第31話《ついて行けば、いい》
世界的服飾デザイナーでモデルの・塒ケ森 郁(とやもり・かおる)は、葦原 廻(あしはら・めぐり)、葦原 祷(あしはら・いのり)、綴 冬燎(つづり・ふゆあき)と、楽屋に急いでいた。番組スタッフが先導している。
「廻くんが遠野 史彦先生だったのね。わたくしより背が高くなるなんてねぇ」
郁が速足で歩きつつ、廻に微笑みかけた。
「母さん、遠野先生と知り合いなん?」
冬燎が母の郁に質問した。
「知り合いも何も、廻くんのお母様である栞様の衣装を整えていたのは、わたくしですから。あの方には、わたくしが世界に出るさいに沢山ご尽力頂いたのよ。文化の庇護者でしたから、ね」
郁は遠い目をする。5歳年上の栞を、姉のように慕っていたことを思い出す。
「郁先生、祐奏の衣装、ありがとうございました。あの、祐奏は……」
「歩奏さんから事情は聞いているわ。わたくしの恩人も、目をかけた子も、《死神》は奪っていくのね」
沸き上がる激情と、深い悔しさをその瞳に宿して、郁の声が震えた。軽く、拳を握りしめた。
「欧州でも、行方不明になったクリエイターや学者、スポーツマンが何人もいたわ。優秀な子から消えていくのよ。きっと、そういう理由だったのね」
「ええ。あの……祐奏の衣装代は、俺から振り込んでおきました」
廻が少し、遠慮がちに申し出る。
「あの子にそんな余裕はなかったでしょうけど……貴方が支払う筋合いじゃないわ」
郁は筋道を大事にする性格だ。少し気分を害した表情だった。
「筋は……あります。祐奏の夢は『俺のお嫁さんになること』ですから。自分の配偶者が後顧の憂いなく、戦場に行けるように計らうのは当然でしょう?」
ほんの少しも迷いなく、廻は言い切った。
「そっか。嫁じゃ仕方ないわね」
廻の決意を見て、郁は機嫌を直した。あんな小さな男の子が、立派になったねと目を細める。
廻はそう言いつつも、唇を噛んだ。決意と共に、深く、息を吐いた。
「はい。あの……俺、転生して、取り戻しますから」
渦巻くようなじりじりとした熱。怒りを宿して、廻は言った。
「そのことだけどさ、転生が本当にできるのなら、祐奏さんの命が尽きる前に、二人で転生してしまったらよかったんじゃないの?」
郁が怒りをいなすように、疑問点を糺した。
「うぉぉっ、お兄! それ、よさそうじゃん。ダメなの?」
祷が郁の指摘に目を丸くして、廻を見た。
「俺、最初にそう思って、朝に車で本郷に移動する時に少しだけ目を閉じたんです。珠子様は気にかけていらっしゃるようで、すぐに道が繋がり、お話できました。珠子様は『転生には試練が課せられる』と、仰いました。彼女の占いは外れたことがありません。祐奏が生きていると、転生は確実に失敗する、みたいです……」
不条理がこれほど続いても、まだ沸き上がる怒りがあるのか、という顔だった。
「そう……どういう仕掛けか知らないけど、ホント腹立つわね」
郁が美しい眉根を怒りで歪めた。
「はい。でも、取り戻しますから」
思いつめた口調だった。郁は廻の手を掴んで、立ち止まらせた。
「あのさ……廻くん」
「はい」
「切り換えなさい。その怒りは、きっと妨げになるわ」
「妨げ?」
「貴方の嫁が、これから一世一代の舞台に立つ。怒りなど差しはさんだら、雑念よ」
廻ははっとした。郁の指摘を正当だと思い、自分を恥じた。
「あの娘はわたくしが認めたのよ。ただ一度のステージだとしても、間違いなく天下を取るわ。天祐を奏でる瞬間を、全力で楽しみなさい」
(母さん、無茶ぶりしすぎだろ……楽しめるかよ!)
冬燎が、自分の身に降りかかったらと想像する。想像するだけで冷や汗が流れた。
(もし歩奏が16時44分に亡くなるとしたら、俺は遠野先生ほど冷静でいられない。絶対に。くそっ……取り乱さないだけで、スゲェんだよ)
歩奏が廻を「憧れのお館様」と言ってはばからない理由が、実感として感じられた。男として負けた気になる。負けたくないと思った。
「そう……本当に、そうですね。俺は──全てをかけて受け止めないと。1秒1秒を楽しむことにします。ありがとうございました」
そう言うと、廻の空気が変わった。強張った顔が、少しだけ穏やかになった。
「お兄」
祷が呟きかけて、言葉を飲み込んだ。
(あたし、ちょっとわかる。お兄は、一番強い気持ちが、《畏怖王》への怒りじゃないの。祐奏ちゃんを大切にする気持ちが一番強いから。失礼だと思って、切り換えられた。あたし……あたしは、できること、ないの、かな……っ!)
