気まずい鉢合わせ
一限目の体育の授業中。
雲一つない晴天の下、グラウンドで球技科目のサッカーの試合をしている。
みんなが張り切った声を掛け合いながら攻防している中、俺の思考は(味方に申し訳なくも)フィールドを転がりまわるボールにではなく、
しかし、結局それにも証拠がいる。
だから論破する方法を今必死に考えているのだが、思い浮かぶのはどれも弱い論ばかり。
なぜなら、そもそも
これが
かくなるうえは、
あれもダメこれもダメで埒が明かない。ずっとごちゃごちゃと考えすぎて、まだ学校は始まったばかりなのに脳疲労がヤバい。強い日差しも相まって頭がくらくらしてくる。
ほんと体を動かさずに頭だけを働かせて何をやってるんだ俺は……。
こんなことに時間を費やすのは無益なことだと分かっているものの、
いや、実際しなければならないのだ。ここで負けを認めれば、あいつは絶対に有頂天になって事あるごとに俺へ関わってくるだろう。そうなれば今よりも俺の望むぼっち生活の弊害となる。
何かあるはずだ。この一週間であった
そうして疲れから途切れそうになる思考に鞭打って頼りない記憶を遡ろうとした時、不意に「
「──ぐふぁッ!?」
目を向けた瞬間、顔面に強い衝撃が走った。
あまりの勢いに体勢が保てず、そのまま後ろに倒れて派手に尻もちをつく。
数秒ほど何が起きたのか分からなかったが、隣に転がっているボールを見てようやく自分が顔面キャッチしたことを悟る。
ひりつく顔を擦った手を見ると血が付いていてげんなりした。
すぐに敵味方関係なく俺の元にみんなが集まってきて「めっちゃ顔に当たってたけど大丈夫か!?」や「うわっ、鼻血出てんじゃん!? 気分は悪くないか!?」と口々に心配してくれる。
純粋に恥ずかしい気持ちが募り、「いや見た目ほど酷くないから大丈夫……」と気丈に振る舞おうとしたところで、べつのチームの試合を見ていた先生がこちらの状況に気づいて駆けつけてきた。
結果、鼻からの出血や俺の顔色を鑑みて保健室行きを余儀なくされた。
保健委員の人が付き添うと申し出てくれたが、身勝手な理由で試合を中断させた挙げ句に同行までさせるのは悪いと思ってやんわりと断った。実際に顔面がヒリヒリするだけで歩けないほどじゃないし。
また目立ってしまった失態を情けなく思いながらトボトボとした足取りで保健室に向かう。
授業中で誰もいない廊下を歩いて保健室に着き、ドアを開けた。
「────!?」
俺は思わず中にいた先客を見て硬直してしまう。
相手も俺に気づいたようで目を瞠る。
「え……
ベッドに腰かけている
たしか女子は体育館でバレーだったはず。体操服のままだし、左肩に丸めたタオルを当てていることから何かしらの怪我を負ったのか。
それにしても、なんという気まずい鉢合わせだ。しかも養護教諭が姿を現す気配がないから運悪く出払っているらしい。
あの朝の出来事があった矢先で二人きりは精神的に
お互いにどう動けばいいか分からず、しばしの無言が訪れる。
先に沈黙を破ったのは
「あ、
どうやら会話をする選択肢を取ったようだ。
俺はドアを閉めて(突っ立っているのもあれなので)ベッドの横にあった椅子に座った。
「怪我はしてないよ。勢いよく飛んできたボールを顔面で受け止めてコケてな。鼻血が出てたから大事を取ったほうがいいって先生に言われて来たんだ」
「え、それ大丈夫なの!?」
「ああ、すぐに鼻血も止まったし、べつに気分が悪いってこともないしな」
「そうなんだ、頭の打撲は危険だって聞くから何ともなくて安心したよ」
そう言って安堵の息をついたあと、自身の膝に視線を落とす。
「……ごめんね、私が朝あんなこと言っちゃったから授業に集中できなかったんだよね……」
「
「でも……」
「本当だから気に病まないでくれ。もしそうだとしても
「あ、うん。バレーの試合中に考えごとしてたら急にボールが飛んできて、咄嗟に拾いに行ったら体勢が変だったみたいで捻っちゃってね」
「つまり捻挫か…………痛みはあるか?」
「動かすと痛いかな…………あ、でも我慢できないほどじゃないから全然だいじょうぶ!」
強く無理している様子はないが、俺と違ってしっかりと症状が表れているから普通に心配だ。こういう怪我は応急処置が大切で、怠ると後に悪化する可能性も大いにあり得る。
「今患部を冷やしてる感じだよな」
「うん。保冷剤をタオルで巻いて当ててる」
「どのくらい冷やしてる?」
「えーっと、十分ぐらいかな」
「じゃあ一旦冷やすのはやめてテーピングしたほうがいいな。よければ俺がしようか?」
「へっ!?
