リストラされた俺が異世界で拾ったのは、もふもふ耳の双子でした ~アウトドア知識で快適スローライフを目指します~

旅する書斎(☆ほしい)

第1話

「斎藤健一さん、君は明日から来なくていいから」


呆気ないほど簡単に、俺の社会人人生は終わりを告げた。上司の言葉は、まるで天気の話でもするかのように軽かった。


連日の残業と休日出勤。身を粉にして会社に尽くしてきたつもりだった。しかし、過労で一度倒れた俺は、もう会社にとって不要な存在らしかった。


悔しさよりも、なぜか安堵している自分がいた。もうあの息が詰まるようなオフィスに行かなくていい。鳴り響く電話も、終わらない会議も、上司の叱責もない。


がらんどうになった心でアパートに帰り着き、コンビニ弁当を無心で胃に詰め込む。そのままベッドに倒れ込んだ。


これからどうしようか。貯金は少しあるが、すぐに次の仕事を探さなくては。でも、もうあんな働き方はしたくない。


いっそ、趣味のキャンプみたいに、誰にも縛られず、一人で静かに暮らせたら。そんな現実逃避の思考が、疲弊した脳を支配していく。


意識が、ゆっくりと闇に沈んでいった。


次に目を開けた時、俺の目に飛び込んできたのは、見慣れたアパートの天井ではなかった。


鬱蒼と茂る木々。その隙間から差し込む木漏れ日。鼻をくすぐる濃い土の匂いと、生命の息吹。


「……どこだ、ここ」


思わず声が漏れた。体を起こすと、背中には柔らかい苔の感触があった。周囲を見渡しても、あるのは巨大な木々と、見たこともない植物ばかり。


状況が全く理解できない。昨日、俺は確かに自分の部屋のベッドで眠ったはずだ。誘拐でもされたのか?いや、だとしたらこんな森のど真ん中に放置する意味が分からない。


慌てて自分の体を確認する。服装は昨日寝た時のままのスウェット姿。幸い、怪我はないようだ。ポケットを探ると、いつも通りスマートフォンと財布が入っていた。


スマートフォンの電源は入るが、表示は「圏外」。まあ、そうだろうな。GPSも機能しない。これじゃ現在地も分からない。


財布の中には数万円の現金とカード類。こんな森の中では何の役にも立たないだろう。


途方に暮れて立ち尽くしていると、自分の背中に何かがあることに気づいた。下ろしてみると、それは俺が愛用しているソロキャンプ用のバックパックだった。


なぜこれがここに?昨日、部屋の隅に置いたままだったはずだ。中身を確認すると、ナイフ、手斧、ファイアスチール、小型の鍋、ロープ、そして数日分の非常食。いつもキャンプに行く時の装備がそのまま入っていた。


不幸中の幸いか。これだけあれば、数日は生き延びられるかもしれない。


「とにかく、状況を把握しないと」


俺は自分に言い聞かせ、少しでも視界が開けた場所を探して歩き始めた。木々の太さは尋常じゃない。俺が両腕を広げても、到底届かないような巨木が何本も天に向かって伸びている。


