第10話

「ルーク、どうしたの。難しい顔をしているわよ。」

俺が黙っていると、リリアが心配そうに顔を覗き込んできた。

ルナも俺の雰囲気を察したのか、不安そうに姉の後ろに隠れる。


「……いや、何でもないさ。」

俺は無理に笑顔を作り、二人の頭を優しく撫でた。

この子たちに、心配をかけるわけにはいかない。

アルダー家のことなど、俺たちの暮らしには関係ないのだから。


「さあ、バルトロさんがパイをくれたぞ。」

「冷めないうちに、みんなで美味しく食べよう。」

俺は気持ちを切り替えるように、明るい声で言った。

テーブルに、まだ温かい肉のパイを並べていく。

サクサクの生地の中から、肉汁たっぷりの具が顔を覗かせた。


「わーい、お肉のパイだあ。」


「とっても、美味しそうね。」

二人の顔に、ぱっと笑顔が戻った。

それを見て、俺も少しだけ心が落ち着く。

そうだ、俺にはこの子たちの笑顔を守る役目がある。

過去のことなど、気にしている暇はないのだ。


俺たちは、バルトロさんの差し入れを夢中で食べた。

街のパン屋が作ったパイは、俺の料理とは違う美味しさがあった。


食事を終えた後も、俺の心には小さな棘が刺さったままだ。

アルダー伯爵家が、俺を探している。

その事実が、ずしりと重く心にのしかかってきた。


バルトロさんは、居場所は漏らさないと約束してくれた。

だが、あの父親や兄たちのことだから、きっと諦めないだろう。

いつか、この砦の存在が彼らの耳に入るかもしれない。


(もしそうなったら、一体どうするべきか。)

