「不本意だけど、頼むぞ」

 父は明朝になって、魏越ぎえつの家に向かった。

 魏越は少年の背を押しながら、そう言っている父の姿を見て

「俺も不本意だけど、受けてやるよ」

と返して揶揄からかった。

 言った後に呵々かかと大笑している魏越を見ていると、

──本当に俺の子を育てる意思はあるのか

などという懸念も生まれはしたが、腕は確かなものだから、そこだけを信用して少年を数日ばかり、魏越のもとに居候いそうろうさせることにした。




「よし豎子ぼうず。これから何日かは此処ここに居るんだからな。俺たちの家族にあいさつしろや」

 魏越に、やねの中へと腕を引っ張られながら連れ込まれると、中には魏越の妻とみられる女と、子が二人いた。

 一人は堂々と真ん中に座って場所をゆずらなかったが、もう一人は魏越の妻の背に隠れてこちらをうかがい見ている。

──だいぶ、ちがうな

 と少年は思った。恐らくは母の背に隠れたのが下で、堂々と座っているのが上なのだろう。

「今日から幾日いくにちか共に過ごすんだ。お前らも、ひとことふたこと言ったらどうだ」

 魏越は二人に言葉をうながしたが、応える気配は無い。

 座っている方は少年をにらんんでいるし、隠れている方は顔を母の背に押し付けて、見向きもしない。

 少年も言葉が見つからず、ただ魏越の家族たちを凝視ぎょうししているだけだった。

 そうしていると、魏越の妻がしびれを切らしたのか、己の後ろに隠れている子の尻を、思いきり叩いた。

 あまりに強く叩いたせいで、その子はうめく声と共に、からだ蹌踉よろけさせながら、少年の眼前に出てくる。

「あ」

 と小さく言っただけで固まってしまった。

 少年は、このままではどうともできないから

「今日からよろしく」

かおを明るくして言ってみたのだが、向こうは眼を見開いて、さらに躰を固くした。

 このままで終わらせることもできず、次は真ん中に座っている方に声を掛けてみる。

「俺はって言うんだ。君は」

 名前を知らないことには会話も親身しんみにならなかろうと、己の紹介もねて言ってみた。

 ところが、今度は何も言わないままに、顔を少年から背けてしまった。

──これじゃ、どうしようもない

 少年は、己のていした愛想あいそが通用しないことを知って、これでは数日間、というより父の付き合いで魏の家と付き合うときには相当な苦労をしそうだ、と思って、張ってた両肩も下に落ちてしまった。