無力感と、兄への気持ちが心の中で渦いた。
(祐奏ちゃんが亡くなったら、お兄は旅立ってしまう。あたしにとっては……死んでしまうのと、一緒、なのにっ──!)
祷が顔を伏せ、拳を握りしめていることに、冬燎が気づいた。
「えっと、なぁ、葦原……祷、ちゃん、さ」
「え、何?」
冬燎に話しかけられると思っていなかったので、祷は驚いて変な声を上げた。冬燎は祷に耳打ちした。
「遠野先生がいなくなるのが怖いのか?」
祷ははっとした。初めて真っすぐに、冬燎を見返した。
「怖い? 違うかな。お兄の役に立ちたいの。キミ、ただの変態じゃないのね」
祷は見直したつもりだったが、容赦ない言葉に冬燎は少しだけ傷ついた。
「ああ。僕は『できる変態』だから、女の子が思いつめるのは見ていられない」
真剣にキメ顔をして、冬燎は言った。
「歩奏ちゃんに『浮気してた。口説かれた』と言っておくね」
祷はジト目で返した。本気で言っているわけではない口調だけど。
「マジで、ガチでやめてください。しんでしまいます」
狼狽えて懇願する冬燎を、祷はくすっと笑って見た。
(歩奏ちゃんが好きになるだけの人なのね。察し、いいんだなぁ)
「いや、本当にそんなんじゃねぇって。あのさ……っ」
口調をそこで変えた。耳打ちして言う。
「ついて行けば、いいんじゃないのか」
祷ははっとした。にんまりした。一瞬で決断した。
「いいね。そうする!」
そう言って笑った。
「お兄に、邪魔されないようにしないとね」
そこでAKARIが部屋の外で手を振って「こっちだし!」と、跳ねた。
* * *
「郁先生──!」
部屋に入ってきた世界的デザイナーに、藍坂 祐奏は驚いた。AKARIに言われて、楽屋で優奈とデュエットしたばかり。少しだけ息を整えた。
「やだぁ。わたくし、やっぱり天才ねっ! 祐奏さんかわいいっ♪」
郁は部屋に入るなり、祐奏の写真をスマホで撮る。優奈が困惑していると「ほら並びなさい。歩奏さんも!」と言われて、3人は整列させられる。
整列した三人の写真を郁が撮影しようとしているのを見て、AKARIが「美味しいっし」と呟いて配信を再開する。
「さすが吾輩のキャラデザを見立ててくれた郁様尊師! それがしが尊すぎて、お願いすることを躊躇ったことを平然とやってのけるっ。そこにしびれる(略)っし!」
先ほどの祐奏と優奈のデュエットは、配信から数分で10万再生を越えていた。コメント欄が速く流れ過ぎて、読むのが難しいほどだ。
AKARIが、いつもの調子で配信していると、百目木がやってきて祐奏と優奈に「なぁ、トリの話だが……」と聞いた。配信されていることは理解しているし、番組の台本も急遽修正しているから、この様子はテレビでも生中継されている。
(お偉いさんは、祐奏をトリにした方が視聴率が取れると言ってくるが、《パーフェクトクィーン》はこの番組を支えた顔。これは本人が決めていいことだ)
百目木はそう思っているが、口にするのは野暮と感じる。だから端的に言った。
「優奈。女王として見下ろすか、挑戦者として見上げるか。どっちがお前だ?」
優奈は、問いの意味がわかった。百目木はこの4年間、番組の顔役だった自分のメンツを立てて、「選ばせて」くれているのだと。祐奏だけに聞いたら、確実にトリを自分に譲る。ほんの少し話しただけだけど、そういう子だと理解していた。
祐奏が口を開く前に、優奈は口を開いた。
「トリは藍坂 祐奏──いえ、歌内 釉ちゃんに!」
会場外で配信を見ている観客たちがどよめく。声が地震のように響いた。
「……優奈ちゃん」
祐奏がびっくりして、優奈を見た。
「4年前、私は貴女に負けているし、貴女は無敗だもの。当然でしょ?」
また、どよめく声が聞こえた。コメント欄も「優奈ちゃんが釉ちゃんを認めた」「パーフェクトクィーンがトリを譲った」と驚きのコメントが流れる。
「貴女が今回の主役。そこに全身全霊で挑むのが私。人の格ってそういうものよ」
「優奈ちゃん」
「気にしないで。私の実感通りのことをしただけ」
《パーフェクトクィーン》が挑戦者として笑った。ほんの少し、震えながら。
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