第3話
*
ぐるぐると、体内に気持ちの悪いものが循環していた。粘ついた何かが指の先で折り返し、胴をめぐり、足先に行き着いては戻ってくる。身体中をぐちゃぐちゃにされる感覚に、ユリシアはある種酔っぱらったかのような感覚に陥っていた。
気分が悪い。それに尽きる。暴力的な衝動は少し落ち着いたが、気分の悪さだけが取り残されている。
(気持ち悪い……)
起きてしまいたいのに、指一本動かせない。楽な体勢になりたいのに、寝返りも打てない。自身が横になっているということは分かるのに、目も開かないからどこに寝かされているのかも分からなかった。
「殿下、入ります」
聞き覚えのある声がする。可愛らしいトーンはユーリスのものである。
「……わあ、ユリシアの状態、劣悪ですね。どす黒い魔力がぐるぐるしています」
「まだ目覚められないか」
「はい。今起こしてもすぐに暴走しますよ」
なるほど、ユリシアの体をめぐる粘ついた何かは、どうやら魔力だったらしい。これを飼い慣らさない限りユリシアはずっと動けないということか。
「ウィシュアくんも会いたがっていましたよ。会わせてあげたらいいのに」
「あいつは三年期でも一緒に居ただろ。俺は散々だったんだよ」
「まあ確かに。そういえば、ハウンド・ラックさんをお咎めなしで国に帰したから、ハリウスはもうアルシリウスに頭が上がらないって感じでしたね」
「今回のことでアルシリウスがクライバーンのバックにいると分かっただろ」
「優しいんですねぇ」
ユーリスの言葉に、彼は何も返さない。
「クランくんもマルクくんも、リナリアさんも心配していましたよ。クランくんはアカツキのことを知っていて、ユリシアさんのことにも少し気付いていましたし……いつまで独り占めにします?」
「……どちらにせよ、封印が解けるようになるまでは王宮で面倒を見ることになる。王宮には気軽に来られないからな」
「なるほど……?」
ユリシアはどうにか指を動かそうと試みた。しかしピクリとも動かない。気分の悪さを訴えたいのに、暴れだしたくて仕方がないのに動けないというのはほとんど拷問だ。
すると、ユーリスがユリシアの変化に気付いた。ユリシアは動いていない。まぶたも揺らしていない。けれどもユーリスはユリシアをじっと見下ろし、その全身を確認する。
「……ユリシアさん、意識あるの?」
「なに? 起きてるのか?」
「確信はありません、直感ですが……きっと、白魔法を宿しているシウォンさんならすぐに分かりますよ」
「……俺も一応属性のない魔力はあるんだが……まったく分からない」
「基本的に魔法はどちらかの属性には入るんですけど……どちらもちょっとずつ使える、属性のない魔力なんて聞いたことがありません。本当に興味深いお方ですね」
――シウォンくんの声がする。
ユリシアは気分の悪い中、聞こえてくる声に耳を傾ける。
間違いなくアグドラの声だった。アグドラとユーリスが話している。
「……二人にしてくれるか」
「分かりました。……報告です。学園は王宮からの圧力で口を閉ざします。教諭も、殿下の素性については公表まで黙っていることを誓約しました」
「……シウォンが報告に来ないのはリナリアに付きっきりだからか?」
「その通りです。リナリアさん、ユリシアさんが心配で不安定になっているので」
「盲目だな、主人より恋人とは」
「リナリアさんは一応殿下の婚約者ですよ」
「一応な。結婚するつもりは毛頭ないが」
彼の呆れた声に、ユーリスは「そうですね」と苦笑を漏らして頭を下げた。どうやら退室するようだ。
(サリハくん、一人で来たのかな……動くと危ないから心配だなぁ……)
ユーリスは何もないところで平気で転ぶし、何もないはずなのになぜか花瓶が降ってくる。何もなければいいなと願ったところで、「おい」と、彼の声がユーリスを追いかけた。
「転ぶなよ。おまえが動くとこいつが心配する」
ユーリスが振り返る。そして抱いていた大きなぬいぐるみを見せつけた。
「このぬいぐるみに守ってもらうので大丈夫です。ユリシアさんも心配しないでね」
ユーリスの元気な声を聞いて、ユリシアは心の中で微笑んだ。
*