 家長たる魏越も、己の家族のあまりにもな対応の仕方にあきれれを隠さず

「すまねえな、豎子。俺が後からきつく言っとく」

と少年に謝ったあと、それぞれの名を、少年に教えていった。

 まず魏越の妻の名はそんという。

 もとはの方に家があったらしいが、親の代の時に五原ごげんに移り住んできたらしい。

「豎子も見たことがあるだろ、はなあやめ

 蓀といえば、紫色の特徴的なはなびらを持っている花だ。

 魏越の表情を観るに、名に相応ふさわしい女なのだ、と思っているようだった。

 その魏蓀の後ろに隠れていた臆病おくびょうは、しょくという。

 歳頃は少年と同じではあるが、躰格たいかくでいえば当然、少年の方が壮健そうけんなものだから、見た目だけで言えば一回り違うように見える。

 この魏続という少年も、父たる魏越から見て

すじは良い」

らしいのだが、生まれ持ったさがわざわいして、うまく発揮はっきができないらしい。

 そして真ん中に座って、少年に睨みを利かせていたのがちょうという。

 だいぶ愛想が悪かったのと、屋内の暗がりとで、少年は男だろうと思っていたのだが、魏越の娘であるという。

 魏越が前に

──玉璽ぎょくじよりも価値がある

と言ったのは貂のことで、確かにちゃんと見れば、少年の母とは違う、目鼻立ちのかなりくっきりとした、野趣やしゅのある美人だった。

 魏貂が姉で、魏続が弟。

 魏越いわく、魏続は少年より一つ下で、かつでは三つ違いだそうだから、魏貂は九つ、魏続は六つである。

 少年としては、歓迎されないこの空気を、どうにかしたいと思っていた。

 魏越の方は

「そんなに気にすんな。俺らのことは俺らでやる」

と言って、少年といえども客なのだから何かをさせることは無い、と明言していたが、しかして、ただ座っているわけにもいかない。

「いっしょに畑に出たい」

 少年は魏越に申し出た。

 魏越としても、少年の申し出を断ってしまっては信にもとってしまう、と考えて、己の畑に連れてくことにした。

 魏越の畑は、少年の家の畑よりも半里ほど離れたところにある。

 少年の家が麦やきびを育てているのに対して、まめを主に育てている。

 麦などは寒害やえやみに弱く、天敵とえるが、菽の方には加えて虫がよく湧く。

 疫なぞは天運であるから、どうしようもない。だから寝て待つしか無いのだが、菽に沸く虫というのは人の手で何とか抑えることができる分、作事さじの時間が増えるというものである。

 この日も、少年が魏越の家に入って早々ではあったが、家の畑に向かった。

 やることといえば、他の畑と同じように無駄な草を抜き取ることと、傷んでいる菽の葉をぎること。そして虫が付いていればって、かごに入れた後に火に突っ込んで焼いてしまうか、食べられそうなものは食いものとして取り置くことである。

