第5話


 その日の昼休憩は、ユリシアとウィシュアの二人だった。

 そんな日がないわけではない。リナリアはよくシオンとご飯を食べているし、クランもなんだかんだ友人が多くどこかにフラフラと消える。

 別にウィシュアが嫌いなわけではない。ただ、まだ返事をしていない手前、少しだけ気まずい気持ちがあるから、二人でご飯を食べるのは極力避けたいところではあった。

 ユリシアは思わずウィシュアを見る。ウィシュアは「なんだよ」と眉を寄せた。

「今日は裏庭に行かねえ?」

「……教室でいいんじゃないかな?」

「んー、今日は裏庭の気分なんだよ」

 強引に腕を引かれ、教室から連れ出された。こうして無理に連れて行くのなら最初から「行かねえ?」なんて聞かなければ良いものを。ユリシアは不服ではあったが、足がもつれないようにと渋々ながらについて歩く。

 途中、アグドラの教室の前を通ったが、アグドラはやはりイリシスと共にいた。ここ最近ずっとあの調子である。ユリシアと話すことはなくなり、イリシスとばかり一緒にいる。見るたびに打ち解けているように思えるから、もしかしたらもう何かが始まっているのかもしれない。

 なんとなく面白くない。胸中のモヤモヤから目を逸らし、ユリシアはウィシュアに続く。

「ここも結構使ってるな」

 裏庭についてさっそく、ウィシュアはいつもの場所に腰掛けた。

「……お前さ、あからさまにオレのこと意識しすぎじゃないか?」

「…………してるつもりないけど」

「なら座れよ。いっつもここに座ってただろ」

 いつまでも突っ立っているユリシアを見かねて、ウィシュアがため息混じりに隣を指す。ユリシアは腑に落ちない顔をしながらも、言われた通りの場所に座った。

「別に返事とか期待してねえよ。どうせ恋人がいるから困ってるとかそういうのだろ」

「……いや、返事ってどうすればいいのかなと」

「はあ? そんなことかよ」

 持ってきていたサンドイッチにかぶりつきながら、ウィシュアは大きく肩を落とす。

「お前、あいつのことが好きで恋人やってんじゃねえんだろ。だからそれが無くなってからでいい。今は体裁とかあるだろうしな」

「無くなってからって?」

「卒業して、結婚を考えられるようになったらってことだな」

 だけどそれでも、ユリシアの答えは変わらない。

 このままではいけないなと、ユリシアは深く息を吸い込んだ。

「……今はもちろんだけど、卒業してからもそういうことは考えられないよ」

「結婚ってことか」

「うん」

「……ま、今はそれでいいよ」

 一応断ったつもりだったのだが、「今は」ということはうまく伝わらなかったということか。

 ウィシュアがユリシアとアグドラの仲を偽装だと疑っている以上はどうにもならないのかもしれない。国へ帰ることを言い訳にしようにも「結婚をすれば残れる」と言われるし、何を言えば響くのかも分からなくなってきた。

「……ウィシュアはどうして結婚にこだわるの?」

「こだわってるのはお前だろ」

「? 私が?」

「卒業したら国に帰るって言ってたからな」

「あー、なるほど……」

 つまり、ユリシアをアルシリウスに留めるための手段が「結婚」だったというわけか。

「でも、別に二度と会えなくなるわけじゃないよ。クライバーンに帰っても遊びにくるし」

「んー……そうじゃなく」

 ウィシュアは言葉を選ぶように、少し間を置いた。

「……お前も知ってると思うけど、オレとクランはずっと二人だけの世界で生きてきて、この歳でようやくその世界が狭かったことを理解できた。他人から見れば『そんなこと』でも、オレたちにとってはかなり衝撃的だったんだ。そのきっかけを作ってくれたのがお前だった。だからオレたちにはお前が必要で、側に居られたらとも思う」

「それで結婚って、飛躍しすぎだよ。ウィシュアに好きな人ができたとき、絶対後悔するよ」

「? 別にしないけど」

「……んー、難しいね。そのうち分かると思うけど」

 今のウィシュアに何を言ってもきっと分からないのだろう。そう思ったから、ユリシアはもう何も言わなかった。

「やっぱり二股してたんですねぇ」

 ひと気のない裏庭に、突然イリシスが現れた。

 ユリシアもウィシュアも反応が遅れた。気配が少しも漏れていなかったのだ。

「いつからそこに……?」

「聞かれてまずいことがあったんですかぁ? だけどそぉですよねぇ。アグドラくんがいながら、まさかそっちの彼と結婚の話をしてるなんてぇ」

 ユリシアはその気配のなさに驚いて「いつから」と聞いたのだが、イリシスには違って聞こえたようだ。

「何をどう勘違いしたのかは知らねえけど、オレはフラれてんだよ。二股のほうがまだマシだな」

「えー、でもユリシアさん、キッパリは断ってませんよねぇ。なんだかキープしてるみたいで感じ悪ぅい」

「だからキープのほうがまだマシだって」

「あは、だけど安心しましたぁ。わたし、アグドラくんのこと好きなのでぇ、遠慮しなくていいってことですよねぇ」

「……遠慮って?」

「それじゃ、失礼しまぁす」

 遠慮なんかしていたようには見えなかったのだけど。

(シウォンくんも自分の仕事のためにこの学園にいるだけで、相手にされるわけがないのに……)

 イリシスが立ち去ったのを見送り、ユリシアは肩の力を抜いた。

「ごめんウィシュア。また変な噂になるかも」

「オレがフラれたって噂か」

「……私、ハウンド・ラックさんになぜか嫌われてるみたいだから、私にとって都合の悪い噂になると思う。ウィシュアはたぶん、私にキープされて弄ばれてる可哀想な存在にされる可能性があるかなって」

「ふん。そんな存在のほうがいいよ」

「冗談。ウィシュアのこと、そんなふうに思いたくないよ」

 ――ユリシアはこれまでにたくさんの業種の、たくさんの人種と出会ってきた。綺麗なものばかりではない。綺麗なままでもいられなかった。だから心はいつも荒んで、すっかり暗がりに慣れてしまった。

 綺麗なものも美しく思えない。綺麗なものからは疎遠になり、そして気がつけば他人がどうしようもなく汚いものに思えた。

 けれどもこの三年、学園に通い始めてからはそんな世界とも離れ、綺麗なものが美しく思えるようになった。

 ユリシアにとって、リナリアやウィシュアはかけがえのない存在である。クランもユーリスもアグドラも、騎士学で出会うたびに面倒くさく絡んでくるマルクだって、ユリシアにとっては「美しい」ものである。

 ユリシアはこの仕事を終えてもきっと、学園で過ごした日々を忘れないだろう。

 彼らにどれほど恨まれ、憎まれることになろうとも、たとえ彼らが命を落とそうとも、ユリシアの中では何も変わらない。

 ユリシアはこの美しいと思えた光景を抱き、罪を背負って生きるのだ。

「……やられっぱなしでいいのかよ」

「私別にハウンド・ラックさんと喧嘩したいわけじゃないし」

「あっちは喧嘩したくてたまらないって感じだったけどな」

「どうだかね」

 イリシスの真意は読めない。ユリシアに敵対したいのはそうなのだろうけれど、はたして喧嘩をしたいと思っているのだろうか。

(……最近シウォンくんとも話してないけど、大丈夫かな……)

 ユリシアへのあてつけにアグドラが利用されているのならば申し訳ない。アグドラがイリシスのことを本気で好きになっているなら尚更だ。

 ユリシアの眉がピクリと微かに揺れる。けれどもユリシアは気付かなかった。

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