黒剣の軌跡 ~帝国十三騎を斬った英雄は、王国を救うのか滅ぼすのか~
@u7046
第1章 「戦の英雄と辺境への左遷」
第1話 「終戦の凱旋」
凱旋の鐘が王都の空を揺らしていた。戦の終結を告げるその音は朝から絶え間なく続き、石畳を踏みしめる群衆の胸を打ち、広場や通りの隅々にまで響き渡っていた。家々の窓には布が張られ、勝利を祝う王国の紋章が翻り、街の人々は声を枯らすほどの歓声を上げて英雄の姿を待ち構えていた。露店では肉を焼く匂いと蜜菓子の甘い香りが混じり合い、子どもたちは木剣を手に取り、兵士の真似をして声を張り上げている。老女は目に涙を浮かべ、若い女たちは花を編んで投げ入れる準備をし、男たちは酒を片手に肩を組んで騎士団を称える歌を口ずさんでいた。王都全体が一つの祭りのような熱に包まれ、まるで戦が夢であったかのように、街路の喧噪は明るい。だが、その石畳にはまだ硝煙の匂いがしみ込み、砦から運ばれてきた負傷兵の呻きが裏通りから漏れ聞こえ、華やかさの下に重い現実が残っていた。
その喧噪の中心を、第一騎士団と第二騎士団が堂々と進んでいた。陽光を受けて輝く甲冑、規律正しく掲げられた槍、鎧に響く足並みの音。先頭には王国の象徴たる精鋭が並び、巨大な盾を背に歩む男の姿にひときわ歓声が高まる。第一騎士団長、“鋼壁”レオニード・フォン=グラハム――不落の守りで知られる王都防衛の要だ。銀髪をなびかせて進む女剣士の姿にも指差す声が上がる。“雷閃”セリーヌ・ユルゲン――稲妻の一閃で知られる攻撃の切っ先である。
その列の中に、漆黒の髪と瞳を持つ青年がいた。アルヴァン・アルマディウス。第二騎士団副団長、“黒剣”の異名を持つ剣士。帝国の精鋭十三騎の半数を討ち果たし、最後の撤退戦で殿を務め、味方の退路を死守した戦功は民の間で英雄譚となっていた。だが彼の表情は硬く、群衆の歓声に応じて笑みを返すこともなかった。
「アルヴァン様だ!」――群衆が叫ぶ。「あの黒髪の騎士こそ、帝国を退けた英雄だ!」――花びらが舞い、香が焚かれ、子どもたちが彼の名を連呼する。だがアルヴァンはその声を聞き流すように視線を正面に据え、内心で深く呟いていた。(この声は誰のためにある。血を流して倒れた仲間の名を呼ぶ者はいないのか)凱旋の空気は甘い。だがその甘さは、亡骸を覆い隠すための幕のようにも思えた。彼は馬上で剣の柄に手を置き、ただ冷ややかに群衆を見下ろすだけだった。
アルのすぐ隣には、第一騎士団副団長にして恋人であるアリシア・イシュタリアが並んでいた。金の髪に青い瞳、陽光の中で輝くその姿は王都の民にとって希望の象徴であり、**“光刃”**の二つ名で知られる彼女の存在は人々を熱狂させた。だが彼女の眼差しは民衆ではなく、隣にいる彼を向いていた。アルの硬い横顔を見て、彼女はわずかに唇を結び、心の奥で囁いた。(アル……。あなたは自分を誇らない。でも、誰よりも誇られるべき人なのに)民衆に微笑みを返す一方で、彼女の胸の内には恋人への痛ましい思いが渦巻いていた。
行列の後方には、王のもとに集う七つの光が揃っていた。王国七騎士――第一席“鋼壁”レオニード・フォン=グラハム、第二席“戦略”フィリクス・ヴァン=エルド、第三席“黒剣”アルヴァン・アルマディウス、第四席“光刃”アリシア・イシュタリア、第五席“雷閃”セリーヌ・ユルゲン、第六席“蒼雷”カイル・エルディナ、第七席“夜檄(やげき)”ヴィクトル・ダーレン。いずれも名実ともに王国の剣であり盾である。さらに、その列の脇には白髭の老騎士が静かに歩いていた。第二騎士団長ガイウス・ローデリヒ――かつて七騎士に名を連ね、今は若き騎士たちを背で支える重鎮である。
やがて行列は王城前の広場へ至る。白大理石の階段の上には王と重臣たちが立ち、凱旋を見守っていた。鼓笛が鳴り響き、兵たちは一斉に剣を掲げ、その鋼が陽光を受けて広場全体に反射した。群衆の歓声は最高潮に達し、「ノルディア王国万歳!」「七騎士万歳!」の声が幾重にも重なった。だがアルはその声を遠いものとして受け止め、(俺たちが守ったのはこの声なのか、それとも、この声の後ろに消えた者たちなのか)と冷たく考えていた。