 少年も、父母がほどこす技の仕込みに時間を割いているとはいえ、畑に馴染なじみが無い訳では無いから、手際良く作業を進めていった。

 少年の横に、魏蓀が肩を並べてきた。

「ごめんね。さっきは構えなくて」

 いきなり謝られた少年は動顚どうてんしたが、その心を抑えて

「俺もいきなり来たので」

へりくだった。

 魏蓀は少年の言葉ことばづかいが気に入ったようで

「あなたみたいな子が、うちの子だったらね」

などと冗談めかして言う。

 少年としては

──そんなことは無いだろう

と思ったのだが、家に入った時の、何とも言えない雰囲気を味わっていたものだから、魏蓀は苦労しているのだろう、と斟酌しんしゃくもすることはできた。

 そのあとも、黙々と畑仕事を続けて、日の色が変わってきたところで魏越の家に帰った。

 けっきょく話ができたのは、魏越を除けば妻の魏蓀だけで、子に当たる貂と続には、声を掛けることはおろか、近くに寄ることも叶わなかった。

 躰の疲れはいつもと変わらないが、心が疲れた。

 これが少年の、きょう一日での所感である。正直に言って数日居るあいだ、あの敵意が向け続けられると思うと気が重い。

 この日は夕餉ゆうげ馳走ちそうになったのち、口が重くなって、すぐに寝てしまった。


 翌朝、昨日に感じた疲れが思ったよりも大きなものだったのか、何時いつもならば自分で起きられるものを、魏越に起こされて目が醒めた。

 外を見ると、すでに日が煌々こうこうと照っている。

 家の中を見回すと、もう魏越の家族らは外に出ているようだった。

 これでなまけ者だとか、信用できないだとかの評判が魏家の心に根付いてしまっては、どうしようもない。

 少年は慌てて支度したくを整え、畑へと向かった。

「よく眠れたの」

 畑仕事をしている魏蓀は、くさぎる手を動かしたまま、少年に目をった。

「起きられなくて、ごめんなさい」

 申し訳なさそうな顔を少年は向けたが、魏蓀は気にせずに

「こういうこともあるよ」

とだけ言って農作業に戻った。

 畑を見てみると、貂と続は昨日と同じような感じで、畑のすみにいる。

「あいつらはいつもあんな感じだから、気にすんなよ」

 後から、息を切らしながら少年に追い付いてきた魏越が、そう言った。

 昨日の今日で、あそこまでの険悪さを、臆面おくめんも無く出していた彼らとの関係が良くなるとは思えない。今朝は寝坊すらしてしまったのだから、猶更なおさらである。

 魏越夫妻はかばうようなことを言ってくれているが、素朴そぼくな感性を持っているには、同じように思って貰えはしないだろう。

 今日も少年は少し離れたところで、真面目まじめいたんだ葉をんだり、張り付いている虫を取ったりして、ひるぎまで過ごした。

「人手が増えると、そのぶん楽になるな」

 魏越は、畑仕事が早く終わったことに喜んだ。

 少年が不真面目ならば、ここまで言われることも無かっただろうが、生来、案外に真面目だったから、魏越の子らよりも多くの菽の面倒を見ていた。

「うちの子がこんなに素直だったら、もっと良いんだけれどね」

 魏蓀が近くに居る続と貂を、小突くように言った。

 当然、彼らは面白くないといったかおをした。親から言ったら多少、発破はっぱをかけたつもりでも、子からすれば当てつけに感じるものである。

 少年も

──そう言わなくても

とは思った。

 だが褒められたことは素直に嬉しいし、二人の不服そうな顔も滑稽こっけいに見えて面白い。そのせいで、顔に笑いを表さない、ということはできなかった。

 笑ってしまった少年の顔を見れば、二人の不機嫌はさらに増すというものである。

 家に帰ろうというときには、続のほうは少年の顔から目をらすし、貂のほうは横を通りかかったときに少年のすねを蹴りつけてきた。

──手の早い奴だな

 少年は魏続には、さほど悪感情を寄せなかったが、暴力に訴えかけてきた魏貂のことはうらめしく思った。

 しかし、せっかくの魏越の好意を、いっときの気の迷いで無駄にしてしまうと、父の名にも傷が付く。

 だから少しばかり拳を強く握るだけで、耐えたのである。

 魏家の屋宇おくうに帰って腰を落ち着けると、魏越夫妻は少年のことをいたく気にかけた。

 少年自身のこともそうだが、少年の父母にも話題が及んで、鍛錬の内容から普段の暮らしの様子まで、ただしに質した。

 夫妻が投げかける言葉には熱があって、答えるだけでも少年は疲弊していったのだが、更に拍車はくしゃをかけたのは、横目に見える二人の子の態度だった。

 構って欲しいが、臆病ゆえに己の口から言葉を出すことができず、ただうらやましがって見ていることしかできない続の姿。

 いきなり入ってきたくせに、両親の好奇の目を一身に受けている少年に対して、嫉妬しっとの火を燃やしている貂の姿。

 二人とも無言で少年を見ているが、視線から受ける印象というものは全く違う。

 ただ、どちらの視線からも、少年にとっては排撃はいげきされている感を得ていたのは確かだった。

 少年がわるよいし始めた時、魏蓀からこんな言葉が出てきた。

「布ちゃんって可愛い顔をしてるわよね」

 少年は己の顔を見たことが無い。だから何も返す言葉は無かったが、確かに己の父母からも

