おおかみ様と有栖さん
とある片田舎の山の中腹に聳える、一軒の日本屋敷。畑の作物を夏色に染めるそこに、一台のトラックがやってきた。
「宅配でーす。ナマモノでーす」
届けられたのは、葡萄一トン。有栖の保護者の家平が懇意にしている葡萄農家から贈られきた物らしい。取り敢えずスペースだけはある中庭において貰ったのはいいものの、果物は特に足が早い。段ボールの中に雑多に入れられたそれらはところどころ傷が入っているし、早々に食べてしまったほうがいいだろう。大方、売り物にならない廃棄品を好意で送ってくれたのだろう。食べなければ広大な畑の肥料にでもして欲しいと添付の手紙に書いてあった。
「一房500グラムとして、1トンだから…二千房か……」
山積みにされた段ボール箱たちに、有栖は長い白髪を高く結った。彼女は今、ジャージを着ている。普段使いではないものなので、いくら汚しても構わない。そして、今日は家平が休日出勤しているため、ここにいるのは有栖一人。
「一人で食べるのも味気ないからね」
保護者の分をいくつか取り分け、残りは倉庫にあった食品シート(食品衛生法適用のブルーシート。丈夫で大きい)の上に積んでいく。山の中、雲や風が出ているのもあり、今日は大分心地が良く、作業も捗った。
準備を終えた有栖は、これまた倉庫にあった木材で簡易的な鳥居を作る。その下に犬の焼き物を置いて、立ち上がる。
二礼。胸の前で手を合わせ、右手を一関節分下にずらす。両手を肩幅に開き、二拍手。声かけは、なんでもいいのだと家平が言っていた。大事なのは、礼儀や感謝を忘れないこと。
「こんにちは、どうぞこちらにお越しください」
リン、と鈴の音が鳴り、周囲の空気が一変する。湿り気を帯びた地面がカラリと涼やかな気配に満たされる。鳥居の奥で小さな旋風が巻き起こり、有栖の前髪を持ち上げた。
この屋敷に来た時に家平から教えられた、「家で困った時に助っ人を呼ぶ方法」だ。一発で成功できたのは、助っ人が優しい者だからだろう。
リン、と再び鈴の音がした次の瞬間、現れたのは巨大な白狼だった。
前足から頭までの体高は五メートルほど、全長だともっと大きいだろう。端に紅を引いた巨大な口角を持ち上げた彼女は、同じく紅で彩った目尻を優しく下げ、有栖と目線が合うよう体を伏せた。
「こんにちは、人の子よ」
威厳のある声が響き渡る。
「何か入り要か?」
「こんにちは、おおかみ様。応じていただきありがとうございます。入り要は特にないのですが、保護者が懇意にしている方から葡萄を沢山貰ったので、一緒に食べませんか? 少し傷は入っていますが、美味しいことには変わりませんから」
「頂こう」
おおかみ様は中庭のあたり一面に広がる葡萄の山に、パタパタと尻尾を動かした。巨大な尻尾なので、揺れるだけで風が起きた。
ガツガツと葡萄を食らうおおかみ様の頭上で、有栖は葡萄を一粒摘む。小さい頃誕生日に食べたマスカットと違い、種も皮も酸味もあるけれど、この感覚が癖になる。ついつい夢中で頬張りながら、有栖はふと、おおかみ様に問いかけた。
「おおかみ様って、ここらの山の神様でしたよね。人間の私が乗っかってもいいんですか?」
「構わないよ。こうして人の子と触れ合うのも悪くない」
「優しいんですね」
「どうだかね」
葡萄を飲み込んだ彼女の口は、赤紫に染まっていた。
「人の子よ。君が見ている世界とは、球の一面に過ぎない。もっと多くの者たちと触れ合い、研鑽を積むといい。そうすれば、君が抱いている悩みすら、ちっぽけなものに思えてくる」
「私の悩み?」
そんなものあっただろうか。有栖はただ、食事をする時くらい誰かと一緒にいたいだけだ。その願いだって、最近は叶いつつある。
彼女の心情を知ってか知らずか、おおかみ様は目を細め、寝転がる。急に足場が倒れたことで、有栖はおおかみ様の毛並みの上をゴロゴロ転がり、彼女の前足の近くに到着した。おおかみ様は有栖の頬を鼻先で軽く小突くと、「しばし寝る」と言って瞼を下ろしてしまった。
見ると、巨大な食品シートは空になり、葡萄たちはすっかり平らげられていた。
暫しの間おおかみ様を無言で眺めていた有栖だったが、次第に眠くなってきたらしい。彼女は大きく欠伸をすると、ぽす、とおおかみ様の白銀の毛並みに沈み込んだ。
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