第3話

ギルド職員としての生活は、驚くほど快適だった。

朝は決まった時間に出勤し、カウンターに座って冒険者たちの対応をする。

昼はギルド併設の食堂で日替わりランチを食べ、そして夕方、定時になれば帰る。

まさに俺が求めていた理想のワークライフバランスだ。


「キョウヘイさん、おはようございます!」


俺がカウンターに入ると、同僚のリナが元気よく挨拶をしてきた。

彼女は俺が採用されてからというもの、何かと俺の仕事ぶりを観察している。


「おはよう、リナさん。今日も一日、頑張ろう」


「はい! あの、キョウヘイさん。昨日教えていただいたファイリング方法、早速試してみたんです。依頼書の種類ごとに色分けしたら、すごく探しやすくなりました!」


リナは興奮した様子で、綺麗に整理された棚を指差した。

俺が教えたのは、前世では新入社員研修で習うような、ごく初歩的な書類整理術だ。

しかし、この世界では画期的な業務改善だったらしい。


「それはよかった。効率が上がれば、それだけ早く仕事が終わるからな」


「はい! キョウヘイさんが来てから、残業がほとんどなくなりました。本当にすごいです!」


キラキラした尊敬の眼差しを向けられるのは、少し気恥ずかしい。

俺はただ、自分が残業したくない一心で、業務の無駄を省いているだけなのだから。


午前中は、依頼の受付や報告書の処理に追われた。

冒険者たちは荒くれ者が多いが、カウンター越しに接する分には特に問題はない。

むしろ、彼らの提出する書類の不備を指摘し、修正させる作業は、前世の窓口業務を思い出させてくれた。


「この依頼申請書、討伐対象のモンスターの数が『数匹』としか書かれていませんね。これでは正確な戦力評価ができません。具体的な頭数を記載して再提出してください」


「え、ええ……」


「それからこちらの素材採取依頼、採取場所の地図が大雑把すぎます。万が一遭難した場合、ギルドとして捜索隊を派遣することもあるんですよ。もっと詳細な地図を添付してください。はい、『却下』」


俺は淡々と、不備のある申請書に『却下』の判を押していく。

冒険者たちは最初こそ不満そうな顔をするが、俺が指摘する内容が正論であるため、渋々引き下がっていく。

これも全て、ギルドと冒険者の双方を守るための、必要な手続きなのだ。


そんな日常業務をこなしていた昼過ぎのことだった。

ギルドの扉が勢いよく開き、三人の若者が駆け込んできた。

先日、俺が冒険者登録を『受理』した、あの新人パーティだ。


「やりました! 依頼達成です!」


リーダー格の少年が、カウンターに薬草の入った袋と、いくつかの汚れた布袋を叩きつけるように置いた。

薬草の袋は、依頼で指定された量の何倍も入っているように見える。


リナが報告書を受け取り、確認を始めた。


「依頼は『ニガヨモギ草』の採取ですね。……すごい! 規定量の三倍もありますよ! これならボーナス報酬が出ますね!」


リナが嬉しそうに言うと、少年たちは得意げに胸を張った。


「へへっ、まあな! それだけじゃないぜ!」


そう言って、少年は汚れた布袋の口を開いた。

中から転がり出てきたのは、ゴブリンの耳だった。討伐の証拠品だ。


「ゴブリンの耳……!? あなたたち、ゴブリンと戦ったんですか!?」


リナが驚きの声を上げる。

それもそのはずだ。彼らは登録したばかりのFランク冒険者。

ゴブリンは最下級のモンスターだが、新人がいきなり戦って勝てる相手ではない。


「ああ! 薬草を採ってたら、五匹も出てきてよ。でも、なんだか知らないけど、めちゃくちゃ体が軽くて、あっさり倒せちまったんだ!」


「私も、いつもより全然威力の高い魔法が使えたの!」


「僕の矢も、面白いように全部命中して……」


三人は、自分たちでも信じられないといった様子で、興奮気味に語った。

周囲で話を聞いていた他の冒険者たちも、ざわめき始める。


「おい、マジかよ。あのヒョロっとした連中が、ゴブリンを五匹?」


「Fランクがやることじゃねえぞ……」


俺はその報告を聞きながら、静かに頷いていた。


(なるほど。やはり、適切な手続きを踏んで登録した冒険者は、業務遂行能力も高いということか)