見たことのない色の鳥が鳴き、足元では手のひらサイズのトカゲが駆け抜けていく。明らかに、俺の知っている日本の森とは生態系が違う。


まさかとは思うが、海外に飛ばされたとか?いや、それにしては植物の種類が見たこともないものばかりだ。


一時間ほど歩き回っただろうか。疲労と混乱で、思考がまとまらない。このまま彷徨い続けても、体力を消耗するだけだ。一度、落ち着いて行動計画を立てる必要がある。


そう思った矢先、茂みの奥から微かな物音が聞こえた。


ガサッ、という小さな音。獣か?俺は咄嗟に身を隠し、音のした方へ注意を向けた。心臓が早鐘を打つ。


茂みが再び揺れ、何かが姿を現した。それは、獣ではなかった。


「……子供?」


そこにいたのは、二人の小さな子供だった。薄汚れた服をまとい、怯えた目でこちらを窺っている。年の頃は、五歳か六歳くらいだろうか。


だが、普通の子供ではなかった。二人とも、銀色の髪の間からぴょこんと尖った耳が生えていて、お尻からはふさふさの尻尾が伸びていた。狼のような耳と尻尾だ。


いわゆる、獣人というやつか。ゲームやアニメでしか見たことのない存在が、今、目の前にいる。


ここで俺は確信した。ここは、俺のいた世界じゃない。


二人の子供は、俺の存在に気づくと、ビクッと体を震わせた。一人はもう一人の後ろに隠れるようにして、警戒心を露わにしている。


俺は敵意がないことを示すために、ゆっくりと両手を上げて見せた。


「大丈夫、何もしないよ」


できるだけ優しい声で話しかける。しかし、二人の警戒は解けない。言葉が通じていないのかもしれない。


よく見ると、二人ともひどく痩せている。頬はこけ、服は泥と埃で汚れきっていた。きっと、長い間まともな食事にありつけていないのだろう。


俺はバックパックから非常食のクッキーを取り出した。個包装の袋を破り、ゆっくりと二人の前に差し出す。


「お腹、空いてるんだろ?これを食べなよ」


甘い匂いが漂うと、二人の鼻がひくひくと動いた。お腹が「ぐぅ」と鳴る音が、静かな森に響く。


前にいた男の子の方が、妹らしき女の子を守るように一歩前に出る。俺の手にあるクッキーと、俺の顔を交互に見ている。その瞳は、恐怖と、抗いがたい食欲とで揺れていた。


俺はクッキーをその場にそっと置き、数歩後ずさった。プレッシャーを与えないように。


しばらくの逡巡の後、男の子がおずおずとクッキーに手を伸ばした。そして、それを半分に割り、先に妹の方へ渡す。妹は受け取ったクッキーを、夢中になって頬張り始めた。その様子を見て、男の子も自分の分を口に運んだ。


よほどお腹が空いていたのだろう。あっという間にクッキーを食べ終えると、二人は期待のこもった目で俺を見つめてきた。


その姿を見て、俺は腹を括った。自分の状況も分からない。これからどうなるかも全く不明だ。それでも、この子たちを放っておくことはできなかった。


会社では、部下を切り捨て、利益を優先する非情な判断を何度も迫られた。そんな競争社会に、俺はもううんざりしていたんだ。


俺はもう一枚クッキーを取り出し、今度は二人に手渡してやった。二人はさっきよりも少しだけ警戒を解いて、それを受け取った。


「君たち、名前は?」


俺が尋ねると、男の子が小さな声で答えた。


「……カイ」


そして、自分の後ろにいる妹を指さす。


「こっちは、ミナ」


言葉が通じることに安堵する。カイと名乗った男の子は、まだ俺を警戒しているようだったが、ミナという女の子は、少しだけ俺に興味を示しているようだった。


「そうか。俺はケン。よろしくな、カイ、ミナ」


俺が自分の名前を告げると、二人はこくりと頷いた。


日が傾き始めている。このままではすぐに夜が来てしまう。森の夜は危険だ。まずは安全を確保できる場所と、火が必要だ。


「よし。今夜はここで野宿だ。安全な寝床を作るから、手伝ってくれるか?」


俺の言葉に、カイとミナは顔を見合わせる。まだ完全には信用していないようだったが、他に頼る当てがないのも事実なのだろう。カイが小さく頷いた。


俺は早速、寝床作りに取り掛かった。幸い、キャンプの知識は豊富だ。


まずは、風を避けられるように、少し窪んだ地形と、寄りかかるのにちょうどいい倒木を見つけた。ここに、即席のシェルターを作る。


俺は手斧を取り出し、近くに生えている細めの木を数本切り倒した。その手際の良さに、カイとミナは少し驚いたような顔をしている。


切り出した木を倒木に斜めに立てかけ、骨組みを作る。その上に、大きめの葉っぱやシダ植物を重ねていき、屋根と壁にする。いわゆるリーンツーシェルターだ。これだけでも、夜露や多少の雨はしのげる。