力ずくで、追い返すか。

それとも、二度と関われないように徹底的に叩きのめすか。

俺のスキルは物を作るだけでなく、戦うためにも使える。

この砦だって、その気になれば巨大な怪物に変えられるかもしれない。


いや、そんなことをしても何の意味もない。

俺が望んでいるのは、戦いではないのだ。

ただ、この子たちと穏やかに暮らしていきたいだけだ。


「……この場所を、もっと完璧なものにしないと。」

俺は、誰にも聞こえない声で呟いた。

誰にも見つけられず、誰にも邪魔されない絶対の聖域が必要だ。

そのためには、まだまだやるべきことがたくさんある。


俺は気分を変えるため、新しい家具の製作に取り掛かることにした。

今度は、俺たち自身の生活をもっと快適にするためのものだ。


「よし、お風呂を作ることにしよう。」

今まで俺たちは、川で体を拭くだけで済ませていた。

それも悪くはなかったが、やはり温かいお湯に浸かる幸せは格別だ。

日本人だった頃の記憶が、それを強く求めている。


俺は砦の裏手、川から水を汲みやすい場所に湯小屋を建てることにした。

スキルを発動させ、土台と壁と屋根をあっという間に作り上げる。

次に、お湯を溜める湯船だ。

これも、もちろん木で作っていく。

檜のような香りの良い木材で、巨大な桶を作り出した。

大人三人が入っても、まだ余裕があるくらいの大きさだ。


水が漏れないように、板と板の隙間は分子レベルで完全に密着させる。

そして最大の問題は、どうやって水を温めるかということだ。

火でお湯を沸かして運ぶのは、あまりにも大変すぎる。

俺は少し考えた末、前世の給湯器の仕組みを思い出した。

パイプに水を通し、そのパイプを直接熱してお湯を作るシステムだ。


俺は、火に強い木材で複雑な構造のボイラーを作り上げた。

川から水を引くためのポンプも、もちろん木でできている。

歯車とピストンを組み合わせた、手で動かす仕組みのポンプだ。

これを動かせば、川の水が自動でボイラーへ送られる。

ボイラーの下には、火を焚くための釜を取り付けた。

これで、いつでも好きな時にお湯が作れるはずだ。


「よし、これで完成したぞ。」

半日ほどで、森の中に立派な露天風呂付きの湯小屋が完成した。

リリアとルナは、興味津々で作業を見守っていたようだ。


「ルーク、これは一体なあに。」


「お風呂だよ、温かいお湯に入って体をきれいにする場所さ。」


「おふろ、初めて聞いたわ。」

二人は、きょとんとした顔をしている。

エルフの文化には、お湯に浸かるという習慣がないのかもしれない。


「まあ、実際に体験してみるのが一番だ。」

「早速、入ってみようじゃないか。」

俺はポンプを動かして湯船に水を張り、釜に火を入れた。

しばらくすると、湯船からふわりと湯気が立ち上り始める。


「わあ、なんだか温かいわ。」


「本当だ、すごいすごい。」

二人は、初めて見るお風呂に大はしゃぎだ。

俺は二人に体の洗い方を教え、一緒に湯船へと入った。


「「きゃあー。」」

温かいお湯の感触が、よほど気持ち良かったらしい。

二人はまるで魚のように、楽しそうに湯船の中を泳ぎ回っている。


木の香りと、湯気の匂いが心地よい。

見上げれば、満点の星空がすぐそこに広がっている。

時折聞こえてくる虫の声や、風の音がBGMだ。

これ以上ない、最高の贅沢な時間だった。


俺は湯船の縁に頭を乗せ、大きく息を吐き出した。

アルダー家のことなど、この心地よさの前ではどうでもよく思える。


「なあ、気持ちいいだろうか。」

俺がそう尋ねると、二人は満面の笑みで頷いた。


「うん、最高に気持ちいいわルーク。」


「毎日、おふろに入りたいな。」


「ははは、そうだな。これからは毎日入ろう。」

この笑顔を守れるのなら、俺はそれで満足だ。

俺の居場所は、間違いなくここにある。


風呂から上がった俺たちは、体の芯まで温かいまま新しい布団に潜り込んだ。

その夜は、三人ともぐっすりと深い眠りにつくことができた。


翌日からも、俺は家の周りの環境を整え続けた。

畑の横には、ニワトリを飼うための小屋を作った。

これで、新鮮な卵も手に入るようになるはずだ。

ニワトリは、近いうちにバルトロさんに頼んで仕入れてもらおう。


さらに俺は、砦の守りを固めるための仕掛けもいくつか考えた。

例えば、侵入者が特定の場所を踏むと、自動で木の檻が作動する罠。

あるいは、見張り台から遠隔で操作できる、連弩のようなものだ。


俺のスキルは、平和な家具を作るだけでなくこういう物騒なものにも向いていた。

前世で遊んだ、防衛ゲームの知識が役に立っている。


「ルークは、本当にすごいわね。」

「なんだか、まるでお城みたいになってきたわ。」

リリアが、少し呆れたように笑って言った。


「備えあれば憂いなし、という言葉があるんだ。」

「何があっても、お前たちを守れるようにしておきたい。」

俺が真剣な顔で言うと、リリアは少し頬を赤らめて頷いた。


そんなある日、俺が新しい椅子のデザインを考えている時のことだ。

リリアが勉強机で、熱心に文字の練習をしていた。

ルナは、その隣で積み木遊びに夢中になっている。

いつもの、穏やかな光景だった。


俺は、リリアの手元をそっと覗き込む。

彼女が書いているのは、まだぎこちないが丁寧な文字だった。


「ずいぶん上手になったな、リリア。」

俺がそう言って頭を撫でると、リリアは嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとうルーク、この机と椅子は本当に使いやすいの。」

「それに、ルークが教えてくれるから覚えるのがすごく楽しいわ。」

俺は、リリアに文字の読み書きを教えていた。

この世界の文字は、アルファベットに似ていてそれほど難しくはない。

リリアはとても賢く、教えたことをすぐに覚えていった。


「そうだリリア、木工に興味はないか。」

俺はふと、そんなことを口にした。


「もっこう、ってなあに。」


「ああ、俺みたいに木で色々なものを作ることさ。」

「もし興味があるなら、簡単なものから教えてやるぞ。」

俺の提案に、リリアはぱっと目を輝かせた。


「本当、教えてくれるの。」


「もちろんだとも、まずは簡単なスプーンでも作ってみるか。」

俺は作業台から、手のひらに収まるくらいの小さな木片を持ってきた。

そしてリリアの隣に座り、小さなナイフを渡す。


「いいか、まずはこうやって少しずつ削るんだ。」

「怪我をしないように、ゆっくりやるんだぞ。」

俺は、自分の手で見本を見せてやった。

リリアは、真剣な眼差しで俺の手つきをじっと見つめている。


「うん、私やってみるわ。」

リリアは、小さな手で一生懸命に木片を削り始めた。

その姿は、まるで小さな職人のようだった。


ルナも積み木遊びを止め、興味深そうに姉の様子を眺めている。

そんな穏やかな時間が、ゆっくりと流れていった。

俺は、この時間が永遠に続けば良いと心の底から思う。

家族の温かさと、物作りの喜び。

俺がずっと求めていたものが、今この場所にあるのだ。


リリアは、削りカスで汚れた自分の手と木片を見比べた。

そして、少しだけ悔しそうな顔をする。


「うーん、とっても難しいわ。」


「ははは、最初は誰でもそんなものさ。」

「焦らなくていい、ゆっくり自分のペースでやればいいんだ。」

俺はそう言って、リリアの手からそっとナイフを受け取った。


「少しだけ、手伝ってやろう。」

「どこを、どんな形にしたいか教えてくれるかい。」

リリアは少し考えてから、こう、と指で空中に曲線を描いた。


「持ち手のところを、もう少しだけ細くしたいの。」

「あと、先っぽは丸くて可愛い形がいいわ。」


「なるほど、良いセンスじゃないか。」

俺はリリアのイメージを元に、ナイフで数回木片を削ってみせる。

すると、ただの塊だった木がみるみるうちにスプーンらしくなった。


「わあ、すごい。」

リリアが、感心したような声を漏らす。

俺は仕上げに、持ち手の部分に小さな花の模様を彫ってやった。


「ほら完成だ、リリアだけの特別なスプーンだぞ。」

俺がそれを手渡すと、リリアは宝物のように両手で受け取った。

そして、今までにないくらい嬉しそうな笑顔を浮かべる。


「ありがとうルーク、これ一生大切にするわね。」

その笑顔を見て、俺も幸せな気持ちになった。

ルナが、自分もやりたいと手を挙げる。

俺たちの木工教室は、まだ始まったばかりのようだ。

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