俺は、彼らの成功を自分の事務処理の正しさの証明だと解釈した。

申請書に不備がなく、規定通りに登録を『受理』した。

だからこそ、彼らは本来の能力を最大限に発揮できたのだろう。

実に合理的で、素晴らしい結果だ。


「よくやりましたね。こちらが今回の報酬です。報告書の提出も完璧です。今後も期待していますよ」


俺が事務的な口調で報酬の入った袋を渡すと、少年たちは満面の笑みでそれを受け取った。


「はい! ありがとうございます、受付のお兄さん!」


彼らは深々と頭を下げると、仲間たちと今日の夕食は何にしようか、などと話しながらギルドを出ていった。

その一部始終を、ギルドの二階からエルザさんが見ていたことには、俺は気づかなかった。


その日の夕方、俺がそろそろ終業の準備を始めようかと思っていた頃、エルザさんにギルドマスター室へ呼ばれた。


「キョウヘイ、ちょっといいかい」


「はい、なんでしょうか」


マスター室に入ると、エルザさんは椅子に深く腰掛け、俺の顔をじっと見てきた。

何か、仕事でミスでもしただろうか。


「今日の新人たちの報告、聞いたよ。大したもんだな」


「ええ。彼らは真面目な若者たちですから」


「それだけかね? あんた、何かしたんじゃないのかい?」


エルザさんの目が、探るように細められる。

何かしたか、と言われても心当たりがない。

俺はいつも通り、マニュアルに沿って業務をこなしただけだ。


「いえ、特に何も。私は規定通りに、彼らの冒険者登録申請を『受理』しただけです」


「……そうかい。まあ、いいさ」


エルザさんはそれ以上は追及せず、ふっと笑みを浮かべた。


「あんたが来てから、ギルドの空気が変わったよ。依頼の成功率も上がってるし、何より職員たちの負担が減った。感謝してるぜ、キョウヘイ」


「恐縮です。それが私の仕事ですので」


「ははっ、本当にあんたは面白い奴だな。よし、下がっていいよ。今日も定時で帰りたいんだろ?」


「はい。失礼します」


俺は一礼して、マスター室を後にした。

エルザさんが何を考えているのかは分からないが、仕事ぶりを評価してもらえたのは素直に嬉しい。

これで、俺の平穏なギルド職員ライフは安泰だろう。


カウンターに戻ると、リナが少し不安そうな顔で俺を見ていた。


「キョウヘイさん、ギルドマスターに何か言われましたか?」


「いや、仕事ぶりを褒められただけだよ」


「よ、よかったぁ……」


リナは心底ほっとしたように胸を撫で下ろした。

彼女は俺がエルザさんに叱られたのではないかと、心配してくれていたらしい。


「キョウヘイさんのやり方は、本当にすごいですから。私、キョウヘイさんからもっと色々学びたいです!」


「俺でよければ、いつでも教えるよ」


俺がそう言うと、リナはぱあっと顔を輝かせた。

後輩に慕われるというのは、悪い気分ではない。

前世では、年功序列のせいで俺の業務改善提案はほとんど握り潰されてきたからな。


「よし、今日の業務はこれで終了だな」


俺は最後の書類を片付け、立ち上がった。

時刻は、定時である午後五時を少し過ぎたところ。

完璧な終業時間だ。


「お先に失礼します」


「お疲れ様でした、キョウヘイさん!」


リナに見送られ、俺はギルドを後にした。

宿屋に帰って、冷えたエールで一杯やるのが最近の楽しみだ。

そんなことを考えていると、背後から声をかけられた。


「あの、すみません。そこの受付の方ですよね?」


振り返ると、そこに立っていたのは、いかつい鎧を身につけた大柄な剣士だった。

腰に下げた大剣が、彼の実力を物語っている。

ギルドで何度か見かけた顔だ。確か、Cランクの腕利き冒険者だったはず。


「ええ、そうですが。何か御用でしょうか? 本日の業務は終了しましたが」


残業につながる話はごめんだ、という意思を込めて、俺はきっぱりと言った。

しかし、男はそんな俺の態度を気にする様子もなく、真剣な表情で続けた。


「業務時間外に申し訳ない。だが、どうしてもあなたに頼みたいことがあるんだ」


「頼み、ですか?」


「ああ。これは通常の依頼じゃない。個人的な……相談だ」


男はそう言って、自分の頭を指差した。

彼が被っているのは、禍々しい装飾が施された、見るからに物騒な兜だった。

その兜が、彼の顔を完全に覆い隠している。


「この兜のことで、話がある」


その声は、どこか切羽詰まった響きを帯びていた。

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