第34話《私は誰のために歌うの?》

 『Monochrome Queen』のイントロが流れ始める。佐沢 優奈はステージ中央に立ち、観客席に背中を向けて直立した。マイクを軽く包み込むように握った。


(──祐奏さんが控えている。100点以外では、絶対に勝てない)


 デュエットして実感した。絶対音感を持つ自分だが、祐奏の音程は「正解の範囲」の常に真ん中。自分とは精度が違うのだと感じる。


(違うっ! 勝ち負けじゃないの。番組で碧さんに言われたことを、思い出せっ)


 優奈はプロ歌手で、卓越した歌唱力を持つ、南城 碧(なんじょう・みどり)との対決を思い出していた。人気カラオケ歌番組「歌うまコロシアム」で、優奈は碧と6回対決している。最初に99.716点を取ったけど、100点を取られて敗北。


 それから、お互い100点を取っての引き分けが4回、先日、初めて勝利して「番組最強」と優奈が呼ばれるきっかけとなった。


 碧は、番組が終わった後、楽屋で初めて勝利したことで泣いてしまった優奈を抱きしめた。そして「ついに負けてしまいましたねぇ。貴女はもっと上を目指せる子だから、わたしとしては、壁となって立ちはだかり続けたかったのですけど」と囁く。


「上を、目指せるんですか!?」


 番組ではライバルだが、芸能界で圧倒的実績を持つソロシンガーが、南城 碧。憧れの人の思わぬ言葉に、優奈は思わず聞き返した。


「あ、はい。例えば……ですねぇ」


 碧は優奈の発声のくせを実演して見せ『鏡の部屋は、問いかける』と歌う。


「ここなのです。力、入れすぎちゃってます。押すんじゃなくて、伸ばすの。喉をぎゅっと固めるとね、音は正確でも色が死んじゃうのです。ほら、胸からふわっと息を流してみて、ねっ?」


 優奈が真似してみると、声がふわりと伸び、世界が変わって聞こえる。


「余力を残すと、最後の一音で世界が変わるわぁ。“言葉”を歌うの。点数は技術で取れるけど、心は演技で届くと思うのです。だから、演技力ですかねぇ。女優か声優のオーディションへの参加はいかがでしょう? せっかく、可愛いんですし」


 そう言ってふわっと笑った。11歳の時から、6年間、カラオケ採点の精度を上げるために、できる限りのことをしてきた優奈にとって、それは驚きの一言だった。


「碧さん、なんで、対戦者の私にそんなことを教えてくれるんですか」


 優奈が真摯に言ったので、碧はゆるやかなウェーブのロングヘアを揺らして、少しおろおろする。もう26歳なのだが、雰囲気が癒し系で何歳かわからない。少したれ目で、名前通りグリーンのカラーコンタクトを入れた瞳が、困惑に揺れた。


「あら!? そこぉ、疑問に思うのねぇ」


 南城 碧はおっとりした口調で、セージグリーンのドレスの胸元を触った。古いオペラ座のロゴが入ったスカーフが巻かれ、音楽への造詣の深さを感じさせる。ドレスはシフォン素材の、流れるようなAラインのデザインだった。


「歌が、好きだからよぉ。いい歌を聴きたいでしょう? 対戦者が上手くなったら、もっと楽しいでしょう? 番組を見ている人も喜ぶわぁ」


「楽しい、ですか」


 優奈には衝撃だった。100点を取らねばならないと、点数を出すために余暇時間の全てを歌に費やしてきた彼女には「楽しむ」という発想はなかったからだ。


「そうよ。歌って"自分だけのもの"じゃないわ。聴く人を喜ばせるために、心を込めるものよぉ。でも、優奈ちゃんはそうじゃないのね。でも、きっと解るわぁ。貴女、素直だから」


(碧さん、歩奏(ほのか)さんの歌を聴いて、少しわかりました。歩奏さんは、点数を取るために歌っていなかった。私と話すつもりで、歌っていた)


 意識を戻して、両手を垂らし、一瞬、藍坂 歩奏と、その姉の藍坂 祐奏(あいさか・ゆうか)を見る。そして、頭を深く傾けた。


(だから、私も100点にこだわらないわ。私に歌を伝えてくれた歩奏さん。そして、もうすぐ命が尽きるという祐奏さん──聴いてっ!)


