推理

 放課後、ディテクティ部の部室。


「──それでは、これから恋の謎『匿名のラブレター』を推理していきたいと思いますっ!」


 人体模型だけでは飽き足らず、どこからか持ってきたホワイトボードの前に立ち、マーカーペンを掲げて宣言する神子上みこがみ。昨日と変わらず探偵服に身を包み、ノリノリだ。鬱陶しい。


 だがマイペース神子上みこがみに他人の気持ちは気遣えないようで、椅子に座った俺に向けて。


「ほらほら、そんなにやつれた顔してないで真昼まひるくんも元気出してこー!」

「逆になんでそんなに元気なんだよ……」

「もちろん推理だからです!」

「答えになってないけど…………まぁいいや。俺の調子に構わず続けてくれ」


 一々神子上みこがみの様子に突っ込んでたらキリがない。


 神子上みこがみは「じゃあせめて脳の回復にこれどうぞ!」とスクールバッグの中を漁って取り出した袋タイプのラムネ菓子を手渡してくる。いつもこんなの常備しているのか。用意周到だな。


「では。分かりやすいように順を追って推理していきましょうか。まず匿名のラブレターは靴箱に入っていて登校時に真昼まひるくんが見つけた……」


 喋りながらホワイトボードに記入していく。意外にもバランスの整った綺麗な字だ。


「その事から、この学校の生徒である可能性が高いでしょう。教師であれば禁断の恋となって下手すれば職に影響してしまう危ない行為ですし、外部の人であればわざわざ学校の下駄箱に入れずに家のポストにでも投函すればいいですからね」


 俺はラムネを舌の上で転がしながら頷く。誰にでもできる単純な考えだ。


「ちなみに、ラブレターが靴箱に入れられた推定時刻は分かっているんですか?」

「ああ。俺が月曜日に靴箱から出たのが午後四時三十分で、校門や昇降口が閉まる完全下校時間が午後七時だから、その間は二時間と三十分。そしてラブレターを発見した火曜日に靴箱に入ったのが午前八時で、開門が七時からだから、その間は一時間。その二つを足せば、推定時刻は三時間と三十分の間ってことになる。差出人が夜間に忍び込むような人間でなければな」

「そこは学校のセキュリティを信頼するとしても、やっぱりその情報で差出人を絞るのは無理そうですね」


 軽い口調からして期待はしていなかったようだ。そうであれば昨日のうちに訊いているか。


「やはりこのラブレターが謎たらしめている所以から紐解きましょう」


 ボードに『Q:なぜ匿名にしたのか?』と書く。


「素性を隠して相手からの告白を待つという行為からは、二つの感情が窺えます。

 一つは、OKを貰えるという確信。この場合、それ相応の自信や理由があるわけですから真昼まひるくんと交流がある身近な人の可能性が高い。

 もう一つは、真昼まひるくんの恋心を知りたいという探り。ラブレターを貰った真昼まひるくんがどのように行動するのか、好きな相手はいるのかいないのか、そこに自分は含まれているのかを確かめたい。身近な人であればそこまでせずとも大体分かりそうなものですから、こちらは疎遠な人っぽいですね」

「前者は納得だけど、後者は消極的すぎないか。もしそれで俺が誰かに告白して付き合うことになれば本末転倒だ」

「──と、もちろん私も考えて一つ目の推理に焦点を当てましたよ。入学してから真昼まひるくんがよく会話をしていた生徒を調べ上げて……」

「待て。ちゃんと約束は守ってるんだろうな?」

「心配しなくても聞き込みはしてませんよ。調べ上げてというのは、私の類稀なる記憶を遡ったという意味です」

「ならいい」

「その結果、名前が挙がったのは────この二人だぁぁぁ!」


 神子上みこがみは勢いよくペンを走らせたあと、ボードにバンッと手を打ちつける。


 書かれていたのは(案の定というべきか)『逢乃あいのこよみ』と『早咲はやさき利音りね』だった。


真昼まひるくんは極端に人付き合いが悪いですから、この二人ぐらいしか会話をしていた覚えがありませんでした。…………見事に二人とも人気者で……なんか権力者に擦り寄っているみたいであれですね……」

「引くな。逢乃あいのは幼馴染で、早咲はやさきは図書委員で同じ当番なんだからそうなるのは自然だろ。それにそれを言うなら一番俺が会話をしているのは神子上みこがみだ」

「え、そうなんですか。つまり真昼まひるくんと一番仲良しは私……なんか照れちゃいますね」

「拡大解釈がすぎる。多く喋ってるだけで他意はないし、俺はほとんど話しかけられてる側だ」

「素直に認めればいいのに…………まぁこの私が謎に取り掛かった時点で真昼まひるくんの入部は確定ですし、追々仲良しであることは証明されていくでしょう」

「そうなるといいけどな」

「何にしても私はラブレターの差出人じゃないですから、やっぱりこよちゃんか早咲はやさきさんのどちらか。真昼まひるくん的にはどっちのほうが可能性が高いと思いますか?」

