2. 今日もラブコメ展開は訪れない。

 高校一年、夏。


 窓の外にはセミの声、それからアニメの背景みたいに青い空。


 夏休みを数週間後に控えたクラスはもうすでに休日ムードである。今は昼休憩で、クラスの前方に男子連中が集まって話をしている。


 俺がその様子を遠くから眺めていると、そこに2人の女子が加わった。名前は確か、小岩リンセと平井キシマだ。


 しばらくすると陽キャラ男子・市谷マモルが大声で何かを言い、爆笑が起こる。


 一方、窓側に目を移すと中野ロトをリーダーとした女子グループが駄弁っていた。


 その対角線上、後ろの扉から教室内をのぞきこみキョロキョロしている少女は新橋エル。

 誰かに用があり、探している様子だ。


 すると優しい男でお馴染み、飯田テラスが新橋に「誰か探してるの?」と声をかけた。


 それから────

 それからも横須賀ミカゼは教室で起きていることを次々と反芻する。

 そう、教室後方・窓際の席で無気力に周囲を見渡すのが俺、横須賀ミカゼだ。



 さて。高校に入って気づいたことがある。

 それは、どうやら青春というのは選ばれた人たちのものらしいということである。


 プロスポーツと同じで、選手にのみコートでプレイすることが許されている。したがって、選手でない俺はその青春を目撃する観客として過ごすほかない。


 それが、選手になれなかった者なりの高校生活の楽しみ方である。


 そうやって観客をしている間に、ご覧の通りクラスメイトの性格や名前もバッチリ覚えてしまったが、俺が彼らと関わることはない。

 話すとして、せいぜいプリントを渡されたときとか、そんなものだ。


 ……もちろん俺も、最初から観客を志したわけではない。


 あれは入学式の日だった。


 中学では周囲に馴染めなかった俺だが、高校では人気者になって最高の青春を送ってやる、そう思い初日の自己紹介は1週間以上前から練らせてもらった。


 そうして迎えた当日。だんだんと俺の番が近づく。

 周囲のつまらない自己紹介を冷笑しつつ、俺はこう自己紹介してやった。


「横須賀ミカゼです! 出身はエウロパ(木星の衛星)で、好きな食べ物はムール貝のペスカトーレです。趣味はVtuberを見ることでーす!笑」


 エウロパという天体に関する教養を必要とする高度なギャグ。

 ペスカトーレという謎チョイスにより、聞く人に心の中で「なんでやねん」とツッコませる高度なお笑いテクニック。

 そして、さりげないオタクアピールで後の友人作りに繋げるのだ!


 完璧な自己紹介だろう、刮目せよ!


 結果は、爆笑の渦の爆笑の渦抜き・地獄の沈黙マシマシであった。つまりドン引きだった。


 自己紹介を終え着席した俺は、その場で選手を引退し観客に転身することに決めた。燃え尽きた。真っ白にな。


「冴えないボッチひねくれオタク陰キャ」。


 それが今の俺だ。

 ラブコメが実在するなら主人公のポテンシャルは間違いなくあると自負している。


 実在するならな。


 実際はラブコメ展開が論理的に実在し得ないので、俺は羽をもがれた天使も同様だ。


「どうしたんだい、いつも通り浮かない顔をして」


 そう言って俺の思考を横から邪魔してきたのは、神出鬼没で隣のクラス在籍の男──上中里ナシトである。


 俺と同じ観客側の人間で、かつ中学から同級生の腐れ縁だ。


 その特徴はなんと言っても日本人離れした透き通る薄灰色の長髪と、女子中学生みたいな小柄の体・顔。


 そして信じられないのが、こいつは正真正銘の男だということである。


 さて諸君、どう思う?


 コイツ、めちゃくちゃフィクションの登場人物っぽくないか?


 俺もそう思う。


 最初こいつに会ったとき、ラブコメによく出てくる「男の娘」枠に違いない、やっぱり俺はラブコメ主人公なんだ! と思ったのだが、中学3年間を通して何も起きねえでやんの。


 俺は上中里の顔をまじまじと見て、つぶやく。


「やはりラブコメ展開は実在しないのか……」

「またその話かい? 別に、中にはラブコメみたいな恋愛をする人もいるんじゃない?」


 上中里は呆れた様子で言う。


「いや、絶対あり得ない。あんなものは俺たちオタクが現実から目を逸らすための物語にしかすぎない。フィクションだ。俺は羽をもがれた天使も同様だ」

「そういう君が、最も現実から目を逸らしていると思うけどね。羽をもがれたルシファー君」

「なんだと」


 俺は不満さを隠さずに上中里の顔をにらむ。


「僕は中学の頃から君の論理的思考力を買っているんだ。『ラブコメ展開は実在しない』とは確かに君らしいユニークな問題提起だよ。でも君の能力を買っているからこそ、その理論がいかに適当で不完全か、僕にはわかる」


 上中里は肩をすくめながら、そう語る。


「そうかよ」

「だってそれ、単に君が色恋沙汰も何もないつまらない青春を過ごしているというだけのことじゃないか。結局ルシファー君は、つまらない自分の青春を正当化するために、『ラブコメ展開など誰にも・どこにも存在しない』ということにして、現実と向き合い自らを顧みる努力から目を逸らしているだけだ。考えてもみなよ。君がそうでなかっただけで、君以外の誰かがすでに『ラブコメ主人公』になっているのかもしれない」


 ……そこまで言わなくたっていいぺこじゃん。


 あと改行しろ。


「あのな、俺は現実に裏切られたんだよ! 高校入ったら黒髪ロングの毒舌ヒロインとかツンデレ美少女とかが在籍してる変な名前の部活に入って、その部室で放課後に駄弁ったり宇宙人探したりして、終いにゃ甘酸っぱいイチャラブが待ってると思ってたんだよ! あと普通にルシファー呼びは恥ずかしいからやめて!」


 俺は手指を上下にワキワキ動かしながら熱弁する。

 しかし上中里は呆れた様子でため息をつく。


「甚だしい逆恨みだ……」


 上中里は一呼吸おいて、人差し指を立てる。


「哲学者エマニュエル・カントは著書の中でこう語った。『神の存在から目を逸らすものが神に救われないのと同じように、目の前の現実から目を逸らすものが現実において救われることはない』ってね」


「……カントがそんなこと言うか?」


「嘘だよ。僕が今考えた。でも真理だよ」


 抜け抜けと、という表現がこれほど当てはまるやつはいない。上中里はこういう適当を平気で言う男である。


「それじゃあ僕は、生徒会の仕事があるから」


 そう上中里はウィンクをしながら手をふり、教室の外へと出ていった。


 ……かわいい。


 こいつが女子だったら話は変わっていたかもしれない。そう思った。

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