「場所が肩だと自分じゃやりづらいだろ。保健の先生がいつ戻ってくるかも分からないし」
「いやでも……」
「遠慮しなくても、応急処置の経験は何度もあるから全然するぞ」
「いやその…………肩だから上を脱がないといけないよね……?」
「…………」
そう言われれば確かに……。腕まくりだけだとしっかりと圧迫できない。早く処置をすることに頭が一杯でそこのところを考えていなかった。
「異性の前で肌を晒すのは抵抗があるよな……配慮が足らなくてごめん」
「ううん!
「でもやっぱり怪我の具合は心配だし、職員室に行って保健の先生がいないか訊いてくるな」
「そこまでしなくても大丈夫っ、私、怪我には強いほうだからこれぐらい我慢できるよ」
「捻挫でも何でも怪我を甘く見てると悪化した時に後悔するぞ。特に
俺がこんなにも懸念を抱くのは、前に一度、
医者に止められた時の悔しそうに泣く
頑固な俺に、
「えっとじゃあ……やっぱり
「俺はいいけど、
「うん。上着で前を隠せば問題なさそうだし」
「分かった。じゃあテーピングを探してくるから準備しててくれ」
俺はそう言ってから部屋の壁際に置かれた棚に行く。
棚の引き出しにはそれぞれ何が入っているのか道具の名称が書かれたラベルシールが貼られており、わざわざ探さなくともテーピングを見つけられた。さらには専用のハサミも同じ所に置いてあって保健室の整理整頓さに感心した。
赤面させた顔も相まってさすがに俺も少し動揺しつつ、それを気取られると余計に羞恥を煽ることになるので表に出さないよう努めた。
できるだけ早く済ませようとベッドに腰かけると、なぜか
「ど、どうした?」
「いや…………私、汗くさくないかな……? 体育館から直接
「ああ、そういうこと。全くしないから大丈夫だぞ」
「ほんとに? 気遣ってない?」
「本当にしないって。それに保健室は消毒なんかの他の匂いが漂ってて打ち消されるからな」
「そ、そっか。ならよかった。……じゃ、じゃあ応急処置をお願いします……」
「お、おう」
しかし、自分から言い出したことだ。ここで気を取られて処置が杜撰になることだけは避けたい。テーピングの貼り方を間違えないようにすることだけに思考を専念しよう。
テーピングをハサミで適切な長さに切り、肩から二の腕にかけて貼りつけていく。
「締めつけがきつくないか?」
「うん、平気」
「そうか。もしきつい時には遠慮せずに言ってくれ」
「俺の顔になにか付いてるか?」
「……あ、や、すごく手際がいいなぁと思って。経験が何度もあるって言ってたけど、
「今と同じで帰宅部だよ。妹がいて、よく怪我して帰ってくるから自然と覚えたんだ」
「へー、
「二歳下の中学二年生」
「かわいい?」
「ああ。純粋で良い子だぞ」
「即答でそこまで言えるってことはすごく兄妹仲がいいんだ。その年齢って(私もだったけど)
「毎日何かしらの運動してるほど活発だから、それで上手いことストレスを発散できてるんだろうな。あと昔から裏表がなくて言いたいこと言うタイプだし」
「元気いっぱいな性格なんだね。でもその代わりにたくさん怪我しちゃうわけだ」
「本当にしょっちゅうだよ。部活で納得いくプレイができるまでオーバーワークしてぶっ倒れたり、ノラ猫を追いかけるのに夢中になって藪の中に入って手足に擦り傷を作ったり。あと、学校で聞いたその日に心霊スポットに一人で行った時は躓いて転げたらしくて派手に膝を擦りむいてたな」