朝六時。
アルシリウス国の王宮内では使用人がすでに仕事を始めており、シルヴィアネ・リリングレーもまた、早足にユリシアの眠る部屋に向かっていた。
シルヴィアネはかつて、夫のフィルディア・リリングレーと共にユリシアの暮らすアパートの左隣に住んでいた。もちろんユリシアの護衛のためである。
万が一にでも、ユリシアがかつて世界を恐怖に陥れた魔法と同じものを宿しているとバレた場合、ハリウス国からだけではなく、多くから命を狙われる危険性があった。シルヴィアネたちはクライバーンの精鋭である。
「シルヴィアネさーん、ユリシア様のところに行かれるならご一緒しますー」
途中、シルヴィアネとは反対隣に住んでいた夫婦の妻、ツェリ・ヴィレインが合流した。
二人はアルシリウスで眠っているユリシアの、専属の使用人兼護衛として残っている。
「おはようツェリちゃん。あなたたちも、変わるから寝てきなさいな」
目的の部屋の前には、彼女らの夫たちが立っていた。
大柄で筋肉質な男がツェリの夫であるルセフ・ヴィレイン、もう一人の美丈夫がシルヴィアネの夫のフィルディアである。
「昨夜も異常はなかったよ。あとは頼むね。行こう、ルセフ」
フィルディアの言葉に、ルセフはもの言わず頷く。
ルセフは強面だ。突っ立っているだけで威嚇になる。そのため、ルセフが居れば王宮内であるというのに誰も周辺には近寄らない。護衛という名目で言えば上出来である。
シルヴィアネとツェリは部屋に入ると、真っ先にすべてのカーテンを開けた。今日も快晴だ。代わり映えなく青空が広がり、鳥のさえずりが届く。
「――もう二年が経つんですね」
王宮から見えるアルシリウスを眺めていたシルヴィアネの後ろから、ツェリがやってくる。
「……あっという間ね」
「ユリシア様も、眠っているのに顔立ちが少し大人びたと思いません?」
「そうね。閣下も喜んでいらっしゃるわ」
「……結局、ユリシア様はセヴェリ陛下とは何の関係もなかったんですかね」
部屋の掃除の準備を進めながら、ツェリが何気なく問いかけた。
「だけど、瞳も髪の色も同じで、黒魔法も使えるなんて……共通点が多すぎます。顔立ちもどことなく似ているとかありません?」
「シュリア王妃にはお子様はいらっしゃらなかった。セヴェリ陛下のご親族も、例の事件ですべて失われたはずよ。だけど閣下は信じているのよ。生まれ変わったんじゃないかって」
「……生まれ変わり……」
シルヴィアネはユリシアの着替えを丁寧におこないながら、掃除を始めたツェリに微笑みかける。
「おかしいとは思わない? 素質持ちは多く居るのに魔力持ちはなかなか生まれないこの世の中で、同じ年代に三人も集まったなんて」
「……白魔法を持つ者が生まれたから、黒魔法を持つ陛下も生まれかわれたってことですか?」
「そういうことね」
ユリシアの着替えを終えた頃、ちょうど朝の軽い掃除も終えた。
「ところでアクラウドさんは何してるんです? 王宮に来ませんでしたけど……」
「フィルいわく、彼は閣下とこちらの連絡を取り持ってくれているらしいわよ。なんでも、一箇所に留まり続けることに学園生活でもう懲りたんですって」
「ユリシア様と学園生活を一緒に過ごせたっていうのに、なんて贅沢な!」
「ふふ、彼は素直じゃないから。さぁツェリちゃん、次の支度に行くわよ」
「はーい」
二人は最後にユリシアの眠る顔を見つめ、満足そうに部屋から出た。
「君はいつまでここに居るつもりだ?」
真っ白な木があった。見たこともないほどに大きなその木の下には、ユリシアとかつての王、セヴェリが立っている。
ユリシアは気がつけばここにいた。どこかは分からない。だけどこの空間でなら自由に動けるから、動けない上に気分の悪くなる場所に居るよりはと、こちらに居ることが多くなっていた。セヴェリは少し迷惑そうだが。
「この木って何ですか?」
「……俺も知らない。だが、魔力の素ではないかと思っている」
「素?」
「ここから魔力が溢れ、俺や君に与えられた」
「真っ白なんですね」
そう聞くくせに、興味はなさそうだ。
「本来、魔力に色はない。白や黒と付けるのは我々人間だ」