──お前は母似だ

とは言われていた。

 少年の母は、むらの中で言えば呂家の妻であると知れ渡っていたし、見慣れた顔だったから、わざと見ることも無い。

 だが邑の外から来る人がいれば、男も女も必ず反顧はんこするような人だったから、どんな意図があるにしろ、目立つ人には変わり無かった。

「豎子は女みたいな顔してるからな。とはいえ、男としても容姿は邑で一品だ」

 魏越は少年の肩の肉を触りながら、誉めるように言った。魏蓀も納得してうなずいている。

「まあ、女としては家の娘が一番だがな」

 そう言うと、魏越は呵々かかと笑った。

 先日の父との会話といい、この発言といい、やはり魏越は己の娘の容姿に、相当の自信を持っているらしい。

「そこまで言うんだったら、おみやにでも入れれば良いじゃないか」

 魏蓀が冗談じょうだんぶくみに言った。

 後ろにいた魏貂は不意を突かれたのか、驚いた顔をしたが

「そんなことするかよ。娘は俺らだけのもんだ」

と魏越が強く言ったのが良かったのか、少年がこの家に来て初めて、柔らかい笑顔を見せた。


 魏家に来て、三日目の朝を迎えた。

 厚い雲が空を覆っていたが、外に出る分には季節きせつがらもあって、むしろ涼しく、過ごしやすいと感じる。

 これまでとは違って、魏続が少年の近くで草をいきっていた。

 魏貂は相も変わらず距離をとっていたが、まずは弟の方が、己の臆病をして近くに来てくれたことが、少年には嬉しかった。

 ならば、思い切って声を掛けてみるべきか。

 少年は思い立って、魏続の近くに立った。

「おまえの親、良い人だね」

 魏続の目線に合わせるように、しゃがみこんで話しかけた。

 魏続は話しかけられたことに驚いて躰を強張こわばらせていたが、少年が穏やかに笑っていたのを見て、緊張を解いた。

「僕の父ちゃんは、いちばん強いんだよ」

 小さく低い声で聞き辛かったが、言葉に揺るぎないものがあった。

 魏続という少年にとっては、魏越という父親の姿は偉大なようである。少年もその心が分からないでは無いから、微笑をって返した。

「それに母ちゃんは優しいんだ。すぐつけど」

 確かに、初めて顔を合わせた時に、魏蓀は己の息子の背中を思いきり叩いていた。

 あれを思い出すと、そういった行為に抵抗の無い人なのはうかがえたし、無理やり面に立たされた魏続が、何となく不憫ふびんに感じる。

「俺がいきなり来て、怖かったでしょ」

 魏続に感じた不憫さが、口をいて出たのだろう。

 憐れむ気持ちというよりは、いたわる気持ちが強かった。

 だが、このひと言が魏続に内在する、少年への印象というものに影響を与えたようであった。

 ここに来て、初めて真っ直ぐと目を合わせてきたのである。

「うん。でもいい人だね。よかった」

 魏続の声が柔らかくなった。これまであった壁が、少しは取り除かれたのかもしれない。

 初めて話をする相手には、どんな心持ちであろうと勇気がいるもので、この時の少年にとっても、魏続とのやり取りが爽快だったから、満足する気持ちがあった。

 昨日まで気を張っていたお陰か、畑に関する作事はほとんどしなくて良かった。

 そうなると日中に多く時間が余ったので、魏一家と少年は、初めて畑の外で行動を共にすることになった。


 古代中国における邑内ゆうないの、単純な労働者という像から外れた魏一家は、果たしてどんな顔を見せるのか。

 少年は、多大なる好奇の目で見つめていた。

 少年の眼差まなざしにまとわれながら、魏蓀を除いた魏家の三人が、おのおの六尺ほどの棒を持って、邑の外れにあるうまやへと向かった。

 少年にとっては見慣れたところで、よく母と共に馬を駆らせてもらっていたやしきであった。

「ん、おまえは」

 着いたときに、ちょうど厩で馬をでておだてていたのも、少年の母によく尻を叩かれている(勿論そのままの意味ではなく、心根をめられている情景をたとえて言っているものであるが)男である。

「よう、ていさん。今日は馬を使わせてもらえないか」

 魏越が厩の男のことを、聞いたこともない

「丁」

という名で呼んだ。

 ふだん呂家の人間は、厩で馬を世話している男のことを、名で呼んだことはない。母の呼ぶ

「あんた」

という他者を指す一般名詞か、少年の呼ぶ

「お兄ちゃん」

という年上の男性を指す言葉でしか、この男のことを称したことは無いからである。

 この辺りの人との関わり方という意味では、魏家のほうがより社会体系化された上で、みがかれた感覚を持っていた、とういうことだろう。

 逆に言えば呂家のほうは古代的かつ素朴な、社稷しゃしょく一同いちどうこれえんたり、といったような感覚で、邑という共同体の中を生きているふうがあった。

 少年は感覚の差異を認めたが故に、初めて厩の男の事を

「丁さん、よろしくお願いします」

と名前で呼んだ上で、慇懃いんぎんさを込めて頭を下げた。

 厩の男は、ときどき馬を借りに来る者どものことをよく知っていて、彼らが馬を悪用したことなどは風聞にも聞かなかったし、増してや馬をさらわれたことはなく、毎々ことごとに馬を可愛がってくれていたのを理解していた。