「さぁな」

「実際に接しているんですから、何か思うことの一つや二つあるでしょう?」

「分からないから頼ってる」


 そう言うと、神子上みこがみは目を伏せてあからさまに残念がる。


「昔は自分からみんなの悩みを解決していくほど積極的だったのに……」

「昔は昔、今は今だ。前にも説明したけど、記憶にないんだからしょうがないだろ」


 とぼけているわけでも単なる物忘れでもなく、本当に記憶がないのだ。


 人から聞いた話では、俺は小学五年生の夏に水難事故に遭ったそうだ。


 その時に傍にいた逢乃あいのの証言では、とある古い橋の上から俺が眼下の河川を覗き込もうと欄干に身を乗り出したところ、欄干が壊れてそのまま一緒に川の中に落ちてしまい、カナヅチなことも災いして溺れたとのこと。その日は近くで夏祭りが開催されていたこともあり、逢乃あいのがすぐさま大人たちに知らせて救出劇が始まった。


 その迅速な対応のおかげで一命は取り留めたものの、無傷で済むはずもなく、俺は逆行性健忘を患った。過去の出来事を思い出せなくなる厄介な病気だ。


 そして俺の症状は深刻なものらしい。なにせ病院のベッドで目覚めた時、周りで泣いて嬉しがっていたのが家族であると分からなかったことはおろか、自分自身の名前すら言えなかったのだから。


 一般常識(一日は二十四時間で回っている、犯罪を犯してはいけない、りんごの見た目は赤いなど)が無事だったことと、近しい人たちが支えてくれたおかげで今のように普通に生活できるようになったが、いつどこで何があったかなど過去の記憶は今も失ったままだ。──ただ一つの記憶を除いては。


「俺たちが小学生の頃に一緒に遊んでたことは沢山の人の証言や過去の映像記録から確かだと分かったけど、何も思い出せない今の俺にとっては人から聞いた空想でしかない」


 逢乃あいの曰く、俺と神子上みこがみは自分たちのことを探偵&助手と称して学校のみんなの悩みを解決する正義のヒーローを気取っていたそうだ。発案は俺で、その当時によく読んでいた探偵モノの小説に影響されてのことらしい。


 俺が事故に遭う前の小学四年生の冬、神子上みこがみが家庭の都合で海外に移り住んで以降も一人で活動するほどにはハマっていたみたいだ。


「その頃の俺が創作物も顔負けの名探偵だったか、困った人を放っておけない善人だったかは知らないけど、今はこの通り、頭も良くなければ特技もないどこにでもいる一高校生。昔の俺はもういないから諦めてくれ」

「確かにあれだけ活発だった性格が五年の間にここまで根暗さんになっちゃっていたのは驚きましたね。再会した時だって私がハグしたら顔を真っ赤に染めて戸惑ってましたし」

「誰だって出合い頭に抱きつかれたら照れるだろ! 海外の感覚と一緒にしないでほしい」

「いえいえ、昔の真昼まひるくんだったら抱きしめ返して『おかえり、白愛はくあ』って言いながら頭を撫で撫でしてくれるぐらいの度胸はありましたよ」

「昔の俺ってどんだけキザ野郎なんだよ……絶対に話を盛ってるだろ。それにそれを言うなら神子上みこがみだって昔と大分性格が変わってるじゃないか」


 再会する前に神子上みこがみのことを知っておこうと主に映像記録を確認したら、いつも俺の背にくっついて回っている姿ばかりが目立ち、人見知りの大人しい子という印象だった。……それがまさかこんなにもお転婆に育っているとは思わない。


「私のは変化ではなく成長です。体とともに心もグレードアップしたのです」

「まるで人をグレードダウンしたみたいに言うな」

「そう卑屈にならないでください。考えようによっては今のほうが探偵の雰囲気っぽくて私は好きですよ」

「どっちだよ……さっき残念がってたくせに」

「それは過去の記憶がないことに対してではなくて、面倒くさがって真面目に推理してくれないことに対してです」

「面倒じゃなくて、本当に何も思い浮かばないんだ」

「しらばっくれちゃって。……まぁいいでしょう、その秘密主義が剥がれるのもきっと時間の問題でしょうからね! ……あ、でも探偵役は私のものですよ! 真昼まひるくんは助手です!」

