小悪魔な幼馴染
翌日、五月十一日の木曜日。
晴れやかな空の下、だだっ広い田園に囲まれた田舎道を歩いて登校する。
この時期の田んぼには整然と田植えされた稲とともに水が張られており、日光が反射してキラキラと輝いている様は少々眩しい。
できるだけ水面を見ないよう進んでいると、先の光景に誰かが佇んでいるのが見えた。
田んぼの輝きに負けじと目を凝らしたら、それが俺と同じ高校の制服を着ている女子生徒だと分かり、歩みを止める。
──声をかけられたら面倒だな。
俺以外にこの遠回りの道を使う学生がいるとは思わなかった。
ジッと立ち止まっていることから何かしら先に進めない理由があるのは明白だが、もしもそれが困り事だった場合、側を通れば声を掛けられる可能性大だ。
助けること自体に問題はないが、それで少しでも仲が深まったら困るし、(限りなく薄い展開だが)この道を利用していることが知られて一緒に登校しようとなるのは避けたい。
正直自分でも誇大妄想が過ぎると思っているが、用心に越したことはない。ここは遠回りの遠回りになってでも別の道から行くべきだ。
ここからだと一旦引き返す必要があるか、と踵を返した時。
「──おーいっ、
よく通る声が背後から聞こえてきて、俺は振り返った。普通であれば聞こえない振りをして去るところだが、その声はとても聞き覚えがあったからだ。
通常どおりの進路に戻して近づくと、女子生徒──
「おはよー、
「おはよう。
「あー、だから引き返そうとしてたんだね。忘れ物したのかなって思ったよ」
「あんなに距離があったのに俺だってよく分かったな」
「同じ高校の制服さえ見えればいいから簡単だよ。こんな遅い時間にこんな遠回りの道を登校する物好きさんは
「俺の思考をよくお分かりで……」
「そりゃあ小さい頃から一緒にいるんだから、みこちゃんみたいな探偵じゃなくとも丸分かりですよー」
冗談っぽく親指と人差し指で作った輪っかを右目に当てて笑う。
彼女は
肩まで伸ばしたミディアムボブの黒髪は高校からのイメチェンで、(前のストレートロングも良かったけど)穏やかな気質にとてもよく似合っており、どこかあどけなさが残る顔つきは幼馴染の目から見ても可愛いと思う。
その容姿と性格が相まり、
加えて、新入生代表挨拶に選ばれるほど頭脳明晰で、学級委員長を自ら引き受けるほど優等生。こんなハイスペックな人と幼馴染なだけでも信じられないのに、小、中、高と同じ学校に進めているのが奇跡だ。
「…………」
「ん? 急に黙ってどうしたの、何か考えごと?」
「……いや、
「もちろん
「それだけのためにずっとここで待ってたのか?」
「健気でしょ」
「前もって言ってくれれば時間を合わせたのに」
「ほんとかなー? じゃあ明日から一緒に行きたいから時間を合わせよ」
「でも俺、わざと遅く登校してるから待たせることになるぞ」
「いいよ。私、待つの得意だし」
「……毎朝俺に合わせてギリギリの登校になったら不良生徒って思われるかもしれないぞ」
「だとしたら成績や他の時の素行で挽回すればいいだけだよ」
「…………ほら、委員長って何かと忙しそうだから朝の貴重な時間を俺のために費やしてもらうのは悪いし」
「じゃあ忙しい日は連絡するから、その日以外は一緒に登校しようね」
「………………」
「ほらほら〜、やっぱり何かと理由をつけて断ろうとする。不意打ち作戦が正しかったね」
全てをお見通しだと言わんばかりにイタズラな笑みを向けてくる。やっぱり賢い
「わざわざ待ってまで俺と登校するメリットはないだろ。面白い話ができるわけでもないし」
「面白い面白くないは関係なく、ただ単にお喋りしたかったの。だって学校じゃ話しかけてくれないどころか、話しかけたら避けようとするでしょ」
「
「丸分かったうえで言ってるんだよ。このまま誰とも接しない姿勢を取り続けたら、何も記憶に残らない悲しい高校生活になっちゃうよ」
その助言が事実であることも、俺を想いやる気持ちから出たものであることも分かっている。
しかし、俺の気持ちは少しも揺るがない。
脳裏にフラッシュバックするのは、みんなから向けられる失望の顔。
またあの時のトラウマを繰り返すぐらいなら悲しい孤独な生活を送ったほうが全然マシだ。俺には今いる親しい人たちがいればそれだけで十分。新しい友達なんていらない。
「
「それは本心かな?」
「ああ。そしてこの先も変わることはない」
「……なるほど。つまり