 そういった人間に対して、いつもより一人(こちらもよく見知っていた呂家の少年)が増えたからと言って、あっさりと断るような冷淡さを持ち合わせていない男は

「わかった。逓長ていちょうに許可をとってくるから、待っていてくれ」

と柔らかく言って駅逓えきていに入ったのち、しばらくしてから出てきた。

「今日はどこまで行くんだ」

 丁という男は、馬のくつわつなを柱から解きつつ、言外に馬の貸し出し許可が下りたことを伝えてきた。

「今日はそんなに遠くに行かねえさ。邑のすぐそばで小突きあいをするだけだよ」

 魏越が明朗めいろうな笑いを顔に浮かべながら、丁に言った。

 少年はこの言葉のうちの、小突く、という言葉に反応して

──魏家の人は、みな騎馬戦をたしなむのか

と思った一方で、暴力的な趣旨しゅしを感じ取り、これから始まることに対しての身慄みぶるいを感じないか、と言われれば、それは嘘であった。

 馬が二頭、連れ出されてきた。

えつさん。馬は一頭は残しておかないといけないから、貸せるのは二頭までだ。絶対に潰すんじゃないぞ」

 丁は念を押すように言った。

 魏越もそのことは重々承知している、という風に一度だけ首を縦に振り、馬のたづなを掴んだ。

 二頭のうち、ややいきり立っているあしげうまの方のたづなは、魏越がふしくれだった指の生えている右手で把握はあくした。

 比較して大人しいほうのあおげうまの轡は、魏貂の細腕に任せて邑外ゆうがいへと出た。

 少年は、馬の尻を追いかけていくだけ、というのも申し訳が立たないので

「俺が轡をきますよ」

と言ってみたが、魏越には

「俺たちに合わせて貰っとるんだ、慣れないことはさせられねえ」

などと言われたし、何より駽を引いている魏貂の目が鋭く、少年を嫌厭けんえんするが如く睨みつけてきたので、いよいよ出る幕はなかった。

 あずかりの身として大事にされているのか、はたまた遠ざけられているのか。

 何方いずれかもわからない不安ままに、気が付けば四人と二頭は、だだ広い野原の中にたたずんでいた。

 魏越は低く声を上げて馬の気勢をなだめると、わずかに辺りを見回したのちに、轡の端を少年に手渡して

「豎子、てめえは馬の乗り方もにたんと仕込まれてんだろ?乗ってみろよ」

などと言った。

 突然の言いつけであった。

 連れ立ってきた二頭の馬は、いずれも轡はあれどくらなんぞは無く、裸馬はだかうまのようなものであったし、何より、これまではごく個人的な楽しみの内だったものを、他人ひとに見られながらやるというのには、やや抵抗があった。