「どっちもいらないから」


 やっぱりこの程度の言葉では勧誘を断れないか。神子上みこがみをここまで熱心にさせる昔の自分が不思議だ。


 何にせよ、この話題は水掛け論にしかならない。まだ進展のない推理に付き合ったほうがマシか。


「話を戻す。今日二人と会って話してみたけど、特に変わった様子はなかった。以上」

「ほんとですかぁ? 目立ちたくない真昼まひるくんが人気者の二人と話せたってことは、誰の目もない二人きりの時間があったってことですよね。早咲はやさきさんは昼休みの図書当番って分かるんですけど、こよちゃんとはどこで会って喋ったんですか?」

「通学路でたまたま一緒になったんだ」

「たまたま? 朝早く登校する優等生のこよちゃんと、遅く登校する怠惰な真昼まひるくんが一緒になることってあります? 何か私に隠してるんじゃないんですか?」


 クラスが違うのに目敏いな。


 できれば面倒を避けるために黙っておきたかったが、後々発覚してやいやい不満を言われるよりは今明かしておいたほうが利口か。


「……はぁ。ごめん、嘘をついた。本当は逢乃あいのが俺のことを待ってたんだ。どうも久しぶりにお喋りしたかったらしい」

「どうしてそれを隠す必要があったんです?」

「それが会話の中で昨日俺の下校が遅いことを突かれてな。言い訳もできずにラブレターの件を話してしまったんだ。もちろん逢乃あいのの口の堅さを信頼してるから話したんだけど、自分から第三者に知られるなって言った手前バツが悪くて隠した。ごめん」

「……嘘をついたのはいただけませんが、相手が頭脳明晰のこよちゃんじゃ私でも隠し通せる自信がないので今回は不問としてあげましょう。推理の妨げとなるので次からは正直な心を所望します」

「分かったよ」

「よし。真昼まひるくんの好きな人は誰ですか?」

「早速言質を活用するな。それは推理に関係ないってこの前も言っただろ」

「ジョークですよ、ジョーク。それで、こよちゃんの反応に違和感はなかったと?」

「……ったく。からかわれたほどに普通の反応だったから、逢乃あいのは差出人じゃないと思う」

「なるほど。正直私もこよちゃんの可能性は限りなく低いと思っていました。幼馴染のこよちゃんがわざわざラブレターを出す意味が見当たりませんからね。……早咲はやさきさんには喋ってないですよね?」

「それは信じていい。あと会話に付き合わされたけど、いつもどおり脈絡のないものだった」

「具体的に教えてください」

「えーと、午前のスポーツテストについてから始まって、学校終わりの俺の過ごし方や部活の愚痴に変わり、最終的にはなぜか休日に服選びしてあげるって誘われたな」

「めちゃめちゃ怪しいじゃないですかっ。鈍感にも程がありますよ!」

「俺も最初は耳を疑ったけど、早咲はやさきは『クラスメイトはみんな友達!』って素で言うほど性格がフレンドリーだからな。その場の雰囲気で言ったとしても不思議じゃない」

「でもさすがに休日の服選びは恋人レベルだと思いますけど……」

神子上みこがみは俺たちとクラスが違うからピンとこないかもしれないけど、男女関係なくいつも誰かとお喋りしてるほど早咲はやさきは気さくだし人付き合いに抵抗がない。俺を誘った本心はどうであれ、そんな人がラブレターで告白してくるとは思えない。しかも匿名なら尚更」

「そうですか……」

「だから俺が思うに、一つ目の身近な人って推理は外れているかもしれないな。でもだからと言ってもう一つのパターンかと問われれば最初に話した理由でなさそう。お手上げ状態だから神子上みこがみに頼り切ろうって決めたわけだ」


 神子上みこがみは憮然とした表情をする。


「そこまで考えたくせに分からないってシラを切ろうとしてたんですか…………私はエスパーじゃないんですよ。今度からは包み隠さず全て丸っきりと話してくださいっ」

「俺のこの考えが絶対に正しいとは限らないから、思考の妨げになりたくなかったんだよ」

「それでもです。その推理過程が思わぬ発想に繋がるかもしれませんからね。現に、私の推理では早咲はやさきさんが本線でしたけど、真昼まひるくんの推理に納得させられてやっぱりここはもう一つの可能性である真昼まひるくんの恋心が知りたい線を追うべきだと考えが変わりましたから」

「納得してないじゃないか。そっちは消極的すぎるって答えが出たはずだ」

「可能性が一パーセントでもあれば調べる。これ名探偵になる大事な秘訣!」

「エセが偉そうに。大体調べるって言ったって差出人と俺の関係が疎遠だった場合、対象者はほぼ学校の全員になるんだぞ。特定のしようがなくないか」

「もちろん方法は考えてあります。きっと怪しい人をロックオンできることでしょう」

「どんな方法だ?」

「それは明日のお楽しみですっ」


 神子上みこがみは得意げな顔でそう言うと、俺の手から菓子の袋を奪って一つラムネを口に入れた。

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