「それは珍しいほどの天真爛漫さだね……」
「まぁその無邪気さが良いところでもあるんだけどな」
「ああでも、何にでも好奇心を示すところや探求心のまま行動するのはやっぱり兄妹って感じがするね」
「……そうか? インドア派の俺とは真逆すぎるほど気質が違うと思うけど」
「本人からすれば分からないかもだけど、簡単に想像がつくぐらいには二人とも似てるよ」
「…………」
そこまで確信を持てる根拠が分からない。
これまで
今までは面倒事に繋がると思ってあえて訊こうとしなかったが、ラブレターの件もあることだし、知っておくに越したことはないか。
俺はテーピングを貼る手を一旦止めて。
「なぁ、少し訊いてもいいか?」
「なに?」
「
雑談をするような口調で直球に訊いたところ。
「────もしかして思い出したのっ!?」
バッと勢いよく体ごとこちらを向いて俺の両肩に手を置いた。体の前を隠すことを忘れて。
「
「前? ……きゃあっ!」
慌てた手つきで膝の上に落ちた体操服を拾い、俺に背を向けて体を丸める。
「み、見えたよね……?」
「い、いや大丈夫だ! 一瞬で顔を逸らしたから何も見えてない!」
実際は下着のリボンや花柄の細部が分かるほどガッツリと見えたけど。
しかしその気遣いも虚しく(嘘が表情に出ていたのか)
居た堪れない沈黙が漂う。
このままではお互いにより気まずくなると察し、「……色々とアレだけど、まずは応急処置を終わらせようか」と提案する。
脳裏にチラつく
「──よし、これで終わりだ。動かしづらいとかの不便さはないか?」
「うん、大丈夫だよ。ありがと」
「後は十分おきぐらいに冷やしつつ安静だな。それじゃあ俺は授業に戻るよ」
これ以上俺が傍にいたら色んな意味で安静にできないだろうから。
そうしてベッドから立ち上がろうとした時、
「まだ何かあるのか?」
「
そう言いながら隣の空きベッドを指し示す。
「俺は何ともないから休む意味はないよ」
「そうは言っても鼻血が出たんでしょ。大事を取って今の時間は安静にしたほうがいいよ」
「でも元気な身でベッドを一つ占領するのは気が引けるし……」
「私に『怪我を甘く見てると悪化した時に後悔するぞ』って言ったのは誰だっけなー?」
「…………」
自身の発言を逆手に取られてぐうの音も出ない。
「それに一人だと暇すぎて左肩の痛みに意識を持っていかれて
「……はぁ。分かった。俺もこの時間は大人しく休むことにするよ」
俺が隣のベッドに行き上履きを脱いで横になると、
そしてすぐに俺のほうを向いた横向きの姿勢になる。
「さっきの話の続きなんだけど、昔に私と会ったことを思い出したの?」
その口ぶり的にやはり俺と
「違うよ。ただの推測の話」
「なんだぁ……そっか……」
「
「あ、いや、
「一度きりって……高校に入るまで一度も会ってないってことだよな?」
「うん。たったの一度きりで、その日一緒にいたのも半日に満たない時間だったね」
「なのに、
「覚えてるよ。今でもずっと」
「……そんなにインパクトのある出来事だったのか?」
記憶にない昔のことは聞いたところで釈然としない気持ちになるから普段は自ら深掘るような真似はしないのだが、情報と
「
「
「そう。今は御守り代わりにするほど大切な物に思ってるけど、それを受け取った当時の私はすごく嫌で許せない気持ちになったんだ。形見を残すってことは生きることを諦める行動に見えちゃってね」