「いいから、まずは乗れ」

 魏越が肘を差し出してきた。

 要は、馬に乗るのを助けてやるから、ここに膝をせろと躰言たいげんしているのである。

 目上の者にここまでされれば、少年ものりを外れることはできず、魏越の肘に膝を載せて、なされるがままに、駽の背にまたがった。

「ほう。豎子、なかなかさまじゃねえか」

 魏越は、素直な感嘆かんたんってそう言った。隣の魏続も、純に光る目をこちらに向けている。

 ただ魏貂だけはそうでなく、がった松のような視線を向けており、染み出すやにに火を点けてしまえば、あとは勝手に燃え上がりそうであった。

 不穏に思わねばおおよ腑抜ふぬけだ、と思われるような目線を向けられながら、少年は馬の上で丹田たんでんに力を入れて、姿勢を正した。

 そうすると目がやや上向いて、遠くを眺望ちょうぼうするような気分になる。

「背もとんと立ってらあ。こりゃあ、教え甲斐がありそうだ」

 魏越が笑って言うと、己の子供たちに棒を持たせ、驄のかたわらによった。

 そして何の支えもなく、驄に飛ぶようにして乗った。

 魏越の動きは、がっしりとした腰回りからは想像がしがたいほどに軽いものである。

「よっしゃ。ちょう、棒を一本くれ」

 そう言われた魏貂は投げるようにして、魏越に一本の棒をくれてやった。

「あぶねえな」

 魏越の口ぶりから察するに、いつもはもっと丁寧に手渡すらしい。

 一方、少年のほうは何も持っていなかったが、魏続の方が父の動きからしかと物事を察したのか、手に抱えていた棒を、馬上の少年に手渡した。

 ただ一言

「がんばってね」

と、ぼそりと言いながらであった。

 いま、この場にはかちの子が二人と、馬上で棒を脇挟わきばさんだ者が二人いる。

 地に立っている二人の子は、ただ近景を望んでいるばかりで動かず、また馬上にいる二人のうち片方は、後の情景を脳裏に浮かべることが欠片もできず、目線をちょうがはためく様に動かすのみであった。

 この光景を目にした他者が第一に思うのは、騎馬した者どもが撃ち合う姿である。

 当然、当事者たる少年の脳裏のうりにも同じ光景が浮かび、ひとたび、おののいた。

──あの人と戦って勝てるわけがないだろう

 それが、少年の所感である。

 少年が対峙たいじしている魏越という男は、父と共にえびす寇掠こうりゃく幾度いくどとなく討ち払った経験を持つ、屈指の実力者である。

 しかも、得意とするのは騎馬での戦いであった。

 ここで思い切って突っ込んでみたとしても、きっと棒を振る素振りも見せぬままに、少年は地にすことになるだろう。

 魏越からも、そういった緊張が少年の顔相に映し出されていることを、感じていたらしい。

 少年を見据みすえていた目線を、僅かに外して破顔はがんして見せた。

「豎子、そう固くなんなよ。これからやんのはちょっとした遊びだ」

 魏越が言った。

 だが少年からしてみて、言葉を鵜吞うのみにすると、痛い目を見るだろうことは解っていた。

 だいいち、馬を駆ることに関しては母より教えられていたが、その上で棒をたずさえ、構えるなどということは、やったことが無い。

 つまり、不慣れなままに何かをこなせ、ということ自体が、少年にとっては何らかの危険をはらんでいることに変わりないのである。

 こうして、歳の割には姿を堂々とさせていたものの、心に迷いがあった以上、腰が引けていた少年に対して魏越が馬を進めてきた。

 やがて馬腹を横づけて、右手に持っていた棒をって背中を軽く叩いた。

「ま、ちょっと見とれや」

 そう言うと魏越が馬を駆け足させて、十五歩ほどの距離を少年から取ると、棒を地に向かって円弧させた。

 高い音が鳴ったかと思うと、少年の乗る馬の脚下に何かが落ちた。

 下を覗いてみると、握り拳にわずかか足らないばかりの石が落ちている。恐らくは、先の落下物である。

 いきなりのことであって、果たしてこの行為が、魏越の言っていた「遊び」に当たるのか、という疑問はあった。

 とはいえ、意味も無く石礫いしつぶてを叩き飛ばしてくるとも思えない。

 少年が魏越のほうに向かって、問いかけるような視線を送ると、魏越は嬉しそうに

「打ち返せよ。そうでないと撃鞠げききくとは呼べねえ」

と大声を上げた。


 撃鞠とは、いわゆる馬球ポロのことである。

 馬の背に乗った者たちが、場内を駆け巡り、まりを追う。そして携えた打面付きの棒を以って鞠を撃ち、四面のうち、一面の端に置かれた球門に球を打ち込んだ物を、勝者とする。

