推理
放課後、ディテクティ部の部室。
「──それでは、これから恋の謎『匿名のラブレター』を推理していきたいと思いますっ!」
人体模型だけでは飽き足らず、どこからか持ってきたホワイトボードの前に立ち、マーカーペンを掲げて宣言する
だがマイペース
「ほらほら、そんなに
「逆になんでそんなに元気なんだよ……」
「もちろん推理だからです!」
「答えになってないけど…………まぁいいや。俺の調子に構わず続けてくれ」
一々
「では。分かりやすいように順を追って推理していきましょうか。まず匿名のラブレターは靴箱に入っていて登校時に
喋りながらホワイトボードに記入していく。意外にもバランスの整った綺麗な字だ。
「その事から、この学校の生徒である可能性が高いでしょう。教師であれば禁断の恋となって下手すれば職に影響してしまう危ない行為ですし、外部の人であればわざわざ学校の下駄箱に入れずに家のポストにでも投函すればいいですからね」
俺はラムネを舌の上で転がしながら頷く。誰にでもできる単純な考えだ。
「ちなみに、ラブレターが靴箱に入れられた推定時刻は分かっているんですか?」
「ああ。俺が月曜日に靴箱から出たのが午後四時三十分で、校門や昇降口が閉まる完全下校時間が午後七時だから、その間は二時間と三十分。そしてラブレターを発見した火曜日に靴箱に入ったのが午前八時で、開門が七時からだから、その間は一時間。その二つを足せば、推定時刻は三時間と三十分の間ってことになる。差出人が夜間に忍び込むような人間でなければな」
「そこは学校のセキュリティを信頼するとしても、やっぱりその情報で差出人を絞るのは無理そうですね」
軽い口調からして期待はしていなかったようだ。そうであれば昨日のうちに訊いているか。
「やはりこのラブレターが謎たらしめている所以から紐解きましょう」
ボードに『Q:なぜ匿名にしたのか?』と書く。
「素性を隠して相手からの告白を待つという行為からは、二つの感情が窺えます。
一つは、OKを貰えるという確信。この場合、それ相応の自信や理由があるわけですから
もう一つは、
「前者は納得だけど、後者は消極的すぎないか。もしそれで俺が誰かに告白して付き合うことになれば本末転倒だ」
「──と、もちろん私も考えて一つ目の推理に焦点を当てましたよ。入学してから
「待て。ちゃんと約束は守ってるんだろうな?」
「心配しなくても聞き込みはしてませんよ。調べ上げてというのは、私の類稀なる記憶を遡ったという意味です」
「ならいい」
「その結果、名前が挙がったのは────この二人だぁぁぁ!」
書かれていたのは(案の定というべきか)『
「
「引くな。
「え、そうなんですか。つまり
「拡大解釈がすぎる。多く喋ってるだけで他意はないし、俺はほとんど話しかけられてる側だ」
「素直に認めればいいのに…………まぁこの私が謎に取り掛かった時点で
「そうなるといいけどな」
「何にしても私はラブレターの差出人じゃないですから、やっぱりこよちゃんか
「さぁな」
「実際に接しているんですから、何か思うことの一つや二つあるでしょう?」
「分からないから頼ってる」
そう言うと、
「昔は自分からみんなの悩みを解決していくほど積極的だったのに……」
「昔は昔、今は今だ。前にも説明したけど、記憶にないんだからしょうがないだろ」
とぼけているわけでも単なる物忘れでもなく、本当に記憶がないのだ。
人から聞いた話では、俺は小学五年生の夏に水難事故に遭ったそうだ。
その時に傍にいた
その迅速な対応のおかげで一命は取り留めたものの、無傷で済むはずもなく、俺は逆行性健忘を患った。過去の出来事を思い出せなくなる厄介な病気だ。
そして俺の症状は深刻なものらしい。なにせ病院のベッドで目覚めた時、周りで泣いて嬉しがっていたのが家族であると分からなかったことはおろか、自分自身の名前すら言えなかったのだから。
一般常識(一日は二十四時間で回っている、犯罪を犯してはいけない、りんごの見た目は赤いなど)が無事だったことと、近しい人たちが支えてくれたおかげで今のように普通に生活できるようになったが、いつどこで何があったかなど過去の記憶は今も失ったままだ。──ただ一つの記憶を除いては。
「俺たちが小学生の頃に一緒に遊んでたことは沢山の人の証言や過去の映像記録から確かだと分かったけど、何も思い出せない今の俺にとっては人から聞いた空想でしかない」
俺が事故に遭う前の小学四年生の冬、
「その頃の俺が創作物も顔負けの名探偵だったか、困った人を放っておけない善人だったかは知らないけど、今はこの通り、頭も良くなければ特技もないどこにでもいる一高校生。昔の俺はもういないから諦めてくれ」
「確かにあれだけ活発だった性格が五年の間にここまで根暗さんになっちゃっていたのは驚きましたね。再会した時だって私がハグしたら顔を真っ赤に染めて戸惑ってましたし」
「誰だって出合い頭に抱きつかれたら照れるだろ! 海外の感覚と一緒にしないでほしい」
「いえいえ、昔の
「昔の俺ってどんだけキザ野郎なんだよ……絶対に話を盛ってるだろ。それにそれを言うなら
再会する前に
「私のは変化ではなく成長です。体とともに心もグレードアップしたのです」
「まるで人をグレードダウンしたみたいに言うな」
「そう卑屈にならないでください。考えようによっては今のほうが探偵の雰囲気っぽくて私は好きですよ」
「どっちだよ……さっき残念がってたくせに」
「それは過去の記憶がないことに対してではなくて、面倒くさがって真面目に推理してくれないことに対してです」
「面倒じゃなくて、本当に何も思い浮かばないんだ」
「しらばっくれちゃって。……まぁいいでしょう、その秘密主義が剥がれるのもきっと時間の問題でしょうからね! ……あ、でも探偵役は私のものですよ!
