詰み確▣豆腐転生
弌黑流人(いちま るに)
第1話『プロローグ : そして男は豆腐になった』
男は、ごく平凡なサラリーマンだった。今日も一日、満員電車に揺られ、上司の小言に耐え、今日中には終わりそうもないデスクワークと格闘した。
「残りは明日に回すとして、そろそろ退勤しよう」
疲労困憊で、ようやく会社の最寄り駅に着いたときには、空はすでに深い藍色に染まっていた。
「ああ、疲れた……。今日はもう、何も考えずに冷奴でも食べよう」
男は、スーパーで買ったばかりの絹ごし豆腐のパックを片手に、ぼんやりとそんなことを考えていた。冷奴。醤油と生姜、ネギをたっぷり乗せて、つるりと喉を通す。それだけで、今日の疲れがすべて吹き飛ぶような気がした。
信号が青に変わり、男は横断歩道を渡り始めた。その瞬間、耳をつんざくけたたましいブレーキ音と、タイヤがアスファルトを擦る甲高い音が響いた。視界の端で、巨大なトラックのヘッドライトが、猛烈な勢いで迫ってくるのが見えた。
「――っ!」
男の意識は、そこで途絶えた。
次に目が覚めたとき、男は、自分がスーパーの棚に並べられたパック詰めの絹ごし豆腐になっていることに気づいた。
「え……? 俺、トラックに轢かれたはずじゃ……」
混乱する男の頭に、どこからともなく無機質な声が響いた。
『転生先:豆腐。種族スキル【凝固】を獲得しました』
男は、その声に戸惑いながらも、自分が『豆腐』として、ただ消費される日を待つという絶望的な第二の人生が始まったことを知る。
そして、男は何度も転生を繰り返した。そのたびに、彼は豆腐になった。スーパーの棚で、冷蔵庫の中で、食卓の上で。時には食べ残され、時には賞味期限切れで捨てられた。何度死んでも、次に目が覚めれば、また同じ世界のどこかで豆腐になっていた。
「もう嫌だ! なんで俺は、いつも豆腐なんだ! しかも、この世界でばかり!」
男は、心の中で叫んだ。
「頼むから、次は異世界にしてくれ! 剣と魔法の世界でも、魔物が跋扈(ばっこ)する世界でもいい! 豆腐じゃないものに転生させてくれ!」
彼の絶叫が、宇宙のどこかに届いたのか。その瞬間、彼の頭に、これまでとは違う、どこか楽しげな、しかし確かな意思を持った声が響いた。
『ご要望、承りました。転生先:異世界。種族スキル【凝固】、特性【魔力凝縮】を獲得しました』
その声は、まるで彼の苦境を心底楽しんでいるかのように、弾むようだった。
「え……?」
男が呆然とする間もなく、彼の意識は、新たな世界へと引きずり込まれていった。
こうして、男の本格的な『豆腐縛り転生』の旅が幕を開けたのだった。
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