元公務員、辺境ギルドの受付になる 〜『受理』と『却下』スキルで無自覚に無双していたら、伝説の職員と勘違いされて俺の定時退勤が危うい件〜

☆ほしい

第1話

「志摩さん、これ、今日の最終便でお願いできますか?」


後輩の田中くんが、申し訳なさそうに書類の束を俺のデスクに置いた。

時計を見れば、定時である午後五時を少し過ぎたところだ。


「……わかった。そこに置いといて」


俺、志摩恭平は市役所の市民課に勤めるごく普通の公務員だ。

安定した職、安定した給料、そして何よりも定時退勤。それが俺の望む全てだった。

しかし、現実は非情である。今日も今日とて、窓口が閉まる間際に駆け込んできた市民の対応で、少しだけ残業が確定してしまった。


「すみません、いつも……」


「気にするな。それより、早く帰らないと彼女さん待ってるだろ」


田中くんは恐縮しながら頭を下げ、そそくさと帰っていった。

デスクの上には、彼が置いていった書類と、俺が今日一日かけて処理した書類の山がそびえ立っている。

まあ、これも仕事だ。俺は黙々と最後の書類に判を押し始めた。


すべてはマニュアル通りに。規定に沿って、淡々と処理する。

それが俺の信条であり、この役所での生きる術だった。


全ての書類を片付け、パソコンの電源を落とす。

時刻は午後六時半。予定より一時間半のロスだ。


「さて、帰ってビールでも飲むか」


独り言を呟き、席を立つ。

誰もいない静かなオフィスは、少しだけ寂しい気もするが、それ以上に解放感が勝る。

俺は自分のロッカーに向かい、コートを羽織った。


その瞬間だった。


足元が、眩い光に包まれた。

何の前触れもなく、床に巨大な魔法陣のようなものが浮かび上がる。


「な、なんだこれは……?」


理解が追いつかない。

役所の床にこんな模様があっただろうか。いや、あるはずがない。

光はどんどん強くなり、俺は思わず目を閉じた。


次に目を開けた時、俺は全く知らない場所に立っていた。

そこは石造りのだだっ広い広間だった。

天井は高く、壁には美しいタペストリーが飾られている。

そして俺の目の前には、豪華な衣装を身にまとった人々がずらりと並んでいた。


「おお、成功だ! 勇者様のご到着だ!」


中心にいる、やけにキラキラした鎧を着た若い男が叫んだ。

その周りにいる神官のような服を着た老人たちも、満足そうに頷いている。


勇者? なんの話だ。

俺は自分の服装を見た。市役所から着てきた、くたびれたスーツ姿のままだ。

どう見ても勇者には見えない。


「お待ちしておりました、勇者様。我らはマキナ王国。魔王の脅威から世界を救うため、あなた様をお召喚いたしました」


王子と名乗る男が、芝居がかった口調で言った。

どうやら俺は、最近流行りの異世界召喚に巻き込まれたらしい。

しかも、勇者として。


「人違いじゃないですかね。俺はただの公務員ですが」


「ご冗談を。異世界から来られた方こそが、我らを救う勇者様なのです。さあ、まずはあなたの能力を拝見いたしましょう」


神官の一人が、水晶玉のようなものを持ってきた。

ステータス鑑定というやつだろうか。

面倒なことになったな、と俺は心の中でため息をついた。


俺は言われるがまま、水晶玉に手を触れる。

すると、目の前に半透明のウィンドウが現れた。


----------------------------------------

名前:シマ・キョウヘイ

年齢:25歳

職業:なし

スキル:『受理』『却下』

----------------------------------------


表示された内容は、実にシンプルだった。

スキルが二つだけ。しかも、なんだか見覚えのある単語だ。

『受理』と『却下』。

これは、俺が毎日デスクで判を押している業務そのものではないか。


「どれどれ……スキルは……『受理』と『却下』? なんだそれは?」


俺のステータスを覗き込んだ王子が、怪訝な声を上げた。

周りの神官たちもざわめき始める。


「攻撃系のスキルではないようですね」


「補助系……とも思えませんが」


「というか、全く意味が分かりませんな」


広間の空気が、急速に冷えていくのを感じた。

期待に満ちていた彼らの視線が、失望と侮蔑の色を帯びていく。


「おい、どういうことだ! なぜ勇者のスキルがこんな地味なものなのだ!」


王子が鑑定を担当した神官に詰め寄る。

神官は真っ青な顔で首を横に振るだけだ。


まあ、そうだろうな。

剣術だの魔法だの、そういうものを期待していたのだろう。

