第16話《試験好き》

「母さん、工房を一週間貸してよ」


 綴 冬燎(つづき・ふゆあき)が、母である世界的デザイナー・塒ケ森 郁(とやもり・かおる)こと、綴 薫(つづり・かおる)に恐る恐る言った。


「嫌よ」


 息子の願いを一言で拒絶する。その態度には自信と威厳があった。


 艶のある黒髪を、あごのラインでシャープの切りそろえた髪型。切れ長の知性を湛えた瞳。白い肌に鮮やかな口紅が映えた。耳には大きな渦巻模様の入った幾何学的なイヤリングが付けられ、モードな緊張感を与えている。


 身体を包むのは、黒のモードを極めたアンサンブル。首元まで詰まったリブニットのタイトなロングドレスが、細い肢体を強調している。その上に、純白の生地が巨大なバルーンスリーブとなって肩を包み込み、黒との劇的なコントラストを生み出す。


 ウエストにはロイヤルブルーの太いサッシュベルトが巻かれ、その鮮烈な色は、彼女の装いを非日常へと引き上げていた。手には同色の光沢のあるロンググローブ、そして足元には、青とマゼンタ(濃いピンク)の縦ラインが走り、ハイヒールへと繋がるサイハイブーツを着用していた。


 全てが「自分が立つところが、世界の最先端よ」が口癖の、郁の美意識だった。


 郁は冬燎の姿を上から下まで見回す。冬燎は自分がデザインした服を着る義務を、母から課せられている。今日は新作だった。


「まぁまぁね。でも……」


 郁はそう、小さく呟いた。


 冬燎は、上半身に黒いクロップド丈のシャツは、意図的にオフショルダーで着崩されており、作り手の繊細さと、少年の反骨心が交錯して見えた。袖はゆったりとしていて、華奢な体つきを際立たせていた。

 首元にはタトゥーのような意匠がある細い黒のチョーカーが巻かれていて、ストリート感の中に、ゴシック的な色気を加えていた。調和の中に色気を残すのが、彼の性癖である。


 下半身はクラシカルなサスペンダーで吊るされた、活動的なカーゴパンツだが、深みのあるバーガンディ(赤紫色)で、艶やかな光沢と、風をはらむようなシルエットだった。パンク風のシルエットの下には、黒と白のパターンが大胆に施された、アーティスティックなスニーカーが配置されていた。


 その衣装は、ストリートファッション、モード、ゴシックを無造作に、だが計算されたバランスで配置した、冬燎の奔放で自由な感性の表れだった。


 郁はため息をついて、白を基調としたつばの広い帽子を持って来た。縁やクラウンに大胆な黒の幾何学模様が施され、まるでモダンアートだ。それを冬燎に被せる。


「冬、まだまだね」


 くすり、と優雅に微笑み、郁は姿鏡に目線を向けた。鏡を見て、冬燎は母の見立ての正しさに敗北感を感じたが、ここで引き下がるわけにはいかない。意を決して、母に視線をぶつけた。


「そんなことより、工房、空いているんだろ! 歩奏と釉さん様が困ってんだよ」


「嫁になってくれない娘にいつまでも煩悩するなんて、これだから愚息は」


 肩をすくめ、両手を広げる動作すら美しい。34歳の郁は自らモデルを務めるだけの圧倒的美貌と美意識、そして所作を兼ね備えている。香水の香りが空気を支配するのを、冬燎は感じた。


「うるさいな! んなのどうでもいいだろ。あいつにも……事情があるんだ」


 冬燎が彼らしくもなく、真剣な眼差しを向け、食って掛かってきたので、郁は「ほぉ」と小さく口を開いた。


「インスピレーション! 霊感という意味もある言葉よ。己の感性に従うのがクリエイターなの。今、代表作が生まれる予感が沸き上がって、工房を開けているわ。でも、そこまで言うのなら《査定》する。その子たちを連れてきなさい。わたくしが納得いったなら、離れを提供するし、衣食住。特に衣の面倒を見てあげるわ」 


 母の「試験好き」な性格がにじみ出ていると、冬燎は感じていた。


  * * *


 藍坂 歩奏(あいさか・ほのか)は、綴 冬燎(つづり・ふゆあき)の家の近くで、姉の藍坂 祐奏(あいさか・ゆうか)を待っていた。東京の京橋にある超人気店の苺ミルフィーユの入った箱を持って。


 苺ミルフィーユは受注生産品で、姉のVtuber2周年を祝おうと手配したものだけど、冬燎とその母・郁にプレゼントすることにした。冬燎から聞いているだけでも、とんでもないお母さんだから、生半可なものは持っていけないと思ったからだ。


 身体を包むのは、冬燎のデザインした衣服。黒を基調としたヴィクトリアン調のアンサンプルだ。白いブラウスの上に、金色の縁取りとボタンが施された、黒いケープのようなジャケットが重ねられ、格式あるシルエットを構築していた。首元には白いセーラーカラーと、小さいリボンタイがあしらわれ、清潔感を強調していた。


 下半身は黒を基調としたピンストライプのショートパンツ。こちらも金糸のステッチがアクセントだ。足元は光沢のある黒い編み上げブーツで、ブーツの履き口から、レースのソックスが覗いていて、清潔感と非品の中に、退廃的で甘美なアクセントを加えていた。どんな服にも性癖を残す、冬燎のポリシーを体現したような服である。


 ツインテールを結ぶリボンも黒で、上下に色気を配置しつつ、甘さと品性の均衡を保つという、冬燎の美意識の表れだった。


「歩奏! お待たせっ」


 祐奏が手を振って現れた。こちらは既製品の組み合わせだけど、祐奏らしさはにじみ出ている。彼女は苗字の「藍坂」から、藍色をパーソナルカラーとしていた。頭には深い藍色をして、側面にリボンタイが付いたキャスケットを被る。その下で整えられた、濡鳥ぬれがらす──青みがかった短い黒髪と整った小顔、可愛いデザインの丸い眼鏡が揺れていた。


 身体を包むのは、藍色を基調とした、ややオーバーサイズのダッフルコート。フード付きで、フードには飾りとなるネコミミと、白いポンポンが遊び心だ。


 コートの裾周りには、星座のような繊細な刺繍と、複数の小さな猫の足跡の刺繍が散りばめられている。コートの下には、白いシャツと藍色のネクタイを着用している。ネクタイにも猫の顔が逆向きに刺繍されており、下部分は三角に切り取られてネコミミ感を演出していた。


 下半身は、ベージュのショートパンツ。そこから伸びる長くて細い脚には、藍色のルーズソックスの上に、編網みのようなオフホワイトのレッグウォーマーを重ね、足首で小さなリボン結びにされ、個性的なアクセントだった。足元は厚底シューズで全体を引き締めた。


「あれ、お姉ちゃん?」


 歩奏が祐奏の持つ紙袋を指さした。歩奏と同じ京橋の名店のロゴ入り。


「歩奏──も?」


 祐奏は妹が自分と同じことを考えていたと知り、嬉しくて微笑んでしまう。


「わたしたちらしいね」


 そう言って微笑み合った。そこでアーティスティックな外観をした綴家から、冬燎が出てきて「歩奏っ! 釉さん様っ」と、手を振った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る