たしかに生前に形見を用意するのは死を予感した人の行いだ。普通に考えればそれは優しさに映るだろうが、幼い
「二人が諦めるなら自分一人で何とかするって怒りのままに解決策を探ったんだ。その時に学校で聞いた噂で、近隣の山(
「小学生が一人で山に……かなり危ないことしたな」
「それほど不満があったんだろうね。それで、あれは廃社を探し始めて二週間ぐらいが経った日かな。お昼を過ぎたあたりで急に空が悪天候になってね、その時は山の中腹にいたから町のほうに避難できず、大雨に濡れながら雨宿りできる場所がないか探して……幸か不幸か目的の廃社にたどり着いたんだ。でも……」
「でも?」
「えっと……そこでポケットに入れてたお母さんのペンダントがないことに気づいて……」
「途中で落としてきたわけか」
「うん。雨の中を無我夢中で走ってたからね。何回か木の根に躓いて転げたし」
以前にも紛失したことがあったとは。
「当然落とした場所は分からなくて、しかも雨は降り続けるから捜すのは厳しい。ペンダントを失くしたことを知ったお母さんが悲しむ姿を想像して絶望したよ。なんでいつも自分はドジを踏んでしまうんだろうかって泣いて……」
その心境とは裏腹に
「突然、廃社の中から物音と一緒に『調査完了! 特に何もなし!』って大声が聞こえてきたあと、
「そんな怖いファーストコンタクトだったのか……」
「その時はそれどころじゃなかったから一瞬驚いただけで済んだけどね。曇り空で辺りは薄暗かったし、今だったら確実に叫び声を上げて一目散に逃げてるね」
たしかに忘れそうにない珍しい出会い方だな。
「それでお互いに名前を教え合ったあと、
すると
「人のことを言えないほど短慮な行動だなぁ」
「ほんとにね。でも
「それは名探偵って言えるのだろうか……」
「名探偵だよ。だってあの広い山の雨降る中から小さなペンダントを見つけたんだからね。それにそのあと『じゃあ次は本当の悩みを解決しよう』って私の心を見通してきたんだ。高乃山を彷徨いている時点で廃社が目的なのは明白で、何か叶えたい願いがあったことに他ならなく、一人なことから遊びじゃないって」
どうやら名探偵と自称するぐらいにはちゃんと推理していたみたいだな。ナルシストのなんちゃって探偵じゃなくてよかった。
「そこまで見透かされたから正直に話したんだ。打ち明けてると自然と感情が溢れて、最後には涙を流しながら胸のうちを吐き出してた。お母さん本人が生きることを諦めてるのが許せないって。
「…………」
「その言葉でお母さんの気持ちを勝手に決めつけてたことに気づいたんだ。悲しみや悔しさに囚われてまともに会話できてなかったことに。ただ当時の私は心が弱かったから、これだけ迷惑をかけておいて今さらお母さんは本音を話してくれるだろうかってまた悩んで…………そしたら
どこかうっとりとした顔で右手の甲を優しく撫でる。
「そして決心できた私は、雨が上がったあとに
「長々と話しちゃった。これが私と
「……いや、特には……」
しかし、作り話にはとても聞こえなかった。
──まさか
「お母さんのこともそうだけど、人見知りの相談にも乗ってくれたし、今の私がいるのは
「どう返していいか困るな……」
「はは、今の
その時、ガララッと部屋のドアが開く音とともに保健の先生が戻ってきて、
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