しかし、俺に与えられたのは、どこまでいっても事務処理スキルだった。

ある意味、俺らしいと言えるのかもしれない。


「ちっ……ハズレか。こんなスキルでは魔王軍と戦えるはずもなかろう」


王子は吐き捨てるように言った。

その言葉に、俺はむしろ少し安堵した。


戦わなくて済むのなら、それに越したことはない。

俺は戦士でもなければ、英雄でもない。

ただ平穏に、定時で帰りたいだけの男なのだ。


「申し訳ありませんが、俺は戦いには向いていないようです。元の世界に返していただけると……」


「黙れ、役立たずが!」


俺の言葉を、王子が怒声で遮った。


「貴様のようなハズレを召喚するために、どれだけの国費を投じたと思っている!」


すごい剣幕だ。

しかし、俺からすれば理不尽極まりない。

勝手に呼び出しておいて、役立たずとはあんまりな言い草だ。


「貴様のような者に、この城にいる資格はない。即刻、この国から追放する! 兵士、こいつを連れていけ!」


王子の命令で、屈強な兵士二人が俺の両腕を掴んだ。

抵抗する気も起きなかった。

むしろ、面倒な王宮での生活を強いられるより、よっぽどいい。


俺は兵士に引きずられるようにして、広間を後にした。

最後に見た王子の顔は、心底忌々しげに歪んでいた。


城門の前で、俺は乱暴に突き飛ばされた。

渡されたのは、金貨数枚と着古しの服だけ。

スーツは「この国の者ではないと一目でわかる」という理由で取り上げられてしまった。


「二度と王都に近づくな。見つけ次第、捕らえるからな」


兵士はそう言い残し、重い城門を閉ざした。

一人残された俺は、大きく息を吐いた。


「さて、どうしたものか」


追放されたこと自体に不満はない。

むしろ、これから魔王と戦えなどと言われるよりはずっといい。

問題は、この世界でどうやって生きていくかだ。


幸い、言葉は通じるようだ。

まずは情報を集めよう。

俺は城下町へと歩き出した。


活気のある街だった。

行き交う人々の服装は中世ヨーロッパ風で、本当に異世界に来てしまったのだと実感させられる。

俺は露店で簡単な地図と食事を買い、今後の計画を練ることにした。


「なるほど、このマキナ王国が大陸の中央にあって……」


地図を広げると、この国の地理が大まかにわかった。

王都は国の中心部。そこから東西南北に主要な都市が点在している。

そして、国の端の方には「辺境」と呼ばれる地域が広がっていた。


「辺境の街、ドールン……か」


王都から最も遠い場所にある街だ。

きっと、王子の目も届かないだろう。

静かに暮らすには、もってこいの場所かもしれない。

俺は、そのドールンという街を目指すことに決めた。


ちょうど、辺境行きの乗り合い馬車が出るところだった。

御者に金貨を一枚渡し、荷台に乗り込む。

ガタガタと揺れる馬車に身を任せながら、俺はこれからの生活に思いを馳せた。


できれば、また事務仕事のような職に就きたい。

毎日決まった時間に働き、定時で帰る。

そんな、当たり前の日常を取り戻したい。


馬車の旅は、数日に及んだ。

道中は特に何事もなかったが、一度だけ厄介な出来事があった。

森の中の道を進んでいると、緑色の醜い小鬼――ゴブリンの群れに遭遇したのだ。


乗客たちが悲鳴を上げ、御者が慌てて馬車を止めようとする。

俺は荷台の幌の隙間から、そのゴブリンたちを眺めていた。


(なんだ、あれは。通行許可も取らずに道を塞いでいるのか)


俺の目には、ゴブリンの群れが「無許可で道路を占拠する違反者」にしか見えなかった。

これは明らかにルール違反だ。

このような身勝手な申請が、まかり通っていいはずがない。


(この件は『却下』だな)


俺が内心でそう判断した瞬間、ゴブリンたちが一斉にびくりと体を震わせた。

そして、何か恐ろしいものでも見たかのように、蜘蛛の子を散らすように逃げていったのだ。


「え……? な、なんで……?」


乗客の一人が呆然と呟く。

御者も何が起きたのかわからず、目を白黒させている。


「なんだ、睨んだだけで逃げていくとは、案外臆病な連中なんだな」


俺はそう結論づけた。

まさか自分のスキルが発動したとは、夢にも思わなかった。

俺にとっては、ただの「不備のある申請を棄却した」だけのことなのだから。

馬車は再び、何事もなかったかのようにドールンの街を目指して走り始めた。

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