「……あなたはここで何を?」
ユリシアにとって彼は初対面であり、まったく知らない人物である。黒魔法を宿していたということも知らないはずなのだが、ユリシアはなぜか彼に親近感を抱いていた。
「ずっと居るわけじゃない。君が来たから俺も来たんだ」
「? 私を知っているんですか?」
「知っている。ずっと見ていたからな」
しかしユリシアには見覚えのない顔だ。
瞳と髪の色は同じである。ユリシアの色はあまり見ないものだから珍しくはあるけれど、ユリシアに親戚が居たのかも分からないから何とも言えなかった。もちろん父親というわけでもない。ユリシアの父は彼のようにキリッとした顔つきではなかった。
「君の先祖が俺の妹にあたる。君は妹にそっくりだ」
「あなたは叔父さんということですか?」
「……そうだな。君が妹の子ならば俺は叔父になる。実際は間に何代も挟んでいるから正確な関係性は分からないが」
それでは、ユリシアの両親のどちらかが彼の妹の子孫ということになる。けれど、ユリシアや彼のような色はしていなかったはずだ。先祖返りというやつだろうか。
「君がもし魔力を持っていなければ、ご両親から魔力について教えられていただろう。魔力の確認方法は継承されている。だが君は魔力を有していた。だからご両親は恐れ、君に魔力のことを意識させないようにと触れなかった。……俺の血族の生き残りは現代ではもう君たち家族だけだったんだ。代々、俺の血族から生まれる魔力持ちは『呪われている』と伝えられているからな。怯えるのも当然だ」
「……そっか。だから私、両親から嫌われてたんだ」
「……嫌われていたわけじゃない。愛されていたよ。ただ、自分の子が魔力を持っているという畏怖が、彼らを狂わせてしまっただけだ」
ユリシアには両親の記憶がほとんどない。毎日喧嘩ばかりをして、ユリシアのことを嫌っていたということしか分からないから、愛されていたと言われようとも心が動くこともない。
ユリシアのことだというのに、なぜかセヴェリが少し寂しい顔をしていた。
「しかしまさか、ヴィルスィリスの末裔が君を保護するとはな。リリングレーもヴィレインも、あのアクラウドまで、まだヴィルスィリスと共に居たとは」
「? ヴィル……?」
「君は案外守られていたということだ。……今回のことも。アルシリウスの王太子が賢く立ち回っていた。悪夢が繰り返されなかったのは彼のおかげだよ」
「殿下が?」
「あー、きみが思っているほうじゃない彼だな」
それではますます分からない。ユリシアが訝しげに眉を寄せるのを、セヴェリはただ笑うだけである。
「……仕方がないな。可愛い妹の子孫であるきみに、とっておきのことを教えてやろう」
「ええ、いいですよ。なんか面倒くさそうだし」
「まあ聞きなさい。……魔力は生き物だ。使い方によって、善にも悪にもなる。悪いと思われる部分の多い属性のものであっても、扱いかた次第でひっくり返る」
「つまり?」
「ただ眠っているだけでなく、その間に魔力を飼い慣らせ。そうすれば早く目覚められるだろう」
そうだ、ユリシアは眠っているのだ。
そんなことも忘れてしまうほど、もう長い間この場所に来ては帰っている気がする。
しかし、意識をあちらに戻せばまた気分が悪くなる。ぐるぐると身体中を巡る何か。ユリシアはそれが苦手だ。
「コツとかあります?」
「莫大な魔力を持て余しているということもあるから、まずは慣れることじゃないか?」
「慣れませんよあんなもの……」
「まあそう言わず、意思の疎通を図ってみろ。魔力は生き物だ。こちらから歩み寄れば、きっと何かしらのアクションが得られる」
「……私がうまく魔力を飼い慣らせば、目覚められるんですか?」
「もちろん。今は魔術で封印されているだけだ。安全だと分かればそれは解かれる」
みんな心配しているから、君も努力しなさい。
セヴェリはそう続け、ユリシアの言葉を待つように口を閉じた。
ユリシアは少し考えていたが、少しあとには渋い顔をしながらも、ゆっくりと一つ頷いた。
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