかし、真昼まひるくんは今の今まで一片たりとも私の自作自演を追わなかった。とても真面目に推理しているとは思えません」

「もちろんその可能性は追った。でも謎に対する真剣な態度で違うと思っ……」

「いいえ、違いますね。本当はその論を考えついていながらも言えなかったが正しい。なぜならそれを突っ込めば問い返されてしまうからです。『なら真昼まひるくんにも、私の勧誘を止める約束を取り付けるためという利益があるでしょう』ってね」


 口を閉ざした俺を見て、神子上みこがみはこの上ない嬉々とした表情を浮かべたあと、椅子から立ち上がり、俺の周りをゆっくりとした動作で歩きながら、


「初めからりん姉が差出人であると私に間違った推理をさせようと企んでいたのでしょう? だから昨日、駅から遠い『悠々ゆうゆう』にわざわざ寄ったんです。そして料理を運ぶのが大変だからと気を遣ったふうを装ってカウンター席に座らせ、りん姉に私たちの会話を聞かせた。りん姉がラブレターと聞けば(真昼まひるくんが事前に情報を流していたんですから)早咲はやさきさんと繋げることは明白。そう、この行動を私の前ですることによって『身近な人の中にはりん姉も含まれている』と『りん姉が早咲はやさきさんのことを前から知っていた』という二つの情報を私の推理に付け加えさせた。さらには腕時計をわざと店に置いていき、今日こよちゃんに届けてもらうことによって、学校の生徒でなくとも協力者がいれば外部からでも物を送ることは可能だと暗示させた。そうすれば私の推理を『真昼まひるくんはぼっち宣言人間だから一目惚れの線はない』から『つまり身近な人』から『こよちゃんと早咲はやさきさんを除けばりん姉しかいない』から『りん姉は真昼まひるくんと早咲はやさきさんが学校で図書委員をしていることを知っていて心配になった』と誘導できる」


 人差し指を立て、どこか興奮した様子で捲し立てる。


「最後に私がこの間違った推理を披露して、実際に『悠々ゆうゆう』に行って確かめるとりん姉の反応は何のこっちゃ。私の推理は外れ、ラブレターの期日は過ぎ、約束どおり私は勧誘を止めることになる。これが真昼まひるくんの筋書きです。ちなみに先ほど真昼まひるくんが電話することを嫌がったのは、もし電話を掛けてりん姉が出ないなんてことになれば今日中に私の間違いを指摘できず、明日へ持ち越しになり、入部届を出すことを約束しているので手遅れになってしまいますからね。だけど私に外せない用事があったために賭けに出た。そうでしょう?」


 背後から俺の両肩に手を置き、横から覗き込むように顔色を窺ってくる。


 明らかな挑発に、しかし俺は何も返せないことはおろか、平静を保とうとすればするほど焦る気持ちが前に出て顔を顰めてしまう。


 喉元まで出かかっている言葉はあるのに、それを吐き出せない。


 俺の劣勢な様子が、さらに探偵の調子を勢いづかせる。


「フッフッフ! 真昼まひるくんが今何を考えているのか手に取るように分かっちゃいます。本当であれば『証拠は?』と言いたいんですよね?」

「……っ」

「この一連の仕掛けが狡賢いのは証拠がないということなんです。今話した私の推理は机上の空論でしかなく、すべてシラを切れるんですよ。お店に寄ったのはりん姉の作る料理が好きだから、カウンター席に座ったのはりん姉を気遣ってのこと、事前に早咲はやさきさんのことを話していたのは学校のエピソードでそのぐらいしか変わったことがなかったから、腕時計は本当に忘れただけ、みたいな感じで。しかもこれは真昼まひるくん単独の犯行ですから、他の人の自白も望めない。私が真実に辿り着こうとも有耶無耶にできる卑怯な手です。最悪でも入部は免れられるでしょう」


 神子上みこがみは俺の前に躍り出てくると、まるでマジシャンがショーを成功させた時のように両手を広げる。


「だからこそ私は証拠を作ったんです! 早咲はやさきさんに頼んで偽の差出人を演じてほしいってね」


 俺の中の焦りはもう諦観に呑み込まれて消え、新しく苛立ちの感情が芽生えていた。調子づいた神子上みこがみにではなく、まんまと罠に嵌った浅はかな自分に対しての。


真昼まひるくんは焦りましたよね? だって差出人は自分なのに早咲はやさきさんが認めたんですから。案の定、私の小芝居だと疑いかかるほどに真昼まひるくんは焦った。ラブレターの期日は今日の放課後まで。この短時間で早咲はやさきさんの嘘を暴かなくては入部が確定してしまう。──でもそれって変じゃないですか? 突然ラブレターの差出人ですと告白された場合、普通の反応であれば驚きや恥ずかしさを表し、自分を好きになった理由などを訊くでしょう。でも真昼まひるくんが表したのは真っ直ぐな疑念。仮にその時に早咲はやさきさんが差出人でない絶対の証拠を持っていたとすれば、その時点で提示すればいい話です。でも真昼まひるくんは疑念を募らせるばかり。それは差出人が誰かを知っている人の反応でしかありません」


 神子上みこがみは自身が座っていた椅子に回り込み、背もたれに両手を置く。


「さらに変なのは今まさにこの状況です。真昼まひるくんは早咲はやさきさんを見事に自白させ私を糾弾しつつも『椅子に座る』という私の推理を聞く姿勢を取りました。普通なら偽物の差出人を用意するなんて卑怯な手を使った人間の言葉をこれ以上聞く道理はありませんが、真昼まひるくんはあまつさえ私の『りん姉が差出人』推理に納得まで示した。早咲はやさきさんの時はあれだけ信じなかったのに。そして私の推理に納得したはずなのに、りん姉が認めたと伝えたら取り乱す思考の矛盾もありました」


 俺の前で仁王立ちし、見下ろす。


「さて。私の出せる証拠は以上です。まだ反論があればどうぞ」


 闘志が垣間見える言葉とは裏腹に、顔には愉悦の笑みが浮かんでいる。俺に反論の余地がないと高を括っているのだろう。


 まったくその通り。


 俺は神子上みこがみの手のひらで踊っている道化でしかなかった。


 腹のうちで膨れ上がっていく怒気や羞恥の暴発を抑え込むように、これまでの人生でも三本指に入るほど重たい溜息をついた。


 それでも心中に渦巻く深い後悔は消えず、ひととき無言になってしまう。


 やがて、自身に対する情けなさまで顔を出してきて感情がぐちゃぐちゃになりそうだったので、固く閉じる口をなんとかこじ開け、予想し得なかった、絶対に言いたくなかった言葉を吐き出す。



「俺の負けだ」

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