「二人とも、そこの落ち葉をたくさん集めてきてくれないか?ふかふかのベッドを作ろう」


俺がそう言うと、二人は戸惑いながらも、小さな手で一生懸命に落ち葉を集め始めた。その姿は、なんとも微笑ましい。


シェルターの中に集めた落ち葉を敷き詰めれば、簡易的なベッドの完成だ。地面からの冷気を遮断してくれる。


次は火起こしだ。俺はバックパックからファイアスチールとナイフを取り出した。乾いた木の皮や枯れ枝を集め、ナイフで細かく削って火口を作る。


ファイアスチールをナイフの背で擦ると、バチバチと火花が散った。その火花が火口に移り、小さな炎が上がる。


「わぁ……」


ミナが感嘆の声を上げた。カイも、驚いたように目を見開いている。この世界にも火はあるだろうが、こんな風に簡単に火を起こす道具は珍しいのかもしれない。


俺は慎重に炎を育て、焚き火を大きくしていく。パチパチと薪がはぜる音と、揺らめく炎が、周囲に温かい光を投げかけた。これだけで、安心感がまるで違う。


「さて、次は晩飯の準備だな」


俺はそう言うと、シェルターを作る前に、近くに仕掛けておいた簡単な罠を見に行った。細い木の枝をしならせて作った、ごく単純なバネ式の罠だ。


運が良いことに、その罠にはウサギに似た小動物がかかっていた。大きさは日本のノウサギより一回り大きいくらいか。


「よし、今夜はご馳走だぞ」


俺が獲物を見せると、カイとミナは少し怖がったような顔をしたが、すぐにそれが食料だと理解したようだった。


ナイフで手際よく獲物を解体し、血抜きをする。内臓を取り出し、皮を剥ぐ。現代日本ではなかなかやらない作業だが、キャンプで何度か経験済みだ。


処理した肉を木の枝に刺し、焚き火でじっくりと炙っていく。香ばしい匂いが立ち上ると、二人の腹の虫がまた高らかに鳴いた。


肉が焼きあがる頃には、森はすっかり闇に包まれていた。焚き火の明かりだけが、俺たちの小さな世界を照らしている。


「よし、焼けたぞ。熱いから気をつけろよ」


俺は焼きあがった肉を少し冷ましてから、二人に手渡した。カイもミナも、無我夢中で肉にかぶりつく。


「おいしい……」


ミナが涙を浮かべながら呟いた。カイも、黙々と食べながら、何度も頷いている。きっと、親を亡くしてから、ずっとお腹を空かせて、心細い思いをしてきたんだろう。


その姿を見ていると、胸が締め付けられるようだった。リストラされた自分のことなんて、今はどうでもいい。今はただ、この子たちに腹一杯食べさせてやりたかった。


俺も自分の分の肉を食べる。塩も胡椒もない、ただ焼いただけの肉だ。だが、不思議と今まで食べたどんなご馳走よりも美味しく感じられた。


食事を終えると、急に眠気が襲ってきた。慣れない環境での作業で、体はクタクタだ。


「さあ、もう寝よう。火の番は俺がしておくから、安心して休め」


俺が言うと、二人は素直にシェルターの中に入り、落ち葉のベッドに横になった。すぐに、すうすうという可愛らしい寝息が聞こえ始める。


俺は焚き火に薪をくべながら、二人の寝顔を眺めた。汚れてはいるが、整った顔立ちをしている。銀色の髪が、炎の光を反射してキラキラと輝いていた。


これから、どうなるんだろうか。この子たちをどうすればいいのか。そもそも、俺自身はどうやって生きていけばいいのか。


不安は尽きない。だが、不思議と絶望的な気分ではなかった。むしろ、やるべきことがあるという事実に、少しだけ心が満たされているのを感じていた。


守るべきものができた。それは、会社での空虚な日々では決して得られなかった、確かな手応えのある感覚だった。


俺はもう一度、薪をくべた。炎がパチリと音を立てる。


この子たちと一緒に、この世界で生きていこう。まずは、それが俺の目標だ。


静かな森の夜は、ゆっくりと更けていった。

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