王城の扉は高くそびえ、重厚な金具が光を反射していた。騎士団の列はゆっくりとその中へ進み、磨き込まれた石の床を踏みしめて広間へと至った。天井は高く、壁には王国の歴史を描いた大きな壁画が連なり、戦勝を讃える壮麗な装飾が施されている。しかし、その美しさの裏で漂うのは蝋燭の溶ける甘い匂いと、貴族たちが纏う香の重さだった。戦場の泥と血の臭気を浴び続けてきた兵士たちにとって、それは異質で、どこか吐き気を催すほどの人工的な空気であった。アルヴァンは広間の中央に立ち、玉座を見上げた。深紅の衣を纏う王は静かに彼らを見下ろし、左右には宰相と重臣たちが列を成している。彼らの顔には確かに称賛の笑みが浮かんでいるが、その目の奥には警戒と距離が混じっていた。
宰相が一歩進み出て朗々と声を響かせた。「第一、第二騎士団、その働きはまさに王国の誉れ。帝国を退け、停戦を勝ち取ったこと、ここに深く感謝を捧げる」言葉だけを取れば栄誉に満ちている。しかし、アルヴァンの耳にはその声音がどこか冷たく響いた。称賛の言葉を投げながら、その実、彼らの眼差しは計算を含み、過度に膨れ上がった力をどう削ぐかを量る目であったからだ。
「殊に、黒剣のアルヴァン・アルマディウス。その剣は幾度も味方を救い、帝国の精鋭を討ち果たした。光刃のアリシア・イシュタリア、その采配は千の兵を導いた。二人の功績は後世に残るであろう」広間に拍手が広がる。だが、王自らの言葉はまだない。王の沈黙は長く、その沈黙の間に、貴族たちの間では小さな囁きが交わされていた。アルヴァンはその囁きを拾うことはしなかったが、鋭い視線は確かに肌を刺していた。
七騎士の一人、“鋼壁”のレオニードは黙したまま巨体を揺るがせず立ち、ただ厳しい眼光で玉座を見据えていた。その背中は無言の抗議のようでもあり、王都の重臣たちには異様に映ったに違いない。“雷閃”のセリーヌは唇を噛み、何かを言いたげに視線を宰相へ突き刺していたが、場の空気を乱さぬよう必死に抑えていた。“戦略”のフィリクスは冷ややかな眼差しを崩さず、ただ状況を計算するように黙して見ていた。彼ら一人一人の立ち姿が、称賛の場でありながら安堵ではなく緊張を孕んでいることを物語っていた。
アリシアは民衆の前では崩さなかった笑みをすでに消し、冷静な顔つきで広間を見渡していた。彼女は恋人の隣に立ち、その手が微かに震えるのを隠すように剣の柄に添えていた。彼女は誰よりも分かっていた。この場の華やぎの裏で、彼らはすでに“疎まれ始めている”。英雄として讃えられると同時に、力を持ちすぎた存在は警戒され、やがて排除の対象となる。それがこの国の貴族たちのやり方だと。
アルヴァンは視線を動かさず、ただ内心で息を吐いた。(やはりそうか。戦場で血を流す者は、王都では恐れの象徴になるだけだ。ここに剣は必要とされていない)その思いは冷ややかでありながらも、わずかな諦念を帯びていた。
やがて王が口を開いた。声は低く、威厳に満ちて広間全体に響いた。「……よくぞ戦い抜いた。我が騎士たちよ。民は汝らを讃え、王国はその功を忘れぬ」その言葉には確かに称賛が含まれていた。だが、その後に続く言葉はなかった。褒賞の具体や、今後の処遇に触れることもなく、ただ「忘れぬ」という抽象的な一文で終わったのだ。
広間に漂う微妙な沈黙。貴族たちは満足げに頷き、兵たちは戸惑いを隠しきれないまま剣を下げた。セリーヌは視線を落とし、歯を食いしばり、レオニードは拳を握り締めた。アリシアは瞳を揺らし、隣の恋人を見た。アルヴァンは表情を変えず、ただ一歩下がって頭を垂れた。
その瞬間、アリシアの胸に燃えるような痛みが走った。彼がどれほどの犠牲を払ったか、誰よりも知る自分にとって、この冷遇は許しがたい。だが彼女は口を開けなかった。彼が沈黙を選んだのなら、自分もまた剣を抜く時ではないと理解したからだ。
宰相が式の終わりを告げる声が響き、騎士たちは広間を後にした。重い扉が閉じられ、蝋燭の灯りが遠ざかっていく。外に出た瞬間、王都の空は再び歓声で満ち、民が彼らを称えていた。その明暗の落差はあまりに大きく、アリシアは胸の奥で小さく呟いた。(アル……この国はあなたを恐れている。けれど、私は――決して見捨てたりしない)彼女は横に並ぶ彼の手をそっと握った。人々の目には映らぬ小さな仕草。しかしそのぬくもりは、冷ややかな宮廷の空気を払い、戦場を共にしたあの日々を確かに繋ぎ止めていた。
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