「どう解釈したらそうなるんだよ……」
「だって
「何をしても離れる気がないのが分かってるから諦めてるだけだよ」
「また心にもないこと言って。中学の進路調査の時に、私が行く高校を訊いてきたのはどこの誰でしょう?」
「あれは意図あってのことじゃなくて、自然な会話の中で話題に挙がったから訊いただけ」
「実際にこうして同じ高校に通ってるのも偶然の産物だと?」
「ああ。これが県外とかにある高校ならまだしも地元なんだから被っても不思議じゃない」
「ふーん。じゃあ私が『他の人』の枠組みに入っても構わないの?」
「…………べつに」
「あれあれ、今返答に間があったね。やっぱり図星かな〜。ん〜?」
したり顔で俺のことをじぃーっとしつこく見てくる。
これは完全に小悪魔スイッチが入ったな……。
普段は品行方正な
秀才に絡まれては一方的に弄ばれる未来しかないので、ここは早急に話題を打ち切ろう。
俺は歩みを再開させた。
「変な邪推してないで、遅刻するからそろそろ学校に行くぞ」
「随分と分かりやすい話の逸らし方だね。……まぁ間違ってないし、ここは乗ってあげましょう」
クスッと笑ってから俺のあとに続き、肩を並べて歩く。
歩き始めてすぐに
「あれは昨日の午後五時過ぎぐらいだったかな。校門を出ていく
「ああ。担任の先生にちょっとした用事があったんだ」
「残念でした。
「……なんて間の悪い」
「まぁ嘘だけど」
「嘘かよっ。また息をするように吐いて……」
「それはお互い様です。嘘をつくぐらい私には言えないやましい事なの?」
その疑惑の目と看破された状況に根負けして、俺は嘆息した。
「はぐらかしたのはごめん。本当はある謎の解決に当たってたんだ」
「謎? どんな?」
「二日前の出来事で、いつもどおりに登校したら俺の下駄箱に差出人不明のラブレターが入ってたんだ」
「差出人不明のラブレター…………それはしっかりと
「ああ。文面はシンプルで、『
「なるほど、確かに謎だね」
「……
「ないね。あの孤独主義の
少しも気にしていない様に俺の心は思い悩んだが、その想いが顔から出ないように努めた。
「相手が誰かも分からないのに春も何もないって」
「でも解決に当たってるってことは、イタズラの線は追ってないわけでしょ」
「ぼっち人間の俺にイタズラして得をする人なんていないからな。でも同時に、俺のことを好きになる人もいないと思ってるから頭を悩ませてるんだ」
「私的にはどっちもあり得ることだと思うけどなぁ。常に冷静沈着な
「隙あらばからかうな」
「べつにからかってないんだけどなぁ。それにこれは助言だよ。
「そうか? 自分的には客観的な視点に立って考えた意見だと思うんだけど」
「客体の私が異を唱えてる時点で、その視点に立ててないよ」
「
「つまり私のことを特別視してるって認めるんだね?」
にんまりとしてくる。……これを狙ってやっているのだったら敵わないな。
「話を蒸し返さないでくれ。幼馴染だからって意味で他意はない」
「その幼馴染の言葉だから信じる価値があるんだよ。……まぁ、みこちゃんが協力してるなら偏った見方になっても大丈夫そうだけどね」
「
「不可解な物事が現れて、みんなが部活もしくは帰宅してて情報集めのしようがない放課後に居残ってる時点で、向かう先はみこちゃんのディテクティ部しかないよ」
「その変な名称を知ってるやつがいたんだな……」
「そう? 結構みんなの間で浸透してると思ってたけど。『不可思議! 奇っ怪! 珍妙! そんな謎があれば、ぜひディテクティ部へ!』ってデカデカのポスターが昇降口の掲示板に張ってあるし」
普段素通りするから知らなかったが、そんなものまで作っていたのか。それで依頼数ゼロってよく心が折れないな。
「みこちゃん、すごく喜んでたんじゃない?」
「ああ。謎に飢えてたらしいからな」
「そっちもあるけど、
「こっちはいい加減に止めてほしいんだけどな」
「なのに依頼したんだ。もしかして実はみこちゃんの熱烈な口説きに心が揺れ動いてたり?」
「断じてそれはない。むしろ謎に当たるこの数日は、
「へー。じゃあ考えようによっては(立場は入れ替わってるけど)探偵と助手の復活なわけだ」
「……俺は依頼者で助手じゃない。それに──」
俺は辟易しながら言う。
「小学生の頃の話だし、もう覚えてない」
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