 馬球は今日日きょうび亜爾然丁アルゼンチン英国イギリスの競技として認識されることが主ではあるが、もともとの起源は、紀元前六〇〇年代の波斯ペルシャとする説がおおよそであり、亜細亜あじあ世界にも馬事文化さえあれば、広がりを見せていたようである。

 そこから吐蕃とばんを経て中原ちゅうげんに伝わったとわれ、中原にいては隆盛りゅうせいとう代まで待つことにはなるが、起源から考えると、夷狄いてきの流入も多かったであろうこの時期の、北辺地域に伝わっていなかったとは言い切れない。

 ちなみに現代の話ではあるが、この撃鞠という競技名を引用するときに、曹操そうそうの五男である曹植そうしょくのこした詩歌のうち、特に中国語のこうにて

明都けいとへん

「連翩撃鞠壌、巧捷惟万端」

という文章が、中国古代世界に於いて、馬球に当たる遊戯ゆうぎが、少なくとも貴族間の内にて愛好されていた証として提示されることがあるが、漢詩における一般理解のうちに読み下してみると

「撃チタル鞠ハ壌を連翩レンペンシ、巧捷ニシテコレ万端ナリ」

即ち

「撃った鞠は地の上を不規則に跳ね、その様は軽やかで(鞠に彫り込まれた)種種の絵柄を見せている」

と言っているに過ぎず、馬に乗っているとも、棒を使っているとも書かれてはいない。

 この十字は、鞠の様に合わせて、以前の華美な生活を刹那せつなてき享楽きょうらくであったと切なく含意がんいする文であり、決して馬球のことを言っているのではない。

 その事実があってなお、本文中で

「撃鞠」

と称したのは、あくまで馬球ポロではなく、中原世界で好まれている遊戯という性格を持たせるためである。


 さて、魏越によって撃ち込まれた石礫の行方を目に留め、そして打ち返すように要請された少年は、馬を僅かに斜めに歩かせると、石を自らの身の左側に置いて、棒を振り被った。

 この間にも、馬は落ち着いて静止することをせず、背を揺らしていたが、少年ははらの下の辺りに力をめつつ、腰をやわいで上躰じょうたいを固定し、肩を回し、しっかりと石を見据えると

──今だ

と思ったその時に、一気に棒を後ろ側から振り下ろした。

 高い音が鳴り、目の先にあった石が飛んでいく。

 少年は魏越の側に向けて弾いたつもりだったが、目で追えた石は大きく左側にれていった。

 魏越は驚いた顔を見せず、むしろ

──そんなものだろう

と納得している顔を以って、少年を見ていた。

 父と母に武術を習って、多少なりとも技量に自尊心を持っていた少年は、逸れていった石を見て、己の下手糞さに落胆した。

 しかし、魏越の表情を目の端に見たことで、その心を擁護ようごされたような気がした。

「最初はどんなに達者でもそんなもんだ」

 近寄ってきた魏越がそう言った。

 どれだけ己のみちを築いて来た者だったとしても、いやそれだからこそ、一歩その軌道から外れれば化外けがいの地にいるのだと心掛けろ。そう言われたようなものである。

 少年はじた。

 ひとつの石に収束していた視界を広くさせると、横にいた魏続と魏貂が確かに見えた。

 魏続は未だ、己の自我を確実さを以って保持していなかったから、少年の失敗を見ても貌色を、意思めいて変えることこそ無かった。

 対して魏貂のほうは口の端を上げていた。明らかに少年に優越の情をもっていたことが、わかるかおであった。

 そのことを父たる魏越も認めたらしく、果たして二言目に

「貂、続。俺は布と話してっから、お前らでやっとけ」

と、打切棒ぶっきらぼうに告げた。

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