「どっちもいらないから」
やっぱりこの程度の言葉では勧誘を断れないか。
何にせよ、この話題は水掛け論にしかならない。まだ進展のない推理に付き合ったほうがマシか。
「話を戻す。今日二人と会って話してみたけど、特に変わった様子はなかった。以上」
「ほんとですかぁ? 目立ちたくない
「通学路でたまたま一緒になったんだ」
「たまたま? 朝早く登校する優等生のこよちゃんと、遅く登校する怠惰な
クラスが違うのに目敏いな。
できれば面倒を避けるために黙っておきたかったが、後々発覚してやいやい不満を言われるよりは今明かしておいたほうが利口か。
「……はぁ。ごめん、嘘をついた。本当は
「どうしてそれを隠す必要があったんです?」
「それが会話の中で昨日俺の下校が遅いことを突かれてな。言い訳もできずにラブレターの件を話してしまったんだ。もちろん
「……嘘をついたのはいただけませんが、相手が頭脳明晰のこよちゃんじゃ私でも隠し通せる自信がないので今回は不問としてあげましょう。推理の妨げとなるので次からは正直な心を所望します」
「分かったよ」
「よし。
「早速言質を活用するな。それは推理に関係ないってこの前も言っただろ」
「ジョークですよ、ジョーク。それで、こよちゃんの反応に違和感はなかったと?」
「……ったく。からかわれたほどに普通の反応だったから、
「なるほど。正直私もこよちゃんの可能性は限りなく低いと思っていました。幼馴染のこよちゃんがわざわざラブレターを出す意味が見当たりませんからね。……
「それは信じていい。あと会話に付き合わされたけど、いつもどおり脈絡のないものだった」
「具体的に教えてください」
「えーと、午前のスポーツテストについてから始まって、学校終わりの俺の過ごし方や部活の愚痴に変わり、最終的にはなぜか休日に服選びしてあげるって誘われたな」
「めちゃめちゃ怪しいじゃないですかっ。鈍感にも程がありますよ!」
「俺も最初は耳を疑ったけど、
「でもさすがに休日の服選びは恋人レベルだと思いますけど……」
「
「そうですか……」
「だから俺が思うに、一つ目の身近な人って推理は外れているかもしれないな。でもだからと言ってもう一つのパターンかと問われれば最初に話した理由でなさそう。お手上げ状態だから
「そこまで考えたくせに分からないってシラを切ろうとしてたんですか…………私はエスパーじゃないんですよ。今度からは包み隠さず全て丸っきりと話してくださいっ」
「俺のこの考えが絶対に正しいとは限らないから、思考の妨げになりたくなかったんだよ」
「それでもです。その推理過程が思わぬ発想に繋がるかもしれませんからね。現に、私の推理では
「納得してないじゃないか。そっちは消極的すぎるって答えが出たはずだ」
「可能性が一パーセントでもあれば調べる。これ名探偵になる大事な秘訣!」
「エセが偉そうに。大体調べるって言ったって差出人と俺の関係が疎遠だった場合、対象者はほぼ学校の全員になるんだぞ。特定のしようがなくないか」
「もちろん方法は考えてあります。きっと怪しい人をロックオンできることでしょう」
「どんな方法だ?」
「それは明日のお楽しみですっ」
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