Round.18

 人生には特別な日がある。一生に一度の、忘れられない日。すべてが輝いて見える、奇跡のような一日がある。

 カミラが目を覚ましたのは、いつもより早い時間だった。窓から差し込む朝日が部屋を金色に染めている。カーテンの隙間から見える空は、雲ひとつない快晴だった。まるで今日という日を祝福するかのように、青く澄み渡っている。


 そして、不思議なことに。窓の外では小鳥たちが歌っていた。まるでカミラのために祝福の歌を捧げるかのように。蝶が舞い、花々が一斉に開く。春なのに、冬の花も、夏の花も、秋の花も同時に咲き誇っていた。


 これは魔法だろうか?

 カミラは窓に駆け寄り、外を見た。庭園が虹色に輝いている。この世のものとは思えない美しさだった。


 今日は結婚式。

 カミラはゆっくりと体を起こした。心臓がドキドキと鳴っている。緊張と期待と幸せで胸がいっぱいだった。

 ついに、この日が来た。アシュラン様と正式に夫婦になる日が。


 ノックの音が響く。

「カミラ様、お目覚めですか?」

 マーガレットの声だった。

「はい」

 カミラが答えると、ドアが開いてマーガレットと侍女たちが入ってきた。皆、嬉しそうに微笑んでいる。


「おはようございます、カミラ様」

 マーガレットが優しく言った。

「今日は素敵な一日になりますわ」


 そう言って彼女が手を軽く振ると、部屋中に光の粒が舞った。キラキラと輝く光がカミラを包む。

「ありがとう、マーガレット」

 カミラが微笑む。

「さあ、準備を始めましょう」

 マーガレットが手を叩いた。すると侍女たちの手に魔法の光が宿る。

「今日のカミラ様は誰よりも美しくなくてはなりませんもの」




 侍女たちがカミラを囲んだ。まず、バスルームへ。薔薇の花びらを浮かべた湯船に、ゆっくりと浸かる。ただの薔薇ではない。触れると、ほんのりと光る魔法の薔薇だった。湯に浸かると疲れが消えて、肌が輝き始める。

 髪を洗うと、シャンプーの泡が虹色に光った。魔法をかけられた香油。洗い流すと髪が絹のように滑らかになる。


 バスルームから出ると、部屋にはウェディングドレスが用意されていた。

 白い、美しいドレス。だが、ただの白ではない。光の角度によって虹色に輝く。まるで月明かりを纏ったような幻想的なドレスだった。


 シルクとレースで作られた繊細なドレス。胸元には小さな真珠が縫い付けられている。いや、よく見ると真珠ではない。小さな光る宝石。魔法の石だった。

 スカートはふんわりと広がり、裾には銀糸で花の刺繍。その花がゆっくりと動いている。まるで風に揺れるかのように。よく見ると、刺繍の蝶も羽ばたいていた。


 カミラは息を呑んだ。

「綺麗……」

「アシュラン様が特別にお選びになったのですわ」

 マーガレットが言った。

「王家に代々伝わる魔法のドレスです。このドレスを纏った花嫁は生涯、幸せになると言われています」


 カミラの胸が温かくなった。

 侍女たちがカミラにドレスを着せていく。まず薄衣(シミーズ)。次にコルセット。そしてペチコート。最後にウェディングドレス。


 ドレスを纏った瞬間、カミラの周りに光の粒が舞った。キラキラと輝く小さな光。まるで妖精たちが祝福しているかのようだった。


 鏡を見る。そこには美しい花嫁が立っていた。ドレスがほんのりと光っている。まるで月の女神のように。

「まあ……これが私……?」

「はい」

 マーガレットが微笑んだ。

「とてもお美しいですわ、カミラ様」


 次は髪。赤い髪を丁寧に整える。編み込んで、そこに魔法の花を飾る。白い小さな花。触れると、ほんのりと光る。生きているかのように香りを放つ。ベールを被せる。薄い白いベールがカミラを包む。このベールも魔法がかけられていて、風がないのにゆらゆらと揺れていた。


 化粧も施される。でも、ただの化粧品ではない。魔法の粉。頬に、ほんのり紅を。塗ると内側から輝くような血色になる。唇に薄く色を。触れるとまるで薔薇の花びらのように柔らかくなる。目元に優しい影を。瞬きするたび、キラリと光る。


 全てが終わった時、カミラはこの世のものとは思えないほど美しい花嫁になっていた。

「カミラ様」

 マーガレットが涙を浮かべた。

「本当に……お美しい。まるで妖精の姫のよう」

「ありがとう、マーガレット」

 カミラが微笑む。




 式場はまるで夢の中のようだった。

 王宮の大広間。でも今日は普段とはまったく違う。


 天井は高く、シャンデリアが輝いている。いや、ただ輝いているのではない。シャンデリアの光が虹色に変化している。まるでオーロラのように。

 壁には白い布が飾られている。その布がゆらゆらと揺れている。風がないのに。まるで生きているかのように。

 床には赤い絨毯が敷かれている。その絨毯の上を歩くと足跡が光る。キラキラと星のように。


 そして花。たくさんの白い花。薔薇、百合、カスミソウ。でも、ただの花ではない。全ての花がほんのりと光っている。まるで月の光を宿しているかのように。花びらがゆっくりと宙に舞っている。重力を無視して、ふわふわと。甘い香りが広間を満たしている。その香りに魔法が込められている。嗅ぐと心が穏やかになり、幸せな気持ちになった。


 人々が席に座っている。貴族たち、騎士たち、侍女たち。皆、カミラの到着を待っている。


 そして、祝福の回廊の先に――アシュランが立っていた。

 白い礼服。プラチナブロンドの髪が光に輝いている。まるで太陽のように。サファイアブルーの瞳がカミラを見つめている。その周りにも淡い光が漂っていた。王族の血に宿る魔法の光だった。


 カミラが扉から入ってきた瞬間、広間全体がパッと明るくなった。まるでカミラの登場を祝福するかのように、花々が一斉に輝きを増す。


 アシュランの目が見開かれた。息を呑み、ただ彼女を見つめた。時間が止まったかのようだった。

 カミラが歩き始める。祝福の回廊を。ゆっくりと、一歩、また一歩。

 歩くたび、絨毯の上に光の花が咲く。宙には虹色の蝶が舞い始める。


 カミラの視線は、ただアシュランだけを見ていた。

 アシュランもまた、彼女から目を離せなかった。

 ようやくこの日を迎えられたのだと、胸の奥でそっと呟く。

 長い年月、恐れと理性に縛られていた心が、いま静かにほどけていく。


 カミラが祝福の回廊の先に辿り着いた。

 アシュランがカミラの手を取る。温かな手。

 その瞬間、二人の手から光が溢れた。淡く優しい光。二人の魔力が共鳴している。


 人々が息を呑む。

 それは王家に伝わる伝説――真実の愛で結ばれた者同士だけが起こす、奇跡の光。


 二人は向き合った。宮廷祈祷師が前に立つ。

「本日、ここに」

 宮廷祈祷師が厳かに言った。

「アシュラン・オークレインと、カミラ・リラリエが結婚の誓いを立てます」


 静寂が広間を包んだ。


 宮廷祈祷師が進み出て、白金の杖を掲げる。

「本日ここに、アシュラン・オークレインとカミラ・リラリエが婚姻の誓いを立てる」


「アシュラン・オークレイン。汝はカミラ・リラリエを妻として迎え、健やかなる時も病める時も、喜びの時も悲しみの時も、富める時も貧しき時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助くると誓うか――星々が見守る限り、この手を離さぬことを誓うか」

「誓います」

 その声が高らかに響き、天井の光がひときわ強く輝いた。


「カミラ・リラリエ。汝はアシュラン・オークレインを夫として迎え、健やかなる時も病める時も、喜びの時も悲しみの時も、富める時も貧しき時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助くると誓うか――星々が見守る限り、この手を離さぬことを誓うか」

「誓います」

 涙がこぼれる。祈祷師の微笑とともに、二人を包む光が深まった。


 指輪の交換。プラチナの指輪の内側には、古代語で「永遠の愛」と刻まれている。

 指輪が触れた瞬間、二人の間に淡い虹色の糸が生まれた。それは“魂の絆”――二人の魔力が永遠に結ばれた証。


「神と列席者の前で、二人は夫婦となりました。――新郎は新婦に口づけを」

 アシュランがベールを上げる。薄布がふわりと舞い、光の粒がこぼれ落ちた。

 頬に手が触れ、唇が触れ合う。

 優しく、深く、永遠を誓うように。


 その瞬間、広間が虹色の光に満たされた。花々が輝き、光の蝶が舞い、天井から星の雨が降り注ぐ。拍手が沸き起こるが、二人の世界には互いの鼓動しか存在しなかった。




 披露宴が始まる。

 テーブルには魔法の料理が並び、食べるほどに幸福感が広がる。楽器は宙を漂い、音楽が空気を磨くように響く。

 人々の笑顔が花のように咲き、祝福の声が絶えなかった。


 ライネルがスピーチに立つ。

「アシュランはいつもカミラを見てた。カミラもずっとアシュランを慕ってた。だから、今日を見られて本当に嬉しい。幸せになれよ!」

 拍手が起こる。

 ルシアンも一言、「末永く、お幸せに」と告げる。それだけで十分だった。


「新郎新婦、最初の舞を」

 アシュランがカミラに手を差し出す。

「踊ろう」

 手を取って、二人は中央へ。音楽が流れ、静かなワルツが始まる。

 腰に手を回され、肩に手を置く。

 ゆっくりと、二人だけの世界で踊る。

 ステップを踏むたび、床に光の花が咲く。ドレスの裾が広がり、星屑が散った。


「やっと、君は僕のものになった」

「心は、ずっと前から貴方のものでしたわ」

 アシュランが笑い、カミラも笑う。

 最後の旋回で、光の蝶がひとひら、二人の周りを舞った。


 曲が終わると拍手が湧き、アシュランはカミラを抱き寄せて再び口づけた。

 天井から光の花びらが降り注ぎ、祝福の歓声が響く。――完璧な結婚式だった。




 披露宴が終わり、静寂が戻った王宮の夜、アシュランとカミラは二人だけの部屋にいる。

 カミラはドレスを脱ぎ、白いナイトガウンに身を包む。髪を下ろし、鏡に映る自分を見つめた。――もう、妻の顔だった。


 扉が開く。白いシャツ姿のアシュランが立っている。

「やっと二人きりだね」

「ええ」

 手を取られ、唇に軽い口づけが落ちる。その瞬間、また淡い光が漂った。

「今日は疲れただろう。ゆっくり休もう」

「でも……今日は……」

 カミラが頬を染める。

 アシュランの瞳が優しく、しかし熱を帯びて光る。

「そうだね。今日は特別な夜だ」

 抱き上げられ、ベッドに降ろされる。

「カミラ」

「……はい」

「愛してる」

「私も、愛していますわ」


 月明かりが二人を照らし、部屋を包む魔法の光がゆらめいた。

 幼い頃から抱え続けた恐れも、罪も、独占の影も――すべてを乗り越えて。

 今、二人はひとつになった。



 ――長かった婚前交渉バトルも、ようやく幕を下ろす。

 次の章で、二人の物語は“夫婦”として新たに始まる。

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