「──静寂の玉座に 影が落ちる」


 碧に教えてもらった発声法を意識した。この歌い方は番組では始めてだったが、歌いやすい。声が出すぎないようにして、余力を表現力に向けた。深く息を吸い込み、胸の奥から音を立ち上げた。


「凄い、優奈ちゃん」


 舞台袖の祐奏が短く言った。歩奏は心の底から驚く。姉は、人の歌の上手い下手を口に出すことはない。自分が論評することが相手の負担になることを嫌うからだ。思わず、口に出すだけの歌だったということだ。


「──喝采は砂嵐 心を削る」 


 優雅に振り返り、左手を胸に添えて、自分を抱きしめる。

 右手を客席に向けて、拒むようにゆっくり押し返した。指先だけでマイクを支え、掌の力を抜いていく。


(今日の優奈は、違う。歌い始めると、やっぱ女王なんだよなぁ。威厳あるぜ)


 百目木が身震いした。ぞくっとするほど色気のあるハニーボイス。目線のやり方や身体の動かし方は舞台女優のそれに近い。


「──鏡の部屋で 問いかける」


 目線を廻らせて"鏡を見る"を表現しつつ、"閉じた心"を表すように両手を胸の前で交差させた。吸気が短く鋭くなり、次のフレーズで力を込めた。


「──私は誰のために歌うの?」


 右手を胸に当てて、ゆっくり握って閉じた。勝ち負けだけを考えて歌っていた自分。碧の問いでそこに生まれた迷い。このフレーズがあるから、この歌を「自分を表す歌」として選んだのだった。目の端が潤んで、視線がふっと揺れた。


(誰のために歌う? 私は"尊敬する人たち"に、歌を届けたいっ!)


 親の期待と圧力、勝ち負けの追求、番組の看板としての重圧。そんなことのために歌うより、尊敬する人に向けて歌うほうが、自分に合っていると感じた。


「──Step into the void, I rise again !」


 重圧に何度も折れかけつつ、立ち上がってきた気持ちを込めて、高いヒールで一歩前に出る。今までの自分を振り返って、次の言葉を紡ぐ。一拍だけ息を止めてから、ゆっくり吐き出すように歌い始めた。


「──栄光は 氷のように冷たく 」


 右手を天にゆっくりと伸ばし。手のひらを見つめて握りしめた。吐く息を長く伸ばし、最後の音を余韻に溶かした。


「──冠は 孤独を招く鎖」


 左手を持ち上げて王冠に触れるように手を動かし、すぐ離す。そのまま、両手を首元でクロスして、縛る鎖を表現する。


(動の歩奏ちゃんに対して、静の優奈ちゃんだしっ。ここまではがっぷり四つの互角っ! 拙者、身震いするほど胴震いして、もう配信できないっし)


 AKARIもさすがに空気を読んで、舞台袖からカメラだけを向けていた。


「──勝利の花束は 色褪せたまま」


 指先を見つめて、花を開くように拳を開いた。ずっと、孤独だった気持ちが声に乗る。ただ、勝つために歌っていたことは"辛かった"のだと今ならわかる。


「──誰からも逃げず 痛みの中で立つ」


 両手を腰に当てて、胸を張り、正面を向いた。両足は肩幅に開いて、揺るぎない立ち位置を示した。マイクを握る手の甲に力が入って、白くなった。


「Every crown is heavy, every cheer a storm!」


 "全ての王冠は重く、全ての歓声は嵐"と言い切った。


(あの頃の私は、声援すら重圧だった。それが冷徹に見えて、《絶対女王》とか言われたけど、今の私は違う。"歌手"をしているの。子どものころ、憧れた歌手に!)


 首をわずかに傾け、苦悩を噛みしめる。Aメロが終わり、小休止。無表情の仮面をかぶって、美しい眉だけをわずかに寄せた。


 右手の甲で口元を隠す。表情の奥の痛みを観客に見せない“女王の仮面”を表現して、3秒間、完全静止した。指先からわずかに覗く素顔が、本当の優奈。そんな気持ちを込めて、仮面に亀裂を入れた。


(……課せられたものを背負いつつも、重圧も含めて楽しんでいる人が、ああいう顔をするのよ。佐沢 優奈、自分の壁を超えたのね。こういう人は、強い)


 世界的デザイナー・塒ケ森 郁(とやもり・かおる)が感心して、ニヤリと笑う。


(母さんが、笑ってるぜ。くそ、悔しいけど《パーフェクトクィーン》の超本気しか感じねぇ。歩奏と釉ちゃん様が火をつけたんだ。ヤバいぞ! 歩奏──っ)


 綴 冬燎(つづり・ふゆあき)が、冷や汗をかいて、拳を握りしめた。AKARIの配信のコメント欄に一瞬目を向けると「優奈ちゃん、何かすげぇ演技」「いつも上手いけど、今日は次元が違う」「気持ちが乗ってる。見たことない優奈だ」と言ったコメントが大量に投下されている。


 (みんな、オレと同じことを思っているのかよ。そうだよな)と、冬燎は優奈を見つめ、唇を噛んだ。


 Bメロに入る。静止した3秒が終わると、優奈の肩の力が抜け、指先の震えが消えた。次の一音が、爆発の導火線になる。その時、優奈の動きが大きくなる。視線が定まり、表情が爆